第52話 つぶつぶと書く
正法眼蔵随聞記三の九その三
「語言文章はいかにもあれ、思ふままの理をつぶつぶと書きたらば、後来も文章わろしと思ふとも、理だにもきこえたらば、道のためには大切なり。」
語彙や文章はどうであっても、思うことをそのとおりに、理(自分の考える道理)を丁寧にしっかりと書いたならば、後から読んだ人が文章はよくないと思ったとしても、道理だけでも伝わったならば、仏道のためには大切なことである。
今の世の中、テレビやらYouTubeやらに登場し弁舌爽やかにぺらぺらとしゃべる人間がたくさんいる。ツイッター(X?)でもっともらしいことをさらさらと書いている人間もたくさんいる。
しかし、問題は弁舌や文章の良し悪しではない。何が伝えたいのかだ。どうしても伝えたいと願うこと、伝えなければいけないと深くおもうことがあるならば、弁舌や文章は拙くても、通じるものだ。心を打つものだ。
今の世の中、何故今それを書くのか、話すのか、そうする必要があるのか首を傾げたくなるものばかりだ。ただ単に目立ちたいしかないんじゃないかと思うものばかりだ。
理をつぶつぶと書いた文章を読みたいもんだと思う。
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