第6話 オランデムス記念

 オランデムス記念。

 国内で開催される最大の競馬レース。


 俺はその会場へとスピララを連れて訪れる。


 準備をしてコースに出ると、観客席にいる大勢の人が視界へと入った。


「へーすっごいたくさん人がいるじゃん。たかが馬が競争するだけだってのに、こんなに大勢がわざわざ見に来るなんて、人間って変わってるね」

「競馬は賭け事でもあるからな。馬が走るのを見に来たというより、賭博を楽しみに来てる人も多いだろうな。それにオランデムス記念の勝者は国の英雄だ。英雄誕生の瞬間をその目でみたいというのもあるかな」

「ふーん。勝つとなにかもらえるの?」

「えっと、優勝トロフィーがもらえるけど」


 王女のミサルナと婚約というのもあるが、それは今回に限ったことなのでオランデムス記念の賞品とは違うだろう。


「そのトロフィーって、なんかに使えるの?」

「えっ? いや、飾っとくだけじゃない? トロフィーだし」

「なにそれ? こんだけ人が集まってる大会なのに、優勝してもらえるのがただの置物なの? 賞金くらいだしてくれればいいのに」

「ま、まあ栄誉とかあるし、それにオランデムス記念の優勝者がトロフィーに願うと望みが叶う……らしいし」

「どうせ叶ったことないんでしょ?」

「それは、ね。ただの伝説だから」

「それに走るのは馬じゃん。馬にはなにかくれないの?」

「国一番の名馬として国王から栄誉を与えられる、かな?」

「はー……ざこな大会。馬は栄誉なんかもらっても嬉しくないっての」

「そ、そうだね」


 騎手にとっては出走できるだけで大変に誉れ高いことだが、確かに馬からしてみれば嬉しくもなんともないのは、前世が競走馬だった俺にはよくわかった。


「でも、俺たちが勝ちたいのは栄誉や賞品のためだけじゃないだろ?」

「わかってる」


 俺とスピララが睨む先にいる男。

 弟のカルナタが騎乗してスタートラインへ進んでいた。


「ところでその腰についてるのなに?」


 スピララが鼻先で俺の腰を差す。


「うん? これは鞭だけど?」

「まさかそれでスピララを叩く気?」

「い、いや叩かないよ」


 鋭く睨みつけられて俺は引き気味に答える。


「まあ普通は合図を送るために馬のお尻をこれで叩くんだけど、スピララとはこうして会話ができるんだから必要無いだろ? 俺も叩くのは嫌だし」

「当然だね。こんなのでお尻を叩かれたらスピララぶちキレるし」

「ははは……」

「冗談じゃないからね? 蹴っ飛ばすから」


 たぶん本当に蹴っ飛ばされるだろう。

 しかしまあ鞭は使わないからいらない心配である。


 他の出場者が騎乗する中、俺もスピララに跨ってスタートラインへ向かう。


「ディアドラじゃなきゃマナリークの勝ちは無いな」


 ふと、観客席からそんな声が聞こえる。


「ディアドラは調子でも悪いのか? けど、代わりがあんな小柄な牝馬じゃなぁ。ディアドラの妹らしいけど、オランデムス記念に勝てる馬じゃないよ」

「それじゃあ優勝はやっぱりカルナタか」


 1番人気はカルナタの騎乗するルグドリアドだ。

 ここまで20戦20勝の無敗。しかもすべて大差で勝ってきている。


 そして同じ無敗でもレースに出たことがないスピララは最低の18番人気。


 出走経験が無いのでそれはしかたのないことだった。


「ふん。レースが終わったらスピララに賭けなかったことを後悔するからね」

「ああ」


 スタートラインへ向かいながらざっとコースを眺める。


 オランデムス記念のコースは芝の3000メートル。

 持久力が要求される長いレースだ。


 俺はスピララと共にスタートラインに着く。


「おやぁ? マナリーク? ディアドラはどうした? 具合でも悪いのかな?」

「カルナタ……っ!」


 嘲るような声音を隣からかけてくるカルナタを睨む。


「そんなチビの牝馬なんか連れて来てどうするつもりだい? 出走だけして思い出作りかな? くははっ。せいぜい弟が栄光を手に入れる瞬間を、このルグドリアドの尻でも眺めながら見物するんだね」

「栄光は俺がもらう。お前がこのレースで最後に見るのは俺の背中だ」

「言っていいるがいいさ。お前なんて、ディアドラがいなければなにもできない無能な騎手だと思い知らせてあげるよ」


 フンと鼻を鳴らしてカルナタは前を見据える。


「おい、お嬢ちゃん」

「うん?」


 誰だろうと声のした方角を見ると、カルナタの騎乗するルグドリアドがこちらを向いていた。


「なかなか良い尻をしてるじゃねーか。あとで俺様の種をくれてやるぜ。優秀な俺様の種をもらえて嬉しいだろ? ぎゃははっ」


 鼻息を荒くしてルグドリアドはスピララに言う。


 下品な馬だ。

 上に乗っている奴によく似ている。


「キモ。て言うかこっち向かないでくれる? お前、口臭いから」

「な、なんだとこのチビっ!」

「あれ怒った? こんなことで怒るなんて、身体はでかいのに中身はちっちゃいんだ。あは、どうせあっちのほうもちっちゃいんだろうね」

「てめえ……」


 ルグドリアドが目を見開いてスピララを睨む。


「これから俺様に負ける駄馬が粋がってんじゃねーぞっ!」

「粋がる駄馬って自己紹介? て言うかこっちを向くなっての。耳聞こえてんの? 口臭ざこ野郎」

「こ、このっ! レースが終わったら犯してやるからなこのチビ馬がっ!」

「スピララに勝てたら考えてあげてもいいけど。まあ無理だろうね」


 強気なスピララの態度に、ルグドリアドは小さく嘶いて不機嫌を露わにする。


 こんなでかい牡馬に対してまったく臆さないスピララはたいしたものだ。

 しかしこれくらいの豪胆さがなければこのレースに勝つことはできない。


 もうすぐレースが始まる。

 俺は緊張する手で手綱をグッと握りしめ……。


 係員が旗を振る。


 それとともに18頭の馬が一斉にスタート。

 先頭へはカルナタのルグドリアドが進み、それに何頭かの馬が続いてそれを集団となった馬群が追う。

 スピララはそれのさらに後方からのスタートとなった。


「ちょっとあの口臭が先に行っちゃってるじゃんっ! 早く追いつかないとっ!」


 前に行こうとするスピララだが、しかし俺は手綱を緩く引いてそれを留める。


「落ち着け。まだ前に行かなくていい」

「どうしてっ?」

「このレースは長い。中盤まで足を溜めて、最後に抜けばいい」


 スピララは出足があまり良くなく、中盤からのってくるタイプだ。

 スタミナもあり、本領を発揮できる中盤から終盤に勝負をかけるのがベストだと俺は考えた。


「ん……マナリークがそう言うならわかった。従うって言ったもんね」

「良い子だ」


 スピララの首を撫でる。と、


「うん?」


 同じく後方を走っていた5頭の馬がスピララを囲む。


 不自然だな。


 ただ群れてしまっているわけではない。5頭ともこちらのペースに合わせて走っているような、そんな走り方だった。


「……お前ら、もしかしてこちらをマークしているのか?」


 有力馬を囲んで前に行かせないということは稀にある。

 最低人気のスピララをマークなどするはずは無いと思うが、これは明らかに意図を持って囲んでいる状態であった。


「悪いな。先頭のあいつから金をもらっていてな。お前を前には行かせない」


 先頭のあいつ。

 名前を聞かなくてもわかることだ。


「どうせルグドリアドには勝てないしな。だったら駄馬を囲んで金をもらうほうがかしこいってもんだろ?」

「最低人気の馬をマークする意味なんてないと思うが?」

「ははは、確かにそうだ。けれどあいつはあんたを最下位にして恥をかかせたいようだ。だから最後までうしろを走ってもらうぜ」

「それはどうかな?」


 俺はスピララを左右へと蛇行して走らせる。


「そんなことをしたって逃がさないぜ」

「逃げないさ。まだ」


 蛇行するスピララに5頭の馬はぴったりとついて来る。


「そんな走り方をしてたら途中で体力が尽きるんじゃないか?」

「ばててくれたほうがこっちは楽だけどな」

「……」


 忠告も無視して俺は左右へと動きながらスピララを走らせた。


 そのまま中盤へと差し掛かったとき、


「ぐ、うう」

「こ、このっ!」


 スピララを囲む5頭の馬は明らかに疲れ切って荒く息を吐く。

 騎手たちはそんな馬を走らせるのに苦労しているようだった。


「そろそろ仕掛けるか。疲れはあるか? スピララ」

「ぜんぜん。ようやく身体が温まって良い感じで本気出せそう」

「よし、じゃあ……行けっ!」

「おしゃーっ!」


 俺の言葉に従ってスピララがスピードを上げる。


「こ、こいつここまであんな走り方をして来て疲れてないのかっ!?」

「くっ……逃がすかよっ!」


 5頭が必死な様子でスピララを囲んでこようとするが、


「ざこどもどけぇーっ!!!」


 スピララが大声で嘶くと、5頭の馬はビクリと身体を震わせて離れて行く。

 そのままマークを突破したスピララが先頭を目指して疾駆する。

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