第三十話 邪竜クリール

『なるほど、事情はわかった。美姫びきよ、まずは君の魔力オドを回復させようか』


「そんなことが出来るのですか?」


『僕にはできないけど、ほら。魔力ならここに転がっているじゃないか』


 黒竜が足元に転がるゴーレムを見やる。

 先ほどまで弱々しかった核の光は、少しずつ輝きを取り戻していた。


これたたえられているのは純粋な魔素マナだよ。割ってあげるから、散ってしまう前に全部吸っちゃいなよ』


 そう言って踏みつけ、いとも簡単にゴーレムのコアを砕く。

 紫に光る粒子が溢れた。ジュリエットは一粒も残すまいと、魔素マナの流れを掴み、取り込んだ。


わしが苦労した物を、あっさりと砕きおって」


 アデスが憮然とした顔で黒竜に抗議をする。


 「いやー、ごめんね?」などと言い合う横で、ジュリエットは少年を寝かせ、その手を絡め取った。


 取り込んだ魔素マナはジュリエットの中で魔力オドへと変わり、リアンに注がれる。


(リアン、戻ってきて。──お願い)


 どのくらいの時間が経過しただろうか。

 アデスとクリールが見守る中、少年はゆっくりと、目を開けた。


「う……」


 意識を取り戻したリアンの顔に、ぱたぱたと水滴が落ちる。


「ジュリエット? 怪我は──」


 声を発した少年を、ジュリエットは強く、強く抱きしめた。


「助けてくれてありがとう、リアン」


「えっと、よく覚えてないんだけど、どういう──」


 状況を飲み込めず、されるがままのリアンはそばに立つ老執事アデスを見る。

 彼は軽く頷き、笑顔を返してきた。


「かっこよかったわ。まるで、お伽話とぎばなしの王子様みたいだった」


 ジュリエットの力が一層強まる。


「あはは。──い、痛いよジュリエット」


「ご、ごめんなさい」


 多少の力が戻ったのを忘れていたのか、急いでリアンを離す。二人の視線がばちりとぶつかった。


 彼女の顔は、涙でぐちゃぐちゃだった。リアンが指で、その涙を拭う。

 少年の手が触れ、どきりとしたジュリエットは反射的に立ち上がり、顔を背けてしまった。


「ジュリエット、涙が……」


「泣いてないわ」


「え、でも──」


「泣いてないわ」


 図らずも彼女を見上げる形となったリアンが、今さらながらに気づく。


 それはそれは大きなドラゴンが、自分を見下ろしていた。


「うっっわあああああ! ドッドド、ドドドラ──」


『やー少年、目が覚めて何よりだ! 我は邪竜クリール! このまま気づいてもらえなかったら、寂しさで凍え死ぬところだったよ!』


「かっこいいー!」


 目をキラキラさせながら見上げる少年に、黒竜クリールはむず痒いものを覚える。


『なんとも新鮮な反応だね! まんざらでもない自分がいるよ!』


 そして四枚の翼をいっぱいに広げ、喜びをあらわにした。







 一行パーティは今、黒竜あらため邪竜クリールの頭に乗っていた。アデスが事情を話し、それならと助力を買って出てくれたのだ。


『ごめんね夜の美姫ジュリエット。僕は魔境の外に出られないから、神の山脈までしか飛べないけど』


 神の山脈とは魔境の最西端にあり、大渓谷と同じく天上神アルガスが作ったとされる。

 オーラントやブロンゲリアに住まう人々には想像もつかない話だ。


 大坑道から神の山脈までは、馬を不眠不休で走らせても四日はかかる。クリールはその距離をわずか半刻で飛ぶ。

 旅を急ぐジュリエットたちにとって、クリールの協力は有り難かった。


 ちなみにジュリエットの魔法によって、邪竜の頭から飛ばされることも、寒さを感じることもない。


「問題ありませんわクリールさま。霜の山にある転送門を使おうと考えておりますの」


 神の山脈の最高峰、それが霜の山である。


『そういえば麓にあったね』


 霜の山の転送門を使えば、山脈の反対側に出る。そこはもう、目的地エレヴァリア聖王国だ。


「ところでクリールさま、なぜあのタイミングで大坑道に来られたのですか?」


『ああ、ウトウトしていたら、どうにも無視できない魔力を感じたんだ。見に行ってビックリしたよ。君たちが出てくるんだから』


 誰の、どんな、という言葉を意図的に避けて、邪竜クリールが返答した。ただ、リアンの事を指しているのは明白だった。

 謎は多い。ゴーレムが放った「我らが神」という言葉も気になる。


 それもこれもマリアに会えばわかるのではないか。ジュリエットもアデスもそう考えていた。


 邪竜が話題を変える。


『少年! 目的地まではすぐだよ! 何か聞いておきたいことはないかい!?』


 突然話を振られたリアンは、しかし悩む素振りを見せず一つの質問をした。


「クリールさんは、女の人になれるんですか!?」


『えっ?』


「えっ?」


 予想外の問いかけに、クリールとジュリエットが素っ頓狂な声をあげる。質問の意図が分からず、大いなる竜は少年に聞き返した。


『それはどういう意味だい? その、もうちょっと詳しく教えてくれると……』


「えっと、テラミナで流行っているお伽話に出てくる竜はみんな、ぼんきゅっぼんの女の人に変身するって、孤児院の人が話していたんです!」


 ぼんきゅっぼんって、どんな意味ですか? と、弾んだ声でリアンが補足する。

 頭の上にいるので顔は見えないが、とてもワクワクしているだろうことは想像に難しくない。


『そ、そうかい。僕も長く竜として生きているけど、そんな話は寡聞かぶんにして聞いたことがないね。それに、──わかると思うけど、僕はオスなんだ』


「そう、ですか」


『ご、ごめんね?』


 しゅんとなるリアン。なぜか申し訳ない気持ちでいっぱいになる邪竜。


「ぼん……」


 ジュリエットは小さくつぶやき、自分の胸元を見る。


「おいたわしや」


 執事の声は、風に乗って消えた。



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