第二五話 黒戦車 対 魔境の怪物

 黒い馬車シャールが整地された大坑道をひたすらに駆け上る。幸い、障害物はない。ジュリエットは馬車の中から、知覚の魔力を最大限に広げていた。


 そして気づく。二千メトリ(約二キロメートル)前方から、魔物が大挙してこちらへ迫っているのを。


「お嬢様──!」


 どうやらアデスも気付いたようだ。彼は車内の窓から大坑道の奥をめ付ける。ジュリエットは目を閉じながら、魔物の気配を数えた。


「アデスさん、魔物は恐らく五十体ほど。このまま黒馬車シャールで突撃します」


 ジュリエットは自分たちを乗せる馬車に魔力を注ぐ。供給される力に応えて、黒馬の体が大きく、硬く強化された。


「お嬢様、差し出口をお許しください。今以上に魔力オドを消耗するのは、お体に障るのでは……」


「心配をかけてごめんなさいアデスさん。ですが大坑道を抜けて、そのままポータルまで走る程度の魔力は残っておりますわ」


 自分を心配する執事に申し訳ない気持ちになり、ジュリエットは素直に伝える。それは、言い換えれば余力なしギリギリということだ。


 ジュリエットは魔境中域にある転送門を使って、一気に魔境の西端に抜ける計画だ。

 転移した先で何らかの脅威が襲ってきた場合、対処する力が残っていないかも知れない。

 エレヴァリアに辿り着けないかも知れない。


「お嬢様、それは──」


 やはり今からでも遅くはない。一度大渓谷側に戻って、ジュリエットの魔力が回復するのを待ったほうがいい。

 アデスは迷うが、押し寄せる魔物がそれを許さなかった。


 目視できる距離にまで迫ったそれらは彼が懸念した通り、大坑道では考えられない程の脅威を持つバケモノどもだった。


 魔境にもトロールやグリフォンと言った馴染みある魔物は生息している。

 しかし今襲いかかってくるバケモノどもは異形にすぎるほど醜悪な姿形だ。


 こちらを捕食せんと、大きな顎門あぎとを開ける節足魔獣ズァール。

 八対の退化した目、首元まで裂けたくちばし、そして胴体に複数のかぎ爪を持つ、走る怪鳥ガズイド。

 六枚の上顎と下顎が重なり、毒々しい花びらのような大蛇ペタルペント。


 他にも数種いるようで、いずれも巨大な図体を誇る。


「来ましたわ。シャール!」


 呼びかけられた黒馬が大きくいななき、迫るバケモノどもに破壊の息吹ブレスを吐いた。

 黒き稲妻を纏った力が、先頭を走る五体のバケモノを撃滅する。


「お嬢様、前方の僅かしか倒せておりません!」


 やはり、大きく力が落ちた今のジュリエットでは、この死地を切り抜けるには荷が重い。しかし引き返すにしても、ここをどうにかする他はない。


「かまいませんわ! り潰します!」


 ジュリエットがまたも黒馬車シャールへと魔力を注ぐ。馬車の車軸から、竜の羽を広げたような刃を持つ黒い長柄武器ポールウェポンが伸びた。


 バケモノの集団と黒戦車シャールが激突する。


 黒馬の蹄が節足魔獣ズァールの外骨格を砕き、内蔵を坑道内にぶち撒ける。

 巨大な蛇ペタルペントが黒馬に巻きつき、その首を噛みちぎろうとする。逆に破壊の息吹ブレスによって頭部を吹き飛ばされた。

 横合いから襲いかかる怪鳥ガズイド竜の刃ポールウェポンによって挽肉にされた。


 肉が潰される音とバケモノの絶叫に支配された空間で、リアンは何一つ見逃すまいと、神経を研ぎ澄ませていた。


(これが、ジュリエットの生きる世界?)


 はっきり言って、楽団のアジトで見た殺戮など物の数にも入らない。それほどの破壊がもたらされている。


「リアン、怖ければ目を瞑っておきなさい」


「大丈夫だよ……」


 しかし、先日夢で見た地獄よりも随分マシだ。ジュリエットに短く応え、リアンは戦場を観察する。

 これからもジュリエットに着いていけるように。


「抜けますわ!」


 ついに黒戦車はバケモノの津波を突破した。黒馬や車体は無傷とはいかず、損傷した箇所から血のように黒い霧を散らせていた。


 黒戦車シャールの蹂躙から逃れたバケモノたちは、こちらを滅ぼさんと追い縋ってくる。

 ジュリエットは黒馬を全力で走らせ、やがて敵のかたまりを大きく引き離した。


「お疲れ様でしたお嬢様、一先ひとまず安心ですな。坊っちゃまもよく耐えられました」


 轟然と坑道を登る黒馬車の中で、ジュリエットは老執事と同じ懸念について思案を巡らせる。


(なぜ大坑道であんなバケモノが? 生息域もバラバラなはずなのに、──まさか?)


 何かに思い至り、少年を見るジュリエット。不意打ち的に目が合ってしまい、リアンは少しだけ赤面してしまう。

 そんな彼の頬に両手を添えて、ジュリエットは顔を寄せる。


 激しく動揺するリアンに構わず、鼻と鼻が触れ合う距離で少年の蒼い瞳を見つめた。


(ち、近い! キ、キキ──!)


 心臓が止まるかと思うほどの緊張の中、リアンは覚悟を決めて目をぎゅっと瞑る。


 しかし、少年が唇に期待した感触はやってこなかった。


「ん〜、やっぱりわからないわ。私が未熟なのかしら……」


(わからないのは僕の方だよ〜!)


 リアンが心の中で彼女に抗議をしていると、黒馬車シャールの速度が落ちた。ジュリエットは既に前を向いている。


 そして、黒馬車は完全に停止してしまった。


「どうしたのジュリエット?」


「残念ながら、馬車はここまでのようね」


 あれよ、と言って彼女は前方を指し示す。リアンがその指先を追うと、馬車の向こうでは坑道の天井が崩落していた。


 積み上がった瓦礫の高さは黒馬の二倍以上。どれほどの奥行きがあるのかも定かではない。


「あともう少しで出口なのだけれど、仕方ないわ。馬車を降りましょう」


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