【KAC20235】 本当に大切なモノ

下東 良雄

本当に大切なモノ

「やべっ、静先輩待たせちまってるな…」


 廊下を慌てて走る男子。

 たに 達彦たつひこ、高校一年生。

 黒髪のツンツンヘアーに、赤いバンダナを目深に巻いている。

 口が悪くて喧嘩っ早いちょっとやんちゃな、でも実は優しい男の子。

 教室へ忘れ物を取りに戻った谷は、待っている静の元に急いだ。


 一方、昇降口で谷を待っている女子。

 川中かわなか しずか、高校二年生。

 黒髪ストレートロングで前髪ぱっつん、銀縁眼鏡をかけている。

 美人・可愛いとは言えない顔付きだが、とても優しい女の子だ。


 ふたりは、友だち以上恋人未満な関係。

 谷からの好意に困惑気味だった静も、最近は落ち着いて接している。


 昇降口に着いた谷。


「静先輩、お待……」


 静は、校庭に熱い視線を送っていた。

 視線の先には、陸上部で砲丸投げの古屋がいる。

 古屋はいわゆるガチムチ系の筋肉男だ。

 そんな古屋を見ながら、静は「ほぅ…」と悩ましげなため息をついた。


「……静先輩?」


 声をかけた谷に驚く静。


「あっ! た、谷くん、忘れ物ありましたか?」

「あぁ…」

「じゃ、じゃあ、帰りましょう」


 なぜか焦る静と共に校門へ向かう。


(静先輩、ああいうのが好みなのかな…)



――ある日の昼休み 校舎の裏庭


『裏庭でいっしょにお昼を食べませんか?』


 静からのLIME(チャットアプリ)で裏庭にやってきた谷。

 すでに静がベンチに座って待っている。


「谷くん」


 笑顔で小さく手を振る静。

 その手にはお弁当の包みがふたつあった。

 静の隣に座る谷。


「谷くん、聞きましたよ。ダイエットしてるらしいですね?」

「は?」

「山田さんがとても心配していました。あれじゃ身体壊すって」


 山田さんとは、ふたりの共通の女友だちだ。


「いや、大丈夫だ」

「じゃあ今日のお昼は何ですか?」

「あー……サラダチキン……」


 困ったような笑顔を浮かべ、小さくため息をつく静。


「それじゃ栄養が足りません。丁度良く、お昼ごはんを作り過ぎてしまったので、食べていただけませんか?」


 静は、ふたつのお弁当のうち、大きな方を差し出した。


「お、おぅ、ありがとな」


 戸惑いながらも受け取る谷。

 お弁当箱のフタを開けると、チキンのハーブ焼き、ゆで卵、カジキの照り焼き、おからと野菜の煮物など、たくさんのおかずが詰まっていた。

 ご飯少なめで揚げ物が無いのは、ダイエットのことを考えてのことだろう。


「すっげぇ美味そう……」


 よだれを飲み込む谷に、静はにっこり微笑んだ。


「でも谷くん、全然太ってないのに何でダイエットなんて……」


 谷は、スマートで細マッチョな男子。

 倉庫のアルバイトで鍛えた引き締まった筋肉がついている。


「あ、いや、ダイエットじゃねぇんだ……」

「違うんですか?」


 あまり表情を顔に出さない谷の顔が赤くなる。


「静先輩、マッチョなヤツが好みなのかなと……」

「えっ?」

「いつだか陸上部の古屋先輩見つめてたから、オレももっと筋肉つけようと思って、筋トレとかしてる……」

「えぇっ⁉」


 驚く静。


「そ、それ違います! 勘違いです!」

「勘違い?」


 静は焦った表情で何度も頷いた。


「私、進路希望調査票の回収係なんですが、古屋くん、締め切りすぎても提出してくれなくて……何度もお願いしているんですが……」

「いや、何か悩ましげなため息を……」

「悩みながらため息をつきましたので」


 苦笑いする静。


「そうだったのか……でも、女子はマッチョの方がいいんだろ?」


 谷の言葉に、静は不思議そうな表情を浮かべた。


「谷くん、筋肉があろうが、なかろうが、全然関係ないですよ。他の女の子は分かりませんが、少なくとも私はそう思います」

「そうなのか……」

「筋肉なんかよりもっと大切なモノがありますよね?」

「大切なモノ?」


 頷く静。


「思いやり」


 静の微笑みに苦笑いする谷。


「オレが一番持ってねぇヤツだな」

「ふふふっ、自分では分からないものなんですね、谷くん」


 笑顔で顔を覗き込んでくる静に、谷は顔を赤くする。


(静先輩、最近落ち着いてきたと思ったら…)


 フッと微笑む谷。


「まぁ、でも鍛えた筋肉は無駄じゃねぇな」


 谷は、そのまま静を抱きしめた。

 驚く静。


「こうやって静先輩を強く抱きしめられるしな……」


 静の耳元で囁く谷。


「た、谷くん、誰かに見られたら……」

「誰かに見られたら、何か問題あるのか……?」


 静は視線を落とした。


「私みたいなブスと噂になったら……」


 静が昼食の場所を裏庭に指定したのも、人気ひとけが少ないからだった。

 そんな静を強く抱きしめる谷。


「そんなもん関係ねぇ……静先輩はもっと大切なモノを持ってるじゃねぇか」


 目に涙が浮かぶ静。


「オレが嫌なら突き放してみろ……」


 谷は、抱きしめる力を強くしていく。

 震える腕を谷の背中にゆっくり回す静。

 そのまま谷の胸に顔をうずめた。


(こんな筋肉の使い方も悪くねぇな…)


 時間がゆっくりと流れてゆく。



――その日の放課後 昇降口


「あのブス、しつけぇんだよな!」


 昇降口にダミ声が響く。

 陸上部の古屋だ。

 ガッチリしたマッチョでふてぶてしい古屋に近づくものはいない。

 部活仲間とふたり、下駄箱を前に立ち話をしている。


「『調査票、書けましたか?』って、書いてねぇよ!」


 ゲラゲラと笑う古屋。


「だからって、昨日のアレは言い過ぎじゃね?」


 いやらしい笑いを浮かべた友だち。


「『うるせぇ、ブス! 整形してから出直して来い!』ってヤツ?」

「そうそう」


 ふたりして大笑いしている。


「あんぐれぇ言わねぇとダメなんだよ、アイツ」

「でも、最近一年の男子とよく一緒にいるらしいぜ。大丈夫か?」


 フンッと鼻で笑う古屋。


「そんなもん、ガタガタ言ってきたら俺様の筋肉でギッタンギッタンにしてやるよ」

「でもよ、川中、目に涙ためて、唇ぷるぷるしてたぜ?」

「ブスは泣き顔もブサイクだよな」


 ふたりの下品な笑い声が昇降口に響いた。

 そんなふたりを睨みつける男子がゆっくりとやってくる。


「おい」



――翌日の放課後 教室


 自分の席で支度をしている静。


「か、川中さん……」


 静が顔を上げると古屋が立っていた。

 頬が腫れているように見える。


「あの、遅くなってゴメンナサイ……」


 古屋は、進路希望調査票を静におずおずと差し出した。


「あっ、古屋くん、ありがとうございます! 預かりますね」


 にこやかに応対する静。


「それと……川中さんを侮辱して、本当にゴメンナサイ…」


 古屋は深々と頭を下げた。


「ふ、古屋くん、やめてください……大丈夫ですから」


 顔を上げる古屋。

 静はちょっと困ったような笑顔を浮かべていた。


「私、実際ブスですから」

「そんなこと……」

「じゃあ、調査票は先生に渡しておきますね」

「いや、あの……」

「先生には『部活に集中していてうっかりしたみたいです』って言っておきますから。いつも頑張ってらっしゃいますものね。大丈夫ですよ」


 静の優しい笑顔にドキッとする古屋。


「はい……」


 もう一度頭を下げ、その場を立ち去った。


 古屋は後悔する。


(あんな優しい女の子に俺は…)


 静の魅力に今さらながら気付いた古屋。

 そして、自分をボコボコにした谷に言われた言葉を反芻する。


『こんな小せぇ野郎が持ち主じゃな。その立派な筋肉が泣いてるぜ』


 この時を境に、古屋は謙虚な姿勢になる。

 自分勝手に行ってきた練習も、コーチと二人三脚で助言を受けながら行うようになり、記録が飛躍的に伸びた。

 また、食事指導を受けたことで筋力の増強も効率的に行えるようになった。

 ラストイヤーとなる翌年、古屋は県大会で大活躍することとなる。



『一番大切なのは「心」の在り方。心のない筋肉は、ただの贅肉です』


(陸上専門誌「月刊トラック&フィールド」

 県立戸神北高校 三年生 陸上部・砲丸投げ 古屋明範選手

 県大会・準優勝インタビューより)


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