第三八話 ありがとうの気持ち
ジュリエットが消耗した
ジュリエットも、リアンの封印が無事に済むかを見届けてから出発したかったので、ちょうどいい。
マリアは封印術式の準備に取り掛かると言って、リアンを連れて客室を出ていった。
今はジュリエットと
「冥神の器。魔境の深奥にある冥府の扉と、未だ見つからぬ鍵。──少なくともロゼッタ様は、坊っちゃまが器ということには気づいていたのでしょうな」
「ええ、そうですわね。知っていて大叔母様(おばさま)は、リアンをここへ連れて来させた。神の目から隠すために。でも、アデスさんの目的とは関係がなさそうですわね」
「は。ですがお嬢様。目的が成就しても、わたくしめの主人は死ぬまでお嬢様ですぞ。それと今は、坊っちゃまもですな」
アデスは冥府の鍵を探している。その目的は自分を縛る鎖の根を断ち、悪魔の力を取り戻すことだ。
すべての理不尽から、ジュリエットを守るために。
「ありがとう、頼りにしていますわ」
執事が見せる忠誠心に対して、ジュリエットは素直に笑顔を返してみせた。
(しかし、今のままでも扱える力が必要だ。先日のようなことがあっては、お嬢様を守りきれん)
それから六日が経った。封印施術はリアンが眠る夜の間に行われ、すべての工程は滞りなく完了した。封印は完璧だと、マリアは自画自賛していた。
滞在中のリアンは、昼間に雑用をさせてほしいと願い出て、聖堂の仕事をよく手伝った。
手際が良く、気も回る少年を見て、マリアは彼を
「ジュリエット、明日は出発だろう? 今日は一日、リアンを観光に連れてってやれよ。おまえには見慣れた景色だろうけど。それと──」
観光と聞いて顔を輝かせるリアンに、マリアが五枚の銀貨を出す。
「リアン、おまえは小さいくせに中々できる奴だ。聖堂の手伝いをした駄賃をやろう」
リアンはお金が欲しくて雑用を願い出たのではない。助けられてばかりの自分に、出来ることはないかと考えた結果だった。
「マリアさん、いいんですか?」
だが、差し出された労働の対価に、嬉しさを隠しきれない。おずおずとマリアの顔を伺う。
「遠慮すんな。色をつけちゃいるが、正当な報酬だよ。とっとけ」
ぱあっと顔じゅうに笑みを広げ、リアンは銀貨を受け取った。その仕草を見て「うおっ、まぶしい!」という反応を見せる炎の聖女。
彼女は少年の赤い金髪をわしわしと撫でながら、胸を近づけて囁く。
「なあリアン。ジュリエットに飽きたら、うちに置いてやってもいいぞ」
「ええっ!?」
「リアン、行きますわよ」
それ以上は喋らせまいと、ジュリエットは
「ったく、変わったな」
妹分の背中を見送りながら、マリアは執事に声をかける。語りかけられた側は嬉しそうに「好ましいことでございます」と言って、ジュリエットの後を追った。
「ああ、わたしもそう思うよ」
聖女は一人ごち、
三人は聖王都シンダリルを巡った。
恋人たちが散歩する噴水広場と、その向こうにある厳粛な
美々しいレリーフが施された巨大な凱旋門と、雑多な露店で賑わう大通り。
百年前に建てられ、今も増築中のエレヴァリア王立美術館。
行く端々で語られるアデスの冗長なうんちくを、リアンは真剣な顔で頷きながら聞いた。
初めて見る華やかな名所を、ジュリエットと一緒に回れることが嬉しかった。ふと彼女を見ると、同じように笑っていた。
リアンは今日という日を楽しんだ。
「リアン、もうすぐ日が暮れるわ。そろそろ帰りましょう」
白と金の装飾が絢爛な橋の上で、赤みがかった空を眺めていると、ジュリエットが観光の終わりを告げた。
「えっと、ちょっと待ってね。──渡したいものがあるんだ」
リアンは唇をぎゅっと引き結び、橋の上で片膝をつく。
「えっ」
その仕草は
「ジュリエット、僕を助けてくれてありがとう。死にそうだった僕を、ここまで連れてきてくれてありがとう。──花は枯れてしまうから、代わりにどうか、このスカーフを受け取ってください」
たくさんのありがとうを込めて、胸の切なさを覆い隠すほどの笑顔を作って、薔薇の刺繍が入ったスカーフを差し出した。
これは先ほど回った露店で、リアンがこっそり買ったものだ。高いものではない。しかし、少年の精一杯だった。
「あ、ありがとう、リアン」
彼女はスカーフを受け取ると、胸の前で大切そうに包み込み、ぷいと顔を
「あれ? 気に入らなかった?」
「そうじゃないわ。鼻がムズムズするだけよ」
「え〜っ?」
「ムズムズするだけよ」
そっぽを向かれてしまい困惑するリアンに、
「大丈夫ですぞ、坊っちゃまのお気持ちはお嬢様にちゃんと届いております。ただ少し、素直ではないだけですので」
優しい言葉をくれる執事に対して、リアンは同じように感謝の気持ちを持っている。だから──
「アデスさんもありがとう。大坑道では僕をずっと守ってくれて、とてもかっこよかったです。これ、気に入ってもらえるか、わからないけど」
「坊っちゃま……」
手渡された黒のリボンタイを見て、アデスは感動のあまり、おんおんと泣き散らした。
橋を行き交う人々の「何だなんだ?」「お母さん、あれなぁに〜?」「しっ、見ちゃダメよ」と囁く声が聞こえてくる。
執事が泣き止む頃には、完全に日が暮れていた。
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