第九章

短い文章で書かれていて、寄付はいくらでもいいから必ずせよ、という強い調子のものではなかった。

 各自治会長には、一円でも十円でもいい、寄付したくなければしなくていいと口頭で指示していた。

「しないわけにはいかないだろう」

町民の誰もが、こう思ったようである。

吉崎は、誰もがそう考えるだろうことは分かっていた。彼の狙いは、田丸城の復元に町民の一人一人が、はっきりとした意識を持ってもらいたかったようだ。そして、その先にある遥かなる夢の実現・・・いや、きっとされるであろう本来あるべき真の日本の姿を知ったら驚き、この町民であることに誇りを持つだろう。こう考えを巡らす度に、吉崎は太った体を震わせ、涙を流さずにはいられなかった。

「あの方は、もうこちらに見えているのですか?」

八田幸二総務課長が訊いた。

「昨夜、連絡をもらった。伊勢に泊ったようだ」

「そうですか。あの方の夢・・・いえ、私どもの夢がついに実現するのですね」

「夢・・・か・・・」

松崎は八田を一瞥した後、微かに微笑んだ。だが、また窓の外に眼をやった。ほぼ完成した田丸城が見える。今の空の様子は真っ暗だった。台風が通過している。

「明日はもう台風は通り過ぎているだろう。そう、夢だ。みんなの夢だ。長い夢が実現しようとしているのだ」

八田幸二はまだあの方には直接会ったことがない。何回が電話で町長のいない時に話したことがあるだけだった。ずっしりと重いものを感じる声だった。今も八田の耳の中に残っている。


立木久兵衛。五十二歳。若い・・・という印象はぬぐい切れない。逞しさを素直に感じることが出来る。立木工務店の社長である。東京に本社を置き、立木久兵衛い一代で日本を代表する工務店に成長させた。

立木の会社が成長していった理由はいくらでもあげられる。しかし、彼が唯一自慢しているのは、人を馬鹿にしないということである。嘘を吐くな。いつも正直であれ。これは親・・・いや祖父からもきつく言われて来たことだった。もちろん、若い時には反駁もしたし、反抗し家出もした。

時代の要求にうまく乗ったということだろう。しかし、そういう工務の面ではなく、彼は建築家としての方が有名で、こっちの方では世界中に名前が知れ渡っている。彼の創造した建築物は、この先世界中に残されることになるだろう。東京にもサンフランシスコにもフランスにも、永久に彼の建築物は残ることになる。

「明日、何処へ迎えに行けばよろしいのですか?」

八田は聞いた。

「伊勢のパークホテルに泊まって見えるそうだよ。しかし、迎えはいらないそうだ。ここへ来る前に寄り道を慕いそうだよ。そこへ寄ってから、タクシーで来るそうだ」

「そうですか。分かりました」

八田は頷いた。

そこは・・・と聞きたかったが、黙っていた。

田丸町民は、田丸城の復元の企画は松崎の考えだと信じて疑わない。しかし、実際はそうではない。その案件は、立木が松崎にもってきただ。田丸城が松阪嬉野の阿坂城、大河内城と同じように、北畠の城の一つだということは、八田も知っていた。

だが、八田自身が多気の霧山城の最後の最後の攻防の時に駆け付けた国司侍の一人、堀内七郎左衛門の子孫の流れを組む者だと松崎から知らされた時には、ちょっと驚いた。

松崎は、最後の霧山城の攻防の様子を詳しく話してくれた。まるで、松崎が実際に闘い、辛うじて難を逃れてきたような迫力感のある話しぶりだった。その時の八田は、どうしてこの男は私にこんな話をするのかという疑問を感じてはいたが、その疑問を振り払うようにぐいぐいと松崎の話に引き込まれて行った。

松崎町長は、自分は阿坂城で信長と闘った大宮武蔵守の子孫だと言った。八田は、大宮武蔵守という人物をよく知らない。また、松崎がいう、八田の子孫堀内七郎左衛門もやはり知らない。

松崎の口振りからすると、大宮武蔵守の方が偉かったようである。この話をされたのが、市役所のロビーであったが、面と向かって座っていた八田は、松崎に体が平伏してしまっている自分に驚いた。

⌒そういうものなのかもしれない)

と、八田は思った。

「収入役をやってくれるか!」

八とは後先のことを考えずに頷いてしまった。嫌とは言えない気迫が、松崎にあったのである。

「帰るか?」

松崎市長は市長の椅子を回し、八田を見た。

「はい」

八田は軽く頭を下げた。

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