第四五話 怪異! 吸血鬼!

 最後の玄室をあとにした一行は、守護者ガーディアンの居た大空洞を抜け、来た道を逆に戻っていた。


 相変わらず最後尾を歩くジュリエットに、先ほどたっぷり絞られたラナが謝罪をしてきた。


「その、悪かったな、──あんたに失礼な態度をとっちまって」


「いいえ、別に気にしていませんわ」


 ジュリエットは多少根に持ってはいたが、仲間を弔った際に泣いていたラナの姿を見てしまったので、邪険にする気は失っていた。


「さっきも助けてもらったのに、面目ねぇ」


 きっと、大切な人だったのだろう。その人が死んでしまって、ラナにははやる気持ちがあったのかもしれない。


 自分はどうだろうかと、ジュリエットは思う。


 唯一血の繋がりを残したロゼッタが。

 決して自分を否定しないマリアが。

 世話好きで優しいティーリスが。

 いつも見守ってくれるアデスが。


 明るい笑顔で照らしてくれるリアンが。


 誰か一人でも死んでしまったら、正気を保てないかもしれない。


(リアン……)


 ジュリエットは、首に巻いたスカーフをそっと撫でた。


「な、なあ、Jの字って呼んでもいいかい?」


「その呼び方はちょっと、やめていただきたいですわ……」



 先頭を歩いていたフェリオが、ふいに手を上げて皆を制止した。アルバートが何事かを問う。


「どうしたんだいフェリオ?」


「なんか居やがるぜ、──また屍鬼グールか?」


 一行は泉の広間に近づいていた。先ほど冒険者の骸を弔った場所だ。


 広間からかすかに聞こえる荒い息遣いと、ぴちゃぴちゃという音。

 燭台の火に薄く照らされて、冒険者の骸をむさぼる二つの影が見えた。


 さらにもう一つの影が泉のへりに腰をかけ、その光景を眺めているようだ。


「よしよし、残さず食べなさい。乾いた血でも、ここでは貴重な食料だ。贅沢はいけないよ。──お、来たね」


 まるで飼い犬の面倒をみるように話していた影が立ち上がり、聖騎士に近づいてくる。

 ゆっくりと、だが軽やかなステップで。


「やあやあ。君たちはシンダリルから来た聖騎士かな?」


 その影は、男だった。

 聖騎士たちが掲げるあかりによって、ハッキリと姿が見えた。


 黒と赤のスマートなダブレットを着こなし、黒い筒形の帽子を被っている。

 大曲がりのステッキをくるくると回して歩く姿は、昼の街を散歩するような気楽さだ。


 しかしその顔は青白く、眼球は紅い。まるで彫刻に色を塗ったような容姿をしている。

 あきらかに人間ではない。それが、人の言葉を喋っている。


 男は、怪異そのものだった。


「おやおや。やっぱり先を越されてしまったようだね」


 怪異おとこが、アルバートの持つ剣を見る。


「やれやれ。実は僕の眷属こうもりがね? 地下墳墓ここについて教えてくれたんだよ。遺物レリックがあるかもとね。ただ私は、どうにも出不精でね」


 怪異おとこは「なんて寝坊助なわたし!」と自分を憐れみながら、大袈裟な身振り手振りで話を続ける。


「やっと屋敷を出たのだが、道中で腹が空いてしまってね。近くの村で食事をしたら、こんな時間になってしまったのだよ」


 食事と聞いて、アルバートの脳裏にろくでもない想像がよぎる。


「村人を、殺したのか──?」


「いやいや。人聞きが悪いね。殺してはいないよ。ま、生きてもいないが、──ほら、こんな風に」


 怪異おとこが指を鳴らす。すると冒険者の亡骸を喰らっていた二つの影がぬるりと立ち上がり、怪異の後ろまでやってきた。


「ちっ! くそが!」


 先頭のフェリオが大きく舌打ちをした。見覚えのある二つの影は、墳墓の入り口まで案内をしてくれた狩人と役人だった。


 二人とも目は白く濁っており、理性と呼べるものは感じられない。口から下は、最早誰のものとも知れない血で染まっていた。


「ほらほら、死んではいないだろう? ──ところで、その剣、遺物レリックじゃないか? 私にもらえないかね? そうすれば彼らと同じ待遇を保証しよう」


「申し訳ないが、譲る気はないな」


 アルバートは聖剣を抜き、毅然と言い放った。


「そうかねそうかね、仕方がないな。では、まずはデザートをいただこう」


 怪異おとこが歪んだ笑みを浮かべ、一瞬で姿を消す。


「──っ!」


 音もなくラナの背後に回った怪異おとこが、その首を狙う。

 だが牙を突き立てる寸前、ジュリエットが手刀を差し挟んだ。


 ビタリと動きを止める怪異。


「おやおや? 今の速度について来れるのかね」


 ジュリエットは無視して、怪異おとこの顎を超速でカチあげた。


「ぐっ!?」


 さらに体を沈めて回転し、相手の片腕を掴むと背負って投げ飛ばした。


「おやおやおやおや!?」


 大きく放物線を描いて飛ぶ怪異おとこは、泉のへりに激突するはずが、──またも姿を消す。


 次の瞬間にはフェリオの前に立っていた。



「──あなた、いったい


 相手を掴んだ両手に力が入らない。ジュリエットは、──いや、むしろ全員が相手の正体に思い至っているだろう。


 だが、怪異おとこから漏れた言葉は、一同を驚愕させた。


「よおくぞ聞いてくれましたぁ! 私は! 楽団のマエストルゥオオオにしてぇ! 吸血鬼の真祖トゥルーヴァンパイア! デュウウゥク・ヴラドルエェイ!」


 自分が誰かと聞かれたのが、そんなに嬉しかったのか。

 怪異はわなわなと体を震わせると、大きくのけ反って名乗りを上げた。


 情報が多い上に巻き舌で聞き取りにくかったのだが、──確かに言った。


 楽団の巨匠マエストロだと。


「なっ! 吸血鬼の真祖トゥルーヴァンパイアだと!?」


 ヴラドレイと名乗った男に、アルバートやモーガスが慄く。


 違う、そこじゃない。相手は楽団の巨匠マエストロと名乗ったのだ。


 何人いるか知れないが、『巨匠マエストロ』は楽団の首魁に次ぐ実力者のはずだ。


「いやいや、すまない。人に名前を聞かれたのが久しぶりだったのでね。少々興奮してしまった」


 いやな予感? とんでもない。


(大物が釣れましたわ)


 ジュリエットの顔が、狂気と歓喜に染まった。


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