第50話 知識人

 正法眼蔵随聞記三の九

 「学道の人、世間の人に、知者もの知りとしられては無用なり。」

 仏教を学ぶ人間は、世間の人から知者だ、物知りだとして知られるようなことは、無用である。

 今の世の中、知識の量が多いことを自慢し、ひけらかす人間で溢れている。また知識の量が多い人間を凄いと評価する風潮がある。知識人とかいう人間が一杯いる。

 しかし、知識人ってなんなんだ?知識がたくさんあったって、やっていることが変な人間は駄目な奴だ。

 人間はその行動が正しいかどうかが問題なのであって、何か知ってるだけじゃ何の意味もない。知識だけひけらかしても何の役にも立たない。

 肝心なことは何か。それが見失われ、上っ面のことで大騒ぎしているだけなんじゃないか。そう思えてならない。

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