第四章   母の苦悩の行き先は・・・

松村は返事がないので、

 「まだ、バスは動いていました?」

 と、改めて、訊き直した

 気にせいか・・・この人はこの前見た時よりはやつれたように、松村には見えた。夫の朝雄がある朝突然いなくなり、そしてほとんど同じころ一人息子の治の病気が発覚した。小児がんだった。種瀬氏の日赤病院に入院してしまった。精神的にも肉体的にも披露しきっているのだろう。

 「バスで・・・」

 由美子の声はか細かった。

 「そうですか、バスで・・・」

 松村刑事は雨風が激しく打ち付けている窓に眼をやった。バスはまだ運航停止になっていなかったのか・・・しかし、ここでの話が長引けば、帰りまでにはバスは止まってしまうかも知れなかった。

 「今年の台風は十一月に入って大きいのが二つやって来ましたね」

 彼は由美子を見て、笑った。しかし、彼女は何も答えず、冷え切った眼で松村の次の言葉を待っていた。彼は軽く息を、ふっと吐いた。少しの間、沈黙があった。彼は気まずくなり、質問を代えた。

 「治くんの具合は、どうですか?」

 由美子の眼が動揺した。彼女はこの刑事の質問には答えなかった。ここに来たのは治のことで来たのではない、と彼女の無言が語っていた。

 松村刑事は仕方がないな、という表情をした。

 「清水さん、まだ何処からも朝雄さんの居場所について連絡は入っていません。入り次第、私が直接病院の方に出向いて行って、お知らせします。それまでは治君に付き添ってやってください」

 彼は少し苛立った調子で言った。捜索願が出されている以上、探さないことはありませんと言いたかったが、前に一度言ったことがあるような気がしたから止めた。

 (何かが・・・ある・・・)

 のは間違いなかった。それを今調べ居る。行方不明になっているのは由美子の夫朝雄だけではない。同じ地区から六名もの男が突然いなくなっている。

 「そうですか・・・」

 由美子は肩を落とした。

 「大丈夫です。必ず見つけてあげます」

 「有難う御座います」

 彼女は座ったまま頭を下げた。頭を下げた彼女の表情に、少し赤みが帯びたように見えた。

 (この女はひょっとして俺のこの言葉が聞きたくて来たのではないか?)

 彼の返事はこれまでと同じでも構わないのである。田丸町の駐在所にいる内田巡査から聞くところによると、由美子の夫朝雄は田丸町で生まれたが、彼の父母は大阪の人とのことである。その祖父母は朝雄と由美子が一緒になる以前に死に、これといって近所に頼る人はいないらしい。

 由美子が五歳の時に父が死に、母によって育てられた。姉がいて、母と同じに住んでいるようだが、余り連絡は取り合っていないと聞いている。彼女自身、誰でもいいから同乗し励まして欲しいのかもしれないが、自分の方からはっきりとはっきりと口ら出すことが出来ないのだろう。心の奥でそれを求め、台風がやって来ている中、わざわざ俺の所にやって来る。松村はそのように感じた。

 由美子は立ち上がった。

 「よろしくお願いします」

 彼女はまた深く頭を下げた。

 「待って下さい」

 松村は行こうとする彼女を呼び止めた。

 「送って行きましょう。多分、もうバスは来ないでしょうから・・・」

 「でも・・・」

 松村刑事は課長の傍に行き、二言三言話すと、

 「行きましょう」

 と言って、由美子の背中を押した。彼女の背中は冷たかった。レインコートを通し、雨の冷たさが染み込んだのだろう。

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