第六章 治の願いは叶うのか・・・
「お母さん、早く帰って来て・・・」
治はポツリといった。
この時、病室のドアが開いた。
(お母さん・・・)
と、治は思った。もうそろそろ帰って来るころだった。
だが、違った。看護師の米川友子だった。治はがっかりした。
治のそのがっかりした表情を読み取り、友子はにこりと笑った。
「治君。お母さん、まだ帰っていないの?」
治は友子の笑顔につられて、少し笑った。
(このお姉さんはいつも僕に笑い掛けて来る)
その都度、修は微笑んでしまう。嬉しくも無いのに・・・。
「うん、まだ・・・」
「もうすぐ帰って来るわよ。もう少し我慢ね」
この、もう、もう・・・を友子から、一人でいる時に何度も治は聞いていた。その度に、うん・・・と返事をしていた。だから、この頃は返事をしない時もあった。
治は返事をしなかった。
病院の夕食を終えると、友子は治の母由美子から、
「ちょっと出かけて来ますから・・・」
と、言付けをして、出かけて行った。
「台風が来ていますよ」
友子がこんな時に何処へ・・・という怒った顔で由美子を睨んだ。
「大事なことですから・・・」
由美子はいつものように出かけて行った。友子は治から、
「お父さんが何処かに行ってしまって、帰って来ないの」
聞いて、知っていた。
そして、主治医から、治が血液のがんである急性白血病で、十か月余りの命だとも知っている。彼女自身、そんなことは知りたくなかった。しかし、嫌が上でも彼女は知る立場にいたのである。
「お姉さん、ちょっと時間があるから、いて・・・いい?」
「ええ、いいの」
治は戸惑いながらも、喜んだ。彼には友だちがいなかった。その四月から幼稚園に行くはずだった。どんなに行きたかったことか・・・。三月には父朝雄がいなくなり、そのせいからか治は倒れてしまった。初めは、父親がいなくなった精神的な不安定からだと思われたが、そうではなかったのだ。
家の近くには同じくらいの年頃の子供がいなかった。田丸町はそんなに大きな町ではなかった。三つや四つ年下の子はいたのだが、治と遊べるように年齢ではなかった。それは病院でも同じだった。だから、いつも由美子の傍から離れなかった。運命が彼に与えた哀しい仕打ちなのかもしれない。
でも、寂しいとは思わなかった。いつも誰かに治は自分から近付き話しかけて行った。由美子と伊勢市のショッピングセンターに行った時、治と同じくらいの男の子を見つけると、近付いて行った。可笑しなことに、近付いて来た彼を見ると、その子は逃げた。治は追い掛けて行くと、その子は泣いてしまった。そんなことは何度もあった。その度に、由美子は泣いたその子の親に頭を下げ、すいません、と言って誤った。
「いいのかな、そんな元気のない声の返事だと、お姉さん、行っちゃうよ」
「行っちゃ、だめ。遊んでくれなくてもいいから、すこしでいいから傍にいてよ・・・ね」
「へへ、嘘だよ。行かないよ。お姉さん、治君大好きなんだから・・・」
友子はべそをかいている修の頭を小突き、微笑んだ。
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