第四八話 吸血鬼は死にたい

 輪郭の定まらない極黒ごくこくの球体が、黒い電離気体プラズマを発生させながら地下墳墓カタコンベ内を破壊して回る。


 通路をえぐり壁に穴をあけ、塵芥ちりあくたを吸い込んでは、ことごとくを虚無に落としていく。


「いやはや! この魔法! そうか、キミは夜の魔女か!」


 どこまでも追ってくる『おぼろ』を回避しながら、吸血鬼は魔女の正体に思い至った。


「少々厄介だが! 私を死なせてくれるには、いささか足りないな!」


 体を半身に開いたヴラドレイが、虚空に向かっててのひらを突き出し、ねじり、閉じた。

 不可視の力によって動きを止められたおぼろが、グシャリと音を立てながら圧壊してゆく。


 大坑道で放ったそれの比ではない。全力の魔法が握りつぶされてしまった。


「──っ!」


 彼我の間で崩れ去るおぼろに目を見開き、ジュリエットは追撃を撤回。すぐさま距離を空けようとするが──


「逃さないよ」


 ヴラドレイの双眸そうぼうが、妖しく光った。


「くっ!」


 まともに目を合わせてしまったジュリエットの体が、急激に速度を失う。四肢が彼女の言うことを聞かない。


(これは、邪眼!?)


 魔力オドを高めて抵抗するが、相手の妖力を打ち消せない。闘気を燃やしての強引な脱出も、体が痺れてままならない。


「いやはや腐っても魔女、というところか。私の邪眼を見て金縛り程度で済むとは。人であれ、魔物であれ、普通は即死なのだがね。 ──ともかく、捕まえたよ」


 両手を上げ肩をすくめながら、やれやれと言ったポーズでヴラドレイが近づいてくる。


「しかしキミは本当に魔女かね? 強いは強いが、私の知る魔女の強さレベルとイメージがずれるね。夜というよりも、──せいぜい『宵闇よいやみ』といったところか」


 超越者だからこそ理解わかる尺度が、目の前の魔女を夜になりきれない『宵闇』と断じた。


「さてさて殺す前に、キミが夜の魔女なら、聞いておきたいことがある。 ──面白い少年を飼っているのだって? 貴婦人ミレディ?」


 少年、という言葉を聞いて、ジュリエットの目が冷気を帯びたように冷たくなる。


「何の、ことかしら?」


「いやいや。その目、とぼけても無駄だ。魔境の反対で、楽団われらを襲っただろう? その生き残りから情報を得ているのだよ」


(──ギネラ・イデンティラ!)


 彼女の脳裏に厚化粧の怪人がよぎった。やはりあの時、ギネラを取り逃したのは悪手だったのだ。


「内包する膨大な魔力。稲妻のような紋様。その少年はもしかしたら、神の器なのかも知れないな?」


 吸血鬼が眼前で立ち止まった。青い顔は喜色に染まり、紅い眼は弓形ゆみなりに歪んでいる。

 その手が頬に触れた。強烈な悪寒と虚脱がジュリエットを襲い、体内の生命力が奪われてゆく。


「あああっ!」


「聞けば十一年前、少年を孤児院へ預けた男は、そこのあるじに口封じの制約ギアスまでかけて行ったそうじゃないか」


 彼女は生命力奪取エナジードレインの痛苦に耐えながらも、自分の知らない情報を持った吸血鬼に驚きを隠せない。


「古い話だが、稲妻の紋様を宿した人間が、その身に神を降ろしたという記録がある。 ──そんな少年が手に入ったら、我らの目的に一歩近づくかも知れない」


「あ、あなた方の、目的とは一体、何なのですか」


 右手を胸に当てて俯き、ヴラドレイはわなわなと震える。

 そして「よおくぞ聞いてくれましたあ!」と叫び、大仰に両手をひろげた。


楽団われらの目的は神の復活と解放だ! 蔓の魔女フローラは、魔女たる運命からの解放を! 私は、全力での闘争の果てに、このせいという牢獄からの解放を望んでいる!」


 今度は左手を胸に当て、頭上を仰ぐ。

 ヴラドレイはまるで舞台に立つ俳優のように、存分にもったいぶった口調で話を続けた。


 その姿はさながら、悲劇の主人公のようだ。


「神ならば、さすがに私を殺せるだろう。最後に死力を尽くせば私の、嗚呼ああ! 二千年だ! ──人の生き血を吸い、疫病をばら撒くだけだった灰色わたしの二千年に、意味いろが生まれるかも知れない!」


 叫びが、墳墓内を虚しく響き渡った。


 大袈裟な所作で筒形の帽子ハットを目深に被り直し、呟く。不死の私が満足して死ねる、唯一の手段なのだと。

 その影からは一筋の涙が滑り落ちていた。


「夜たり得ない『宵闇の魔女』よ、キミの力では私に届かない。なればせめて、少年の居場所を吐いてくれないか」


 ヴラドレイがジュリエットの首を絞め、持ち上げる。


「あっ、くっ──」


「神の復活のために。意味のない私の命を終わらせるために!」


 邪眼による身体拘束バインド

 生命力奪取エナジードレインによる魔法発動不全サイレンス

 さらには超怪力による絞首刑ハンギング


 ジュリエットは今、絶体絶命の只中ただなかにあった。


「さあさあ! 教えてくれれば、このまま楽に死なせてやろう! でなければ、理性なき我が眷属へと堕とすのみ!」


 ヴラドレイが、尖った犬歯けんしを剥き出しにする。


 しかし零距離。


 圧倒的な零距離。


「ネ……ロ……」


 ジュリエットは薄れる意識の中、掠れる声で愛猫の名を呼んだ。


 同時に、彼女の胸が輝いた。


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