四話 佐々木茅 『オセロ』 part1

―― 高一 七月二十日(木) 六限目 ――


 学業成績トップの人が下位の人を嘲笑っていたとき、ルックスのいい人が他人のルックスを揶揄したとき、喧嘩の強い人が弱い人を虐げていたとき、人が人の悪口で盛り上がっていたとき――私はそういう現場に遭遇すると心の底から安心する。


 人間って本来、それを楽しいと感じる生き物だよね――そんな自己肯定感みたいなものが湧き上がってきて、心が洗われる。

 その矛先が自分に向いていなければの話だけれど。


 そういう人たちは本能のまま生き、死ぬべくして死んでいく。

 自分がどういう存在なのか深く考えたりはしない。

 悪でもなければ善にもなりきれない――ちっぽけで独りよがりな生き物。そういう類の人間。


 重要なのは、自分もその例外ではないということだ。


 委員長などという面倒な役目を引き受けているものの、私の本質は独善的で快楽主義的な何かである。これはファッション的な自己嫌悪が根底にあるのではなく、そう自覚せざるを得ない経験から、直感的に弾き出された答え……つまりは一種の真理として人格の基礎を成しているという意味である。



「この問題はちょっと……あれなので……じゃあ小野寺。問3、前で解いて」

「あ、はい」



 その経験とは中学一年の頃に私のクラスで行なわれていたいじめに関係したものだ。といっても直接それに関与したわけではなく、その渦中にいた人物に影響されたという意味。



 その人物とは、三品みしな恋頼こより山内やまうち深雪みゆきの二人である。



 三品はいわゆるカースト上位の生徒だった。

 尖った発言、派手な髪色、チャラチャラした態度、度を超えた身内贔屓、群れたがる気質。そして誰かをいじめることで仲間の結束を強化するというコミュニケーション形態――それは遥か昔から人間に植え付けられた習性と言っていいのかもしれない。

 三品はそれに従順な人間だったと評するべきだろう。


 対する山内さんはというと、恥ずかしがり屋で、声には覇気がなく、いつもおどおどしていて、おまけに背が低い。典型的なコミュ障で、理想的ないじめられっ子だった。

 私が三品のようなあからさまな人間だったなら、まず間違いなく標的にしただろう。

 彼女は何をするにも嗜虐心をくすぐる人材で、いじめられるということに関しては一級品の魅力を持っていたと思う。



 そんな二人が同じクラスになったら……なんて、考えるまでもない。いじめ、いじめられの関係になるのは時間の問題であった。


 きっかけはよく覚えている。

 あれは林間学校の大浴場でのこと、三品とその取り巻き二人が山内さんの体を押さえつけて無理やり陰毛を剃るという鮮烈な事件が起き、そして女子数人が噂を広めた――ここがターニングポイントだった。


 いじめへの第一歩は愉快な噂である。


 その空気が集団に蔓延することで、いわゆる不文律が形成され、こいつはいじめてもいいんだと集団単位で認識するようになる。〝いじめ〟という身内ネタが飛び交うようになる。


 山内さんに対する下品なあだ名が出回り、噂は徐々に拡散していった。一週間も経ったころには男子へも情報が回っており、誰もが認めるいじめられっ子になっていた。

 彼女はそれを笑い飛ばせるような人物ではなかったし、助けようとする人物も現れなかった。


 そして当たり前のようにいじめは過激化した。


 山内さんは三品を含む六人のグループから奴隷のように扱われるようになり、またそれに直接関わろうとしない人たちも意識的に彼女から目をそらすようになる。

 孤立し、八方塞がりとなった山内さんは三学期の始業式に来ないまま不登校となってしまった。


 少年漫画の世界であれば品行方正な委員長キャラが助けに来るだろうが、そんなことは起きなかった。


 なぜならここは現実だから。


 清廉潔白で正義感の強い人が必ずしも委員長になるわけではないし、そういう人がクラスに一人もいないという状態が生じうる。そういう可能性が横たわっている。それが現実だ。


 ちなみに当時の委員長は佐々木茅という女で、我ながら正義感など全く期待できない人物であった。



「先生ぇ~、何にもわかりませーん。解き方教えてぇ~」

「小野寺が黒板に書き終わってから解説するから、まずは自力で頑張んなさい」

「うえぇ~~」



 なぜ山内さんを助けなかったのか。


 もし他人にそう問われたら『三品とその取り巻きが怖くて、巻き込まれたくなかったから』と答えるだろう。それで大半の大人たちを納得させることができるのだからそうしない手はない。

 それに私以外の傍観者たちの内心は大体これだ。それを代弁することはコミュニケーション戦略的にも正しいと言える。


 そういった建前を抜きにして言えば、私はその光景をもっと見ていたかったし、山内さんと三品が創り出すを撮影して残しておきたかった。


 なんて本能的で、背徳的で、暴力的で、卑猥な光景だろう――私は本気でそう思ったし、当時は何度も夢に見た。抵抗する力を奪われた山内さんと容赦のない三品、そしてそれを眺める自分――私にとってみれば、寝覚めが良いタイプの夢であった。


 その反面、自分の本性がこれだと自覚させられてそれなりにショックを受けた部分もある。

 いじめが始まった日から数か月間、突如として正体を現した自己と、そこから湧き出すあらゆる欲望や衝動に戸惑い、押さえつけるのに苦心したりもした。どうあがいても集団倫理と相容れないそれを持て余し、着々とフラストレーションを溜めていった。



 結果、私は自分に打ち勝ったと言っていい。



 なぜなら私に抗っていた佐々木茅は溜まりに溜まったフラストレーションが解放された衝撃で死んだからだ。



 今こうして何かを感じたり思考を操ったりしているのは、葛藤の末に生き残った方の自分――つまりは欲望に素直で不満を溜め込まない佐々木茅ということになる。


 私は今、その死体の皮を被って学校という演目をこなしている役者に過ぎない。



「――と、そういうことで解説終わり。ではこれで夏休みに入るわけですが、あまり羽目を外さないようにね。あ、それと念の為、休み明けに提出する課題を確認しておきますと――」



 羽目を外さないように――その忠告が身に染みるのは委員長としての責任感からか、はたまた欲望のたがが外れている自覚があるからか……こういう時、私はいつだって純然としていない。


 中一の終わり頃、私と笹島君は三品を自宅に監禁して二週間ほど飼ったことがある。


 これは駅のホームに飛び込むような突発的な感情の昂りから実行されたのではなく、半年以上の時間と労力をかけて計画された犯行であって、その目的には表と裏があった。

 表の目的は三品を懲らしめて改心させること、裏の目的は私のフラストレーションを解放すること、そして友人を守ること。


 計画を思いついたのは九月、文化祭を終えて三品からの信用を獲得したと確信した時だった。そこをきっかけに私と三品は話す機会が増え、三学期が始まるころには下の名前で呼ばれるくらいに関係性を進展させていた。


 当時の私の心は決着のついていないオセロの盤面のようにまだらなものであった。そのため三品との親密さは計画を進めるうえでの心理的な支障にもなったし、同時に背徳感と高揚感を増すスパイスにもなった。


 白と黒は敵同士でありながら、どちらも私だった。

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