24.☆「彼女の悲願」

 時間がない。端的に説明すると、そういう事だった。

 ルービックとガウストは同門の対決、かつての師弟が一対一で向かい合う。


「我輩を殺せ」


 弟子に投げかけた言葉は、果たして願い通りに叶うのか──


*


 ルービックが構えた。次いで、ガウストも構える。

 流派を同じくするだけあって互いに何を狙っているのか、手に取るように分かっていた。


 ルービックは肘を直角に固定し、ガウストには常に半身で相対し、相手が来るのを待ち構えている。

 明らかに攻め気は薄く──後の先でも狙っているのか。


 一方、ガウストは肘を直角よりも深く畳んで構えていた。

 姿勢も自然体から前傾になり、今にも相手の懐へ飛び込んで行きそうである。


 ……少しの間、睨み合いが続いていた。呼吸を合わせようとしているのだ。

 最初の一撃をどのような形で当てるのか、それが序盤の流れを掴む鍵になる。


(直撃はすまい。掠ってからの攻防が本番──)


 ガウストが動いた!

 一歩踏み出したかと思うと、二歩目の尋常ではない加速と跳び込みでルービックが構えた間合いの内側に、こめかみを狙って繰り出された右肘を受けるが間髪入れずに左膝蹴り、これも鳩尾みぞおちに触れる前に掌でおさえ、

「(ぐ……!)」

 、ごく短い腕を引く動作テークバックからほぼ肘の伸展動作だけの右の拳が、意識の薄い左脇腹を軽く突き刺さしてきた!

「……チッ!」

 さらなる追撃を警戒するルービック、咄嗟とっさに脇を締めながら上体をらすが、

(っ……!?)

──その時、、地に着かず、再び振り上げられた左脚それ胸倉むなぐらつかむように触れると、そのまま突き押されて後方へ蹴り飛ばされた!


「ぐお……!」


 人間とはこれほど簡単に吹き飛ぶのか。彼女を知らぬ者は面食らったに違いない。


 先日、身をって体験したジュリアスですら呆気あっけに取られてしまったのだから。

 むしろ、あれだけ体勢を崩されても転ばずにこらえて着地したのは、敵ながら見事な体幹だと感心するほどだ。


「ふっ……これで衰えたとは──ぐふっ!」


 数歩歩いてガウストに近付こうとしたルービックはむせたように咳き込むと、

脇腹を押さえて項垂うなだれる。


「不思議なものだ……内臓など、あってないようなものなのに、痛みのような衝撃が破裂したわ……!」

「……無事なのですか?」

「うむ、軽いな……もう、痛みは感じない──支障はない。つくづく、妙な肉体からだよ。どのようにすれば死ぬのやら……おそらく急所でもあるのだろうが」


 ちらり、とルービックは"血"のアンテドゥーロをうかがう。

 しかし、彼女は大人しく眺めているだけ……先程までと打って変わって、不気味なまでに無言を貫いていた。


「首をねるか、心臓のような核でも破壊するのか……いずれにせよ、この程度の"毒気どくけ"では意味が無い、というのは収穫だな」


「……もう少し、蓄積が必要だと」

「内部どころではない、腹を爆裂させるくらいでよかろうな」

「──では、そのように」

「うむ。かかってくるがいい」


「(……"毒気"?)」


 聞き慣れない単語に、二人は解説を期待してジュリアスの方を見る。


「(……うん? 俺にだってよく分からんぞ。ただ、先日手合わせした時に思い当たるような攻撃は食らったかな)」

「(攻撃?)」

「(──そう。肉体の内部から抜けてくるような……"風の痛打ウインドブラスト"の直接打撃に近い、というかな。おそらく、爆発するのような魔力を打撃に仕込んで、同時か時間差で破裂させてるんだろうと思う。ただ──)」

「(ただ……?」)

「(いやまぁ、それだけじゃないだろうって気がしてるだけさ。それは一部であって全貌ぜんぼうではないってな)」


 ──ガウストとルービックが至近距離で打撃の応酬を再開した。

 どちらの打撃も傍目には鋭く速いが、一方で双方ともに殺意は感じられず、共同で何かを探るような──その様は、まるで稽古のようにも見えた。


 "血"のアンテドゥーロからすれば、そのような状況が面白い訳がない。当然、二人の意図だって見透かしているだろう。

 今までの感触なら、とっくに癇癪かんしゃくの一つも起こしているはずだが──


(そろそろ何かしでかすと思うんだが……一向に動かねぇな)


 ジュリアスが、正騎士ライルと宮廷魔術師ノーラが、目前の戦いではなく、背後にいる"血"のアンテドゥーロを注視していた。

 彼女が何か動きを見せれば、すぐに対処できるように──である。

 彼女は口元を片手で隠し、小声で時折、何事か呟いているような……しかし、声が小さすぎて内容までは分からない。


(あんな仕草は今まで見せなかった……何を企んでいるんだろうな)


 ジュリアスの注ぐ視線が厳しくなる。何か、きっかけあれば──


「がはっ……!」


 ──その時、ルービックが大きくって後退した!

 ガウストの「かかれ!」という掛け声と共に放たれた魔拳がルービックの掌で受け止められた時、それまでルービックの体内で血液のように巡っていた"毒気"がついに反応して、内部で炸裂したのだ!

 回っていた毒は一点ではなく、全身に及ぶ。致死量である。それが破裂した。

 人ならば死ぬ。即死である。


「我輩は死……死なんのか……?」


 ──しかし、それまでだった。

 体に力が入らない。立っているのも、やっと……いや、だらしなく尻餅をついた。 

 すると、もう立ち上がれない……


 結局、ルービックはガウストに全く歯が立たなかった。

 周囲にどう見えていたかは知らないが、彼は本気だった。本気で殺そうと仕掛けていたが、どれもいなされていた。実力で敵わなかったのだ。だが、それも当然の事。


 何故ならば、彼女を含めた五人は彼らの最高傑作なのだから……

 そして今もそうでなくては、


 ルービックは満足げに、うつむいたまま静かに笑った。

 この心情を誰にも悟られたくなかったからだ。


「……決着か」

「そのようだね。随分とあっけない……いや、つまらない結末だったね。さて──」


 "血"のアンテドゥーロは言葉を続ける。


「僕には二つ目的がある。ひとつは組織の人間から命ぜられた使命と、もうひとつは僕個人の自己中心的な悲願だ。どちらも当初の計画通りとはいかず、紆余曲折の末、目標から遠ざかってしまったのは残念だけれど──」


 "血"のアンテドゥーロは数歩、城側へ歩み寄ると左手を胸の前にやりながら右手を短剣に見立てて、魔力で強化した爪でもって鋭く手首を斬り払った!

 飛沫しぶきを合図に、だらりと垂れ提げた彼女の左手から滴り落ちる鮮血がを──作る前に、正騎士ライルが既に飛び出していた!

 距離を詰め、(抜剣と同時に首をねるのは容易たやすいが──)しかし、事態はライルが逡巡しゅんじゅんするよりも先を行っていた!


『レゴラ! カ・レリク・ヒメコ・リ・テアム! 我が血の海より、姿を現せ!』


 (早い!)──間に合わない!

 まさか、彼の速度を以ってしても間に合わないとは! これは完全な誤算だった、二歩遅れた彼の視線の先は彼女の足元にあり、そこには(しまっ──)


 単眼。何かの生首。黄金色。雄牛のような双角が生えた豚の生首。単眼の。

 それは水牛のような体、豚に似た頭に雄牛のような角、何より特徴的な瞳は単眼でくすんだ黄金色をしているという。

 ──その名をカトブレパス。

 邪眼の魔獣で目を合わせたものを呪い殺すという。その眼に見入られた者は全身が硬直し、肉体が機能不全におちいる。臓器や筋肉が働かず、強力な暗示を退けねば、そのまま死に至る──そのように知られている。


「(うっ……!?)」


 ライルの硬直しかけた身体を背中から何かが押し込んだ、軽く押されるだけで彼は平衡へいこうを崩し、鞘と柄に手をかけたまま、地面に倒れ込んだ!

 ……彼を突き倒したのはジュリアスである。そして、やや離れたところから彼女の足元にある生首の目撃し──

 ライルに異常をもたらしたのが、なんであるかを今更に知った。


「とりあえず、無理矢理せさせたが……状況はよろしくねぇな……」


 しかし、あのまま目を合わせ続けるよりはか。目線さえ外せば──

 暗示も一瞬ならば、命に別条はない……はずだ。

 "血"のアンテドゥーロは邪眼の魔獣カトブレパスの頭を踏みつけて、地面で視線を封じている。


「ごめんね。話すべきことはもう少しあるんだ。実力行使は、その後で」

「……この期に及んで、何を話すって言うんだ?」


「──真相さ」

「……真相?」


 「そうさ……君ら三人は既に知っている事だが、アンテドゥーロは一人じゃない。だが、鉄の国ギアリングの諸君には教えただろう? 教団から離反者がいたと。それは閂の国スフリンクに潜んでいる、ともね。使者は関係国に一人ずつ派遣したなら、三国で三人だ。しかし、。……では、他のアンテドゥーロは何処へ消えたのか?」


「……大方、お前が始末したんだろう?」


 ジュリアスは何の確証も無く、彼女の性格を考慮して当てずっぽうに答えた。


「──そう、その通りさ! まず鉄の国ギアリングのアンテドゥーロを始末してなりすまし、次に閂の国スフリンクのアンテドゥーロに手をかけ、この国で起きた事件の犯人が閂の国スフリンクに潜伏中の離反者の仕業であるかのように誘導した。……あとは、豊穣の国ラフーロのアンテドゥーロをおびし、閂の国スフリンクの離反者と同士討ち──相討ちしたと見せかけて国に帰還するつもりだった。本当はそこの女もその時に利用するつもりだったんだ。敵の敵は味方、というだろう? 残念ながら、計画は頓挫とんざしたけどね。答え合わせをすればなんて事はない、アンテドゥーロが実は四人(三国の三人+離反者)いた事も含めてね……」


「……それが、お前の悲願ってやつか」


「偽物が本物に成り代わる機会も手段も限られるからね。僕は貪欲どんよくではあったが、小賢こざかしくはなかった。しくじった以上、何処かに爪痕つめあとくらいは残しておかないと、悔しいじゃない? 願わくば、僕の名も覚えてくれると嬉しいかな。──君達の名は? 僕は"血"のアンテドゥーロ。名前を覚えてくれたお礼に、僕も君達の名前を忘れないようにしよう」


 彼女はジュリアスと──そばのディディー、そして、ゴートを見つめた。


「ゴート。僕は、ゴート=クラース」

「ディリック=ディオード……」

「……ジュリアスだ」


 三者三様。ゴートは真摯しんしに、ディディーは流されるよう、ジュリアスは渋々といった感じで名乗り上げる。


「ジュリアス、ディリック、そして、ゴート。ありがとう。覚えておくよ」


 "血"のアンテドゥーロは邪眼の魔牛カトブレパスの頭を踏みつけて地面に視線を向けている。

 彼女の腕から滴り落ちていた鮮血は大地に触れると反応してどす黒くなり、足元の芝生は暗黒に呑み込まれてしまい、黒いうずのようになっていた。


「それじゃ、最後の仕上げをしよう──」


 ジュリアスが即座に身構える!

 しかし、"血"のアンテドゥーロは魔獣の角を自らの足で引っ掛け、生首を動かして

 つまり、邪眼の魔獣カトブレパスを呼び出したのは事態の打開ではなく──


「自決用かよ!」


 ジュリアスが批難ひなんめいて叫ぶ!

 その時、彼女の一番近くにいたライルが気力を振り絞り、立ち上がった!

 ──いまだ呼吸もままならず、一振りが限度。

 魔獣の生首から細い腸のような命綱が、黒い渦の中心から伸びていた。

 ……狙うのはだ! ライルは彼女の元へがむしゃらに駆け寄ると、足元のその細い命綱を一閃! 剣は地面をこすった反動であらぬ方向へ飛び、魔獣の首から黒い血飛沫ちしぶきが噴き上がるのを視認して──彼は前のめりに倒れて、そのまま気を失った。


『御苦労様。でも、もう遅いよ』


 肉声ではなく念話テレパスでもって、"血"のアンテドゥーロは周囲に伝えてくる。そして、芝居がかったように大仰に──彼女は芝生の上へ、仰向けに倒れる。

 既に暗示はかかったのだ。呪いに抵抗すれば助かるかもしれないが、彼女の目的を考えれば試みる訳がない。

 しかし、邪眼とはいえ呪いなのだ。

 神の力を借りる、神の奇跡を模倣する神聖魔法ならば解呪する手立てもあるが……


『ああ、僕はこのまま死なせる方が君達に利する事になるから、下手に延命させない方がいいよ』


 だが、それに先んじて"血"のアンテドゥーロは釘をさしてくる。

 その時、彼女より一足先に、声にならない断末魔を叫びながら魔獣の首が蒸発して消え去っていった。


『そう、僕は間も無く死ぬ。呼び出されたものと同じように……清算の時間だ、僕は地獄に還るとするよ……この国で犯した罪は死をってあがなって……終わりだね……それでは、御機嫌よう……』


 ──"血"のアンテドゥーロが事切れた。

 これで終わりなのか、それともまだ何か、起こるというのだろうか?

 一息つくにはまだ早い、という気がしていた。


「奴は逝ったか……」


 地面に腰を落ち着けたまま、動けずにいたルービックが独り言のように呟いた。


「何……!?」

「そう驚かずともよいだろう。我輩もまた、奴のように消え去るのみだ。あと僅か、数分も持つかどうか──」


 ルービックはそう言って自嘲するが、ジュリアスの表情は深刻なままだ。

 彼と同様に宮廷魔術師のノーラもまた、厳しい表情をしている。


「何か…………?」


 魔術師二人の異様な雰囲気を察知し、思わず問いかける。

 ──ジュリアスは何を言うべきか考え、ルービックに告げた。


「……いや、いい。それよりもだ。あと僅かしかいられないなら今の内に伝えたい事を伝えろ。アンタでも、ガウストからでも、どちらでも。折角の機会なんだ、未練を残さないようにな」


「……いいのか?」

「いいさ。アンタから得られる情報は何もない。気にすんな……」


 そう言って、ジュリアスはルービックと、彼の傍に寄り添っていたガウストの二人から目を逸らした。


 それよりも……警戒すべきものが、他にある。

 彼は注意深く、"血"のアンテドゥーロの死体に歩み寄っていく……その後ろ姿を、ガウストは見ていた。


「最期に何か言い残せと言われても……いやはや、困ったものだ」


 ルービックは苦笑する。


「時にガウスト。お前を除く四人は息災か……?」


 師父の問いに対し、ガウストは微笑を浮かべて返す。


「……皆、元気にやっています。ユニオンに住むスベクとトワから聞いた話ではリジとレイズは海を渡り、レイズはデルタ島で悠々自適に暮らしているそうです。リジはデルタ島からさらに西の"神秘のミスティック大陸プレート"へ。それとスベクとトワの二人の間に子供が生まれました」


「ほう……あの二人が人の親か……」


「皆が今、日の当たる場所を大手を振って歩けているのは、師父達の配慮があって

こそ。感謝しています」

「ふっ……元々は薄汚い大人達の、子供じみた意地の張り合いよ。別に上等な理由があった訳ではない。ただの浅慮せんりょだよ」

「それでも。師父達に守られたからこそ、我々の人生には今があるのですから」


 ルービックが微かに笑う。……そして、いよいよ彼の肉体が崩壊し始めた。

 傍目はためには天にされる様が可視化されたかのように──白煙をあげて蒸発し始めているのだ。


「お別れだな……いよいよ、この肉体の命数も尽きる。……と、言い忘れるところであった。。あやつらが掘り返し、へ放り込むという冒涜ぼうとくをしでかしたのでな……墓参りの必要はないと他の者にも伝えてくれ……面倒をかけるが、よろしく頼む……」


「……かしこまりました」


「では、さらばだ……」

「……おさらばです」


 ついに、ルービックの肉体が消えた。跡形なく蒸発してしまったのである。

 ガウストは、彼の肉体から立ち上っていた白い煙の後を追い──少しの間、虚空を見つめていた。


 感傷かんしょうひたったのは、その少しの間だけだった。

 彼女はすぐに立ち上がる──

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