第2話 共同戦線
紫煙がくぐもったように漂う。
彼女の身体は柔らかな曲線を描き、肩からのぞかせる肌は乳白色であった。胸はふくらみがあり、その形はふっくらとカーブを描いていた。
更に特徴的なのは頭から胸まで血を被り、二尺三寸はある刀身に丸い黒鍔を飾った刀を右手に握っていることだ。状況を見るに、逃げ込んできた獣を追い詰めたのはこの少女だろうと東雲は推察した。
(であれば、正常な人間であり、依頼を受けてきた者か)
思案しながら暗闇に身を置いたまま、少女に言った。
「この男を追ってきたんですか?」
鋭く、清々しく、力強い男性の声が少女の耳を包んだ。その声はまるで、鉄を削り出したかのような響きで、聞く者を圧倒していた。
「そうよ。あなたはもう一人を?」
「ああ、君の取りこぼしも含めて、私が制圧した」
少女の顔には、感謝と悔しさが入り混じった複雑な表情が浮かんでいた。口元には笑みを称えながら、かすかな震えが感じられた。彼女は自分自身に対しての後悔、そして他者への感謝を同時に感じていたのだろう。
「ありがとう。おかげで被害は防げたわ」
東雲は彼女の気丈なふるまいに舌を巻いた。
「すまない、少々大人げなかったか。見たところ怪我はないようだが」
「大丈夫、自慢のコートが黒焦げになっただけよ」
はにかみながら少女は答えた。あどけない笑顔が彼女の持つ雰囲気とはズレた印象を与える。この少女はただものではないと彼は心の中で思った。
彼は闇の中から月明かりへと場所を移した。
黒髪は短めに刈り込まれ、清潔感がある。静かな瞳は深みがあり、感情を控えめに表現している。大きい喉ぼとけは若干目立つが、逆にその存在感が魅力的に感じられる。身長はやや高めでスリムな体型をしており、服装はシンプルかつスタイリッシュな仕立てであった。
「君も私と同業かな?」
意味を図りかねる、という意味を込めて少女は首をかしげた。少しの沈黙を置いて彼は言った。
「君はこの件の依頼主から仕事を受けてきた者ではないのかね?」
この世界では能力があれば何歳からでも仕事を受けられる。早いもので5歳の頃から自分の特技を生かして社会に価値を提供する者もいる。
「違うわ。ここへはお友達の噂を聞きつけてやってきたの。なんでも才能を潰す薬をこの港で売買してるとか。実際、不審者を見たって話も聞いてたし」
白く輝く毛先を指でくるくる回しながら得意げにこたえた。
「そんな理由で……危ないじゃないか」
「危険は百も承知よ。私の才能を活かすなら、こういった機会を逃すわけにはいかないのよ」
少女は興奮しているのか、口早に説明している。東雲はこの少女を気に入り始めた。挑戦、それも自分の意志で、己が精神のために動く人間を好んでいた。
しかし、その感情は大きな自己矛盾を孕んでいた。彼はその事実に眉をひそめた。続けざまに彼女は言った。
「今度はこちらから質問いいかしら。その人たちは何?同じ人間とは思えないけど」
「察しの通り、人ではない。恐らく動物を基に土魔法で作った人形だろう」
「炎魔法を使っていたわ。土人形が別系統の魔法を使うかしら」
「なら、術者は高度な土魔法の使い手だったってことさ」
「聞いたことがないわ」
彼は地面に横たわる人形に手をかざした。淡い光が徐々に包み込み、やがて人形は音を立てて崩れていった。土の塊がゴロゴロと転がる中、脈打つかたまりがこぼれ落ちた。それは成人男性の手で鷲掴みにできるほどの大きさだった。
少女は冷ややかな視線を地面に落とし、ピクリとも動かなくなった。
「心臓……人の心臓なのね」
自身の胸の音を聞きながら、その鼓動と同じものが目の前にあるのだと確信した。動悸は早くなるが、それでも彼女は超然とした姿勢を崩さない。東雲はつぶやいた。
「驚いた。まさか人の心臓を使って……そうかそれなら可能性はある」
彼は身震いをした。少女は彼の震えを感じ取り、様子をみやると、どうも恐怖心から震えているわけではないと感じた。
「なにか知っているの?」
彼女は疑わしそうな声色で問いかけた。
「知ろうとしているところさ。この区域、ダンドルベルケンの秘密をね」
「ダンドルベルケンの……?」と、彼女が問いかけた。東雲は懐から薄い黒箱を取り出し、中から煙草を一つまみして答えた。
「それは、この街の裏で行われている秘密の実験だ。どうやら、人体実験も行われているらしい。この心臓も、その実験の一環だったのかもしれない。この街には、そういった危険な秘密がたくさんある」
少女は丸い瞳をひと際大きく広げて東雲を見つめた。
「そんなことがある?私が知らなかっただけで、この街にはこんな闇があったなんて……。でも、それは……あまりに唐突よ。聞いたことだって」
東雲は煙を押し出すついでに、深いため息をついた。少女は自身の口を閉ざし、彼に希望の言葉を求めた。
「この街では、そういった秘密が隠されている。しかし、それを口にすることは危険なことだ。ダンドルベルケンは、個性を、才能を尊重してきた。それが仇となっているんだ。各々が自分を売り出し、才能のあるものは誰もが独占的な立場を確立した。
考えてみたまえ、誰もが価値を発信できるようになったら、いったい誰がその価値を受け取る?ほとんどいやしないさ。いたとして、それは非常に利己的な理由からだ。その精神が才能を伸ばし、また他の者を拒絶する。
これは持つ者と持たざる者の争いじゃない。持つ者同士の不毛な戦いさ。彼らは自分たちを守るために、手段を選ばない。もし、私たちが彼らの秘密を知ってしまったら、全力で排除するだろうよ」
東雲の言葉に、少女は静かに頷いた。
「でも、それでも闇を暴かなければ。この街を守るために、ダンドルベルケンの秘密を暴くわ」
少女は少し考え込んだ後、彼に向き直った。
「だって私は……この街が好きだから。あなたは、私たちを助けてくれますか?」
東雲は、少女の目を見つめながら、深くうなずいた。
「もちろんだ。私はダンドルベルケンの闇を暴く。そのために、ここまできたんだ」
「私も協力するわ」
少女の瞳には頑として譲らない意思が見えた。彼女自身の世界を守るために、燃え盛るような闘志が血濡れた髪と共に揺らいで見えた。
東雲はためらう様子もなく承諾した。
「わかった。危険な仕事になるが、覚悟はできているんだね」
「もちろん!よろしくね、好青年のお兄さん」
二人は仲睦まじく笑い合った。深淵に共に沈んでいく相棒を、その名前すら知らなかった事実に笑い合った。
「好青年とはありがたい。私は東雲ヒガン。よろしく、美少女のお嬢さん」
「美女にとって、外見をホメられるのは対価であってギフトにはならないわよ。まあ!そんな難しそうに笑わないで。ジョークよ。1割はね。私はルナ・アーデル。シノ・ノメヒガンって変わった名前ね、ノメヒガンなんて聞いたことないわ」
東雲は間違いを指摘しながら日本で生きていたころを、今や別物となった世界のことを思い出していた。
(あっちの世界でも個性は素晴らしいものとされ始めていた。その先を行ってるはずのダンドルベルケンが、結局争いになるのか……)
吸い殻を携帯灰皿に入れ、東雲はさざ波が聞こえるほうへ目線を送った。月と水面、その間に広がる暗闇は二人の行く末を暗示しているかのようだった。
二人は帰路の道中を同じくして、会話を続けていた。
「さあて、お家に帰ったらまずはお風呂ね。待ち遠しいわ」
「だろうね。私もくたびれた。まずは一汗かいた身体を洗い流したい気分だ。シャワーを浴びてそれから」
「それじゃあもったいないわ!先にお湯につかるのよ」
「ルナ、それだとバスタブが血まみれじゃないか」
「それがいいのよ。透明な水が血で侵されるさまは見物よ。シノンも浴槽から入ること。いいわね」
彼女の天使のような笑顔は、まるで空から光が降り注ぐかのように、暗い街頭を明るく照らし出す。血糊のついたの東雲の頬を指で優しくつまみながら、約束を破らぬよう脅迫している。
彼は彼女の癖に舌を巻いていた。指先の軽い触れ合いが、心地よい快感を与えてくれる。また、指先の感触から、彼女が本気であることは想像に難くなかった。
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