第五二話 プラネタリウム

 血の散弾をかわしながら、魔導飛翔箒ブラックドラゴン隧道内トンネルを飛ぶ。


 どうやらネロの激光レーザーは外へと突き抜けていなかったらしい。青い燐光を帯びたジュリエットの目が、道の終点を知覚した。


 彼女は脚で箒を挟み込み、両手で『夜の剣』を構える。

 魔素マナ魔力オド、そして闘気を練り上げ、光の戦技を放った。


「月光──!」


 一条の光がはるか向こう、トンネルの先にある岩石の蓋を破壊。外気が向かい風となって流れ込む。


 ごうん!


 箒の穂先から大量の魔素マナが噴流した。高音域の悲鳴を上げながら、最高速に達する魔導飛翔箒ブラックドラゴン


 ジュリエットは体を持っていかれそうな加速に耐え、遂に道を抜けた。


 夜空が、目の前に広がる。

 特大の満月が彼女を照らした。


 眼下では別の光に照らされて、聖騎士達とレッサーヴァンパイア達の戦闘が繰り広げられていた。


(大丈夫そうね)


 一瞬誰かの視線を感じたものの、今は他を気にしている余裕はない。すぐ後ろに吸血鬼の真祖ヴラドレイが迫っている。


「いやはや! 素晴らしい速度だ魔女よ! しかし空中戦は私も得意だよ!」


 そして放たれる血炎の息吹ブレス。赤い墨をぶちまけたようなまだらのそれは、強酸性の危険な範囲攻撃だ。


 ジュリエットが機首を上げ、天高く昇る。箒が星屑を引きながら、息吹ブレスを回避した。

 妖気を翼に集中させ、ヴラドレイが追う。


(──っ! 振り切れない!)


 反転。


 魔導飛翔箒ブラックドラゴンが超速で降下し、黒い魔力と赤い妖気が激突する。

 『夜の剣』がヴラドレイの腕を斬り飛ばし、逆にジュリエットの脚が深く抉られた。


 二人の血飛沫が舞う。


「あああっ!」


 勝手に再生する吸血鬼とは違って、ジュリエットは能動的に治癒魔法を使う必要がある。

 彼女は痛みによって咄嗟の回復ができず、箒から落下した。


「その程度では! 我らが茨の女王クイーンオブソーンと相対しても、すぐに殺されて終わりだ!」


 ヴラドレイが獲物を追って、急降下する。さらにそれより疾くほうきが吸血鬼を抜き、彼女の手に戻った。

 ジュリエットは空に軌跡を描きながら、次手を打つ。


黒械こっかい


 黒い魔力の鎖が枷(かせ)となって、ヴラドレイの四肢を拘束する。戒めは外へ向かって体を引き裂こうとしたが、強引に飛ぶ力に負け、引き千切れた。


「こんなものに何の意味が──!」


罅輝ひびき


 びしりと、空にいくつも亀裂が走り、隙間から漏れでた光が刃へと変じた。中型の竜を容易く両断するほどの剃刀がヴラドレイを襲う。


「無駄だ!」


 赤い爪が妖しく輝き、空間の断裂を起こした。光の剃刀はバラバラにされ、小さな光の粒となって消える。


「期待外れだな魔女よ! 小細工ばかりではないか! 私を殺してくれるのではなかったのか!」


 さして効果を上げなかった魔法にジュリエットは目もくれない。複雑な軌道を飛び続けるのみだ。

 奴の問答に付き合う余裕などない。


 一瞬ごとに、夜が明るくなってゆく。


おぼろ十二連」


 今度は十二発の朧が、魔女を追うヴラドレイの前を阻んだ。

 それは互いに干渉しあい、輪郭を失いながら混ざり合い、吸血鬼の真祖を引きずり込んだ。


「ぐ、おおおお!」


 巨大な黒球の内部に、真黒い稲妻が荒れ狂う。取り込まれたヴラドレイは削り取られ、破裂し、蒸発。

 失った体は全て虚無に落とされた。

 朧は自身の力に耐えられず、ヴラドレイを腹に収めたまま内側へと崩壊してゆく。


 だが、朧が空の染みとなって消えたとき、ヴラドレイは生きていた。


「ばはああああっっ!!」


 体のほとんどを失いながらも、恐るべき速度で再生し、死にたいと願いながらも、元の姿へと巻き戻る怪物。


「今のが奥の手か!? ならばこれで詰みだな!」


 蝙蝠の羽がヴラドレイの体を包み、ねじりあげる。ぎりぎり、ぎりぎりと流線形に変貌し、豪速で飛んだ。


 軌道を急転させたジュリエットが、『月光』で迎え撃つ。直線を進むはずの戦技は、螺旋状に回転する妖気の力場に逸らされてしまった。


「くっ!」


 次の瞬間、赤い砲弾と化したヴラドレイが直撃。魔力防御と身体強化を突き破られ、血を吐き、ジュリエットは空の中をぶっ飛んだ。


「あ、あああ!」


「少年の居場所を吐かないのなら、おまえを蔓の魔女フローラの前に引き摺り出して、直接その脳に聞いてやろう!」


 生命奪取エナジードレインによって回復がままならない。夜空を墜ちながら、ジュリエットは赤い金髪の少年を想う。


(リアン……)



 オーラントの森で死の恐怖に巻き込まれたリアンを、昔の自分と重ねてしまった。

 最初は、それだけだったのかも知れない。


 そのあと、あの子の笑顔を見て胸が熱くなった。愛する人たちを殺されてから、復讐の暗闇を彷徨っていた自分に光が差した。

 そんな気がした。


 魔力の暴走で苦しむあの子を、絶対に助けたいと思った。でも自分では無理だと知っていた。

 だから悲しかった。


 大坑道で救われた時、素直にカッコいいと思ってしまった。だから目覚めてくれないあの子を見て、涙が止まらなかった。


 さらに神の器だと知らされて、リアンが消えてしまうと知らされて、絶望してしまった。


 魔力の封印と存在の隠蔽が成功した時には、本当に嬉しくて、また泣いてしまった。


 黄昏に染まる橋の上で、リアンは一枚のスカーフをくれた。一生懸命働いたお金を、自分のために使ってくれたのだ。


 あの真剣な表情に、青く透き通る瞳に、ありがとうの言葉に。心を、魂を、奪われてしまった。


 今はリアンのすべてが、愛おしい。


 だから、だから──


(ずっと一緒に居たい)



「潔く、少年を渡せ! 宵闇の魔女よ!」


 ヴラドレイが再び螺旋の砲弾となって、ジュリエットを襲う。

 魔法防御と身体強化を破られ、生命力奪取エナジードレインの副次効果によって魔法が使えない今、この砲弾を喰らえば即死は免れないだろう。


「ご冗談を!」


 しかし間一髪、単独で空に軌跡を描いていた魔導飛翔箒ブラックドラゴンがその仕事を終えた。ジュリエットの元に魔法の制御力が戻る。


 瞳に青い燐光が灯り、燃える闘気と魔力オド


 燃える、燃える、燃える。


「リアンは! 誰にも渡さないわ!」


 地面スレスレで体を反転、着地したジュリエットが全身全霊の力で『夜の剣』を振るった。

 彼女の力が赤い砲弾を瞬間的に上回り、空に打ち返す。


「ぐおおっ!?」


 必殺の一撃を弾かれ驚愕するヴラドレイを余所に、ジュリエットは天高く跳んだ。


 彼女を迎えにきた箒を空中で掴み、さらにさらに天へと昇る。


「なっ、なんだあれは!?」


 体勢を復帰させたヴラドレイは瞠目した。


 自分より遥か上空へ飛ぶジュリエットの向こうに、もう一つの月が浮かんでいるのを。


「いや、月ではない! 魔法陣か!」


 それは、魔女の想像ゆめを現実に変える、天体魔法陣プラネタリウムだった。


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