第45話 一期の命分

 正法眼蔵随聞記三の六

 「各々一期いちご命分みょうぶん具足す。奔走することなかれ。」

 「たとひ走り求めて財を持ちたりとも、無常忽たちまちに来たらん時如何いかん。」

  それぞれに生涯の命をつなぐだけのものは備わっている。欲しい欲しいと走り回ってはいけない。

 たとえ走り求めて財産を持ったとしても、死ぬときになったらそれが何だと言うのか。

 今の世の中、あれが欲しい、これが欲しい、たくさん金を稼ぎたいと奔走している人間がうようよしている。

 どんなに金を稼いでも、どんなに財産を蓄えても死ぬ時は身一つだ。死を迎えた時に金や財産が何かしてくれる訳じゃない。

 金を稼いでもいいし、財産を持ってもいいけれど、そのことと人間が生きるということの関係はどうなるのか。生きるとは金を稼ぎ、財産を持つことなのか?

 生きるためには金も財産も必要かもしれない。しかし、金を稼ぐこと=生きることではなかろう。

 生きるとは何か。改めて考えるべきなんじゃなかろうか。

 私は大宇宙の真実・真理を体得したい。真実・真理と一体となって生きていたいと思う。そのために働いてもいるが、多くを求める気はない。各々一期の命分具足していると思うからだ。

 命分は「思ふによりても出来いできたらず、求めずとも来ざるにあらず(思うからといってやってくるわけではない、求めないからといって来ないというわけではない)」と思うからだ。

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