第二四話 違和感

 坑道を進むごとに少年リアンの歩みが重くなる。今もアデスのコートを掴みながら、なんとか食らいついていた。


「少し休憩をしましょうか」


 ジュリエットは少年の体調をおもんばかって、小まめに小休止を提案した。

 リアンはそんな彼女に申し訳ない気持ちと、足手まといになりたくない気持ちから、思わず謝絶してしまう。


「ありがとう。でも、僕は大丈夫、だよ?」


「ほほ、いけませんぞ坊っちゃま。まだ先は長いのです。ここで倒れてしまっては元も子もありません」


 本当に大丈夫だからと、なおも食い下がろうとするリアンの手を、ジュリエットが掴む。


「嘘をおっしゃい。また体に紋様が浮かんでいるわ。立っているのも辛いはずよ。──アデスさん、周囲の警戒を」


「かしこまりました、お嬢様」


「ネロもお願いね」


 黒猫はジュリエットに頭をわしわしと撫でられる。気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らし、一声鳴いてから彼女の後方へ軽やかに跳んだ。

 前方の警戒をしながら、アデスは思案する。


(坊っちゃまの体調が坑道に入った時よりも悪化しておられる。お嬢様もなんとか癒そうとされているが……)


 ジュリエットは少年と共に座り込み、その手を絡めとっている。

 慎重にリアンの魔力経路を探り、少年の中に流れる魔力オドの激流を鎮めようとしていた。


(坑道に入ってから既に三回。先日を合わせれば、都合五回ほど治癒にたられている)


 周囲に満ちる魔素マナも取り込みながら、ジュリエットは癒しの技を行使している。しかし彼女が消耗するほどには、リアンが回復していない。


 そもそもジュリエットは全力で三日三晩を戦っても、かげりを見せないほどの魔力オドを備えている。

 にも関わらず彼女はリアンを癒すために、その力を大きく減じていた。直近二回の戦闘においては、魔法を使わなかったくらいだ。


(一体どれほどの魔力を使われているのか。マリア様の元へ辿り着く前に、お嬢様の体が保つかどうか)


 更にもう一つ、懸念がある。


(魔物の強さが、想定と少しズレる。入り口付近で遭遇したドヴェルグも、本来ならば本道を更に潜った地下に生息しているはず。それに先ほどの魔物……)


 アデスが思い返す魔物の名はズァール。

 雄牛トロォウよりも二回りはかさが大きく、鍾乳石のように滑らかでありながら脅威的な硬さの外骨格を持つ。

 筋肉は異常なほど発達しており、逆関節の四本脚だけで巨体を支えている。


 森の捕食者ドゥーフェが十匹居ても全く歯が立たない正真正銘のバケモノだ。


 本来なら魔境の山岳地帯に棲家を持ち、こんな辺境の洞穴にいるような魔物ではない。


 魔法を制限しているジュリエットは一撃必倒といかず、硬い外骨格に手を焼いてしまった。

 最終的には超重量級の黒い大槌ウォーハンマーを生み出し、強引に叩き潰した。


(このまま本道に進めば、もっと厄介な事態に出くわすかもしれませんな)


「アデスさん、終わりましたわ」


 少年の介抱を終え、執事に声をかけたジュリエットの顔色は明らかに悪い。これでは少年ともども遠からず倒れてしまうだろう。

 アデスは来た道を帰り、大渓谷へ戻ろうと口にしかけるが、女主人ジュリエットの異論を認めない眼差しに口ごもってしまう。


「本道までは後少しです。そこからは黒馬車シャールで一気に抜けましょう」


「かしこまりました、お嬢様」







 支道のゴツゴツした岩盤の景色が、打って変わって人工的な景趣けいしゅに変わった。


「ここが、本道? ものすごく大きいね」


 ドヴェルグの大坑道ダンジョン、その本道だ。アデスが言っていたとおり、本道の名に相応しい広茫たる空間が広がっていた。

 坑道と言うよりも巨大な地下神殿、もしくは地下墳墓の方が名称としては妥当だろうか。


 石は全て同じ大きさに切り出され、磨かれている。それらが隙間なく敷き詰められ、巨大なアーチを形作っていた。

 坑内は原理不明の発光現象により、昼間のように明るい。


「この大坑道ダンジョンは神代戦争の折に戦禍の終焉を待つため、ここへ逃げ込んだドヴェルグ達が技術を結集して造り替えた、一つの国とも言えますな」


 どうしてそんなに昔のことを知っているんだろうと、不思議に思うリアン。アデスは少しでも多くの知識を教えようと、授業を始める。


「本道が緩やかな傾斜となっているのは分かりますかな、坊っちゃま?」


「はい」


「よろしい。ここを登ってゆけば魔境の大地に出ます。反対に下ってゆけば、大地と豊穣の神レガラをまつった神殿があります。また、ドヴェルグは他の亜人たちにも住居を提供し、大坑道の広さは──」


「アデスさん、そこまでです」


 止まらないアデスの演説に、ジュリエットから待ったがかかる。彼女は黒馬車シャールを喚び出そうとしている所だった。


「これは失礼いたしましたお嬢様。──坊っちゃま、時間があれば勉学の機会も作りましょう」


「勉強? 教えてくれるんですか!」


 孤児のリアンには、机に座って何かをおそわった経験などない。同年代の子供達が通っている学校や塾とは無縁だと思っていたので、アデスの提案に少し胸が躍った。


「さあ二人とも、乗りましょう」


 準備を終えたジュリエットが少年と老執事をうながす。三人と一匹は黒い馬車に乗り、上へ上へと目指した。


 アデスの懸念は、すぐに現実のものとなった。


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