第三二話 ちょっとトラブル

 エレヴァリア聖王国の王都には、三柱の神を信仰する『三つの導きトワセイル教』の総本山があり、目的の人物マリアもそこにいる。


 トワセイル教とは、神代戦争に勝利した光の神──主に天上神アルガス、戦神マヌダル、豊穣の女神レガラ──を信仰する、エレヴァリアの国教である。


 王都シンダリルはもともと城郭都市じょうかくとしであったが、国民とトワセイル信徒の移住者が増加するにつれ、壁外に規模を拡大し続けていた。

 それに伴い、今では壁の内側が貴族街、外側が市民街となっている。


 ジュリエットらが北の市民街に到着したのは、日付が変わろうとしている頃だった。ちなみに黒馬車シャールは、王都が見えたあたりで人目につかないよう消してある。


 哨戒の兵士に気づかれることもなく、一行は石畳の街路を抜け、北の大門に到着した。この向こうにマリアがいる。


 ただ、当然ながら大門は閉じられていた。


「ジュリエット、どうするの? 中には入れないと思うんだけど……」


「そうね、いつも入っている方法しかないのだけど、とりあえず皆で行きましょう」


 無計画ノープランというわけでは無さそうだが、こんな時間である。リアンは少しの不安を覚えるものの、ジュリエットに気にした様子はない。


 大門の前には、槍を持った衛兵が二人立っている。夜の警備としてはいささか手薄だ。

 しかし城郭の上には弓を持った兵士が複数いて、少しでも怪しい動きをすれば即座に攻撃されるだろう。


 ジュリエットは堂々と大門に近づき、アデスとリアンもそれに続く。黒猫ネロはどこに行ったのか、姿が見えない。


 彼女らに気づいた衛兵が呼び止めてくる。


「待たれよ! これより先、夜間の出入りは制限されている」


 先頭を歩く女の佇まいに気位の高さを感じたのか、衛兵はぎりぎり無礼にならない程度の口調で話しかけてきた。


「お勤めご苦労様です。わたくしはジュリア・バルドー。南の自由都市フリネスで商会を営んでおります」


 驚くべき美女がやってきたことで、衛兵は一瞬固まってしまう。だが、後半のセリフに引っ掛かりを覚えて素早く意識を戻した。


「む、バルドー商会の? こんな夜半に何用か」


 バルドー商会のジュリア。これが普段使っている彼女の地位と名前だ。

 初めて聞く名前に、リアンが「えっ、誰なの?」と思うのは仕方のないことである。


 バルドー商会はエレヴァリア貴族の中でも知名度は高い。衛兵としても無碍にはできないはず、なのだが──


「実は炎の聖女マリアさまにどうしてもお会いする必要があり、こんな時間にも関わらず参ったのです」


「なるほど、しかしそういった事情であれば申し訳ないが、日中にお越しいただきたい。身分の証明となるものを持って、改めて参られよ」


「どうしても、中へは入れていただけないのでしょうか」


「この時間は、我が国の貴族以外を通すわけにはゆかぬのだ。バルドー商会のご高名は存じているが、どうか理解していただきたい」


 話は終わりだと言わんばかりに衛兵が告げる。バルドー商会と聞いても彼は譲らない。

 身分の証も確認せずに、明日来いの一点張りをできる程度には、高い役職の人間なのだろう。


 さすがに強行突破をしようなどとは、ジュリエットも考えてはいない。

 しかし一刻も早くマリアに少年リアンを診てもらいたい彼女は、苛立ちを隠せなくなりそうだ。


 主人の危うい感情を察したアデスが、代わりに問いかける。


「衛兵殿、おっしゃる事はもっともでございます。しかしこちらも火急の用ゆえ、せめて上席の方に取り次いではいただけませぬか」


「ええい、しつこい! いかにバルドー商会と言えども規則は規則だ! あきらめて明日参られよ!」


 尚も食い下がる来訪者に、衛兵は槍を両手で持つ。ここから先は通さないという身振りジェスチャーだろう。

 口には出さないが、牢屋にぶち込んでもいいのだぞと目が言っている。


 門番の荒げた声を聞いて、城郭の上に立つ弓兵が色めき立った。


 一触即発の空気が流れる。


「だいたいこんな時間に、薄汚い子どもを連れてマリア様に会わせろなどと、そんな話が通用するわけなかろう!」


 リアンの耳に、ぶちっという幻聴が届く。


「あなた──!」


 少年リアンをバカにされて抑えの効かなくなったジュリエット。彼女が衛兵に詰め寄ろうとした時、間の抜けた声が割って入った。


「あの〜、ちょっとよろしいですか?」


「なっ!?」


 衛兵が驚きの声を上げる。

 貴族街の方から現れたのは、白銀の鎧を着た騎士である。衛兵よりも遥かに高い身分なのは、一目瞭然だ。


「アルバート様、なぜここに──?」


 現れた騎士の名前はアルバート・ガルシア。この国の、レッドフィールド侯爵家の長男であり、第一聖騎士団の副団長を務めている。


 やや長めで癖のある髪は、整った目鼻立ちを邪魔しないように後ろへと流していた。加えて柔和な笑顔。

 明るい時間帯に見れば、歯がキラリと光って殊更に爽やかだろう。


「実は、というか言いにくいんだけど、炎の聖女様から書状を預かっていてね、──ジュリア・バルドー様とそのご一行が訪ねてきたら、どんな時間であれ聖堂までお連れするように。って内容なんだけど」


 聞かされた衛兵は顔を青くしている。語るアルバートも申し訳なさそうだ。


「その、遅かったようだね。あとは引き継ぐから、職務に戻ってくれて構わないよ」


 元の配置へ戻るよう言われた衛兵は、大門の脇へ立ち、物を言わぬかかしのようになった。


「ジュリア嬢。こうして会うのは二度目ですね? うちの衛兵が失礼いたしました。彼ももう少し融通が聞けば出世するのでしょうけど、──職務に忠実だったということで水に流してはもらえませんか?」


「ええ、もちろん」


 いやぁ参った。──そんな憎めない顔をして、白銀の騎士アルバートはジュリエットたちを貴族街へと迎え入れた。

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