第6話 身心を整える

 正法眼蔵随聞記一の三 その二

 「持戒梵行じかいぼんぎょうにして仏祖の行履あんりにまかせて、身儀ををさむれば、心地しんじも随って整うなり。」

 持戒、戒律を守るというと堅苦しいものに感じるけれど、仏教でいう戒律というのはごく当たり前のことだと思っている。

 十重禁戒というものがある。不殺・不盗・不淫・不妄語ふもうご不酤酒ふこしゅ不説四衆過ふせつししゅうか不自讃毀他ふじさんきた不慳惜加毀ふけんじゃくかき不瞋心不受悔ふしんじんふじゅかい不謗三宝ふほうさんぽうとされている。

 平たく言えば、生き物を殺さない、 盗みを働かない、 性欲を適切に扱う、 嘘を言わない、 酒を売らない、 菩薩、比丘、比丘尼の犯した罪を吹聴しない、 自分を誉めて他人をそしりけなさない、 人に与えることについて惜しまない、 他人から謝罪を受けたらそれを受け入れ怒りの心によって許さないということをしない、 仏・法・僧の三宝をそしらないということだ。

 中にはわかりづらいものもあるとは思うけれど、ほとんどのことが当たり前のことじゃなかろうか。

 不自讃毀他ふじさんきたなどは今の世の中の人間はよく考えてみたらよいと思う。世の中「自分は正しい。自分は凄い。あいつは駄目だ、あいつは悪い、間違っている」と喚いている人間で溢れていないですか。正直耳障りだ。醜い。

 不慳惜加毀ふけんじゃくかきもそうだ。自分の利益ばかりで頭が一杯で眼が眩んでいる人間ばかりじゃないでしょうか。

 不瞋心不受悔ふしんじんふじゅかい謝罪してもとにかく徹底的に叩きまくることがやたらに目につきます。

 これらは「守らねばならぬ!」と意を決してやることではない。普通の人間が普通にしていればできることばかりだ。

 しかし今の世の中、できてませんねえ。これは理屈ではない。理屈で理解することではない。本来の人間であれば守れること。と言うよりは本来人間は守れる生物なのだ。本来の姿を見失っているから、世の中おかしくなっている。

 本来の姿を取り戻すのは簡単だ。毎日坐禅すればいい。毎日坐禅し、十重禁戒を思い浮かべればそれでいいのだ。

 坐禅の姿を取ることによって心もおさまる。「身儀ををさむれば、心地しんじも随って整うなり」なのだ。

 

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