第二一話 それは、まるで地獄

「お嬢さま! 一体何をお考えなのですか! 坊っちゃまはまだ、十一歳なのですぞ!」


 谷底に着地したアデスは、開口一番に主人を叱りつけた。まだ知り合って間もないリアンに対して、謎の忠誠心を発揮する老執事。


 しかしその剣幕には納得せざるを得ない。リアンに何の説明もしないまま、急に身投げをしたのだから。


 心配して擦り寄った黒猫ネロをそのまま捉え、潰れんばかりに強く抱きながら、オロオロするリアン。


「あ、あの、──アデスさん、僕は大丈夫ですから」


「なりません! 坊っちゃまは昨晩、大変な目に遭ったばかりなのです!」


「うにゃー!」


「お嬢様! 人として! 反省なさってください!」


「ご、ごごっご、ごめんなさい」


 地獄だ。


 クドクドと続けられる老執事のお小言こごとに、どんどん小さくなる黒ドレスの女ジュリエット


 永遠とも思える苦行は、リアンが寝息を立てたところで終了した。

 黒猫ネロを捕縛したまま地面に寝転び、疲れ切ったように眠っている。


「寝てしまわれましたね」


「え、ええ。そうですわね」


 黒猫はリアンの拘束から脱出を試みるが、その度に尻尾を強く掴まれて、ぎにゃにゃ! と悲鳴を上げている。

 結局、少年の胸元に滑り込んで一緒に寝ることにしたようだ。


「仕方ありませんな。一昨日から一睡もされていなかったのですし」


「では、寝所を整えてあげましょうか」


 老執事アデスの小言を再開させまいと、ジュリエットは魔法で大きな天幕テントを張る。さらにベッドを作ると、リアンを抱えてそそくさと中に消えていった。







(ここは──?)


 私は今、宙に浮いている。視界の先に広がるのは壊滅した都市。


 長い亀裂が入り、いびつに隆起した街路。大小の瓦礫が山のように積もり、至る所で噴煙が立ちのぼっている。ぐるりと見渡しても、同じ景色だ。


(どうしてこんな所にいるんだろう?)


 疑問は尽きない。

 遠くへ目を向けると、円錐型の丘が激しい炎に包まれている。


(あれは……)


 逆巻さかまく炎はまるで、ゆらゆらと手招きをしているようにも見える。不思議な感覚だ。

 私は炎の巡礼者となって、丘を目指した。


 よく見れば、瓦礫に混ざっておびただしい数の死体が折り重なっている。

 それらは異形だった。腕が四本以上あるもの、白い翼が生えたもの、明らかに人間以上の大きさをしたもの。

 

(人でも、亜人でもない?)


 激しい戦いの痕跡だ。頭を飛ばされ、体を潰され。原型を留めていない亡骸も数多あまたあり、混沌と化していた。


(ひどい……)


 多様な異形の中にあって、一つだけはっきりとした違いがある。白い翼が生えた死体は皆、一様に白銀の鎧を身につけていた。


 戦いは終わっていないのだろう。炎の丘に近づくほど、闘争の気配が濃くなる。


(二つの陣営が戦争をしてるんだ)


 ──リアン


 私は宙を飛び、炎の丘に何が起こっているのかを知った。城だ、城が燃えている。


 跳ね橋は落ち、ごうは赤く染まっている。鉄壁を誇るはずの城門が、石積みの城壁が、ほとんど崩れ去っていた。

 向こうに見える城も無惨な姿だ。外郭塔は破壊され、やぐらは消え失せている。

 主塔はどこにあったのかすら、わからない。


(熱い……)


 そして全てが燃えている。戦いの炎だ。二つの勢力が殺し合っている。


 角の生えた悪魔デーモンが口から火球を吐き、翼の騎士たちを爆散させる。火勢から逃れた騎士たちは、光の槍を投擲して角の悪魔デーモンを串刺しにした。


 巨大な蛙の悪魔デーモンが高速で舌を飛ばす。何人もの翼の騎士が巻き取られ、その腹に収まった。

 竜の頭と翼を持った悪魔デーモンの群れが、翼の騎士団と激しい剣戟を繰り広げる。


 突如として撃ち込まれた光の砲撃が、蛙の悪魔を、竜の悪魔を、翼の騎士をまとめて吹き飛ばした。


(無茶苦茶だ。味方ごと攻撃するなんて、──あれは?)


 ──リアン


 まるで地上に地獄が再現されたかのような戦場の中で一人、傲然と立つ男を見つけた。

 夕日のような赤い金髪の男だ。彼は深く青い目で、空を睨みつけていた。


(僕を見ているのか?)


 いや、私よりも上を見ている。つられて見上げると、翼の騎士たちが空を埋め尽くしていた。

 その中央に一際ひときわ輝く剣を持つ、強大な何かが居る。



「リアン!」


「───っ!」


 私を呼ぶ声に、現実へと引き戻される。私の顔を、夜の魔女が覗き込んでいた。







「大丈夫? とてもうなされていたわ」


 ジュリエットが少年の頬に触れる。その手は冷やりとしていて、心地がいい。彼女の声は少し震えていた。


 リアンは後頭部に柔らかいものを感じ、何だろうと触ってみる。スベスベと柔らかい何か、覗き込む彼女。


「あっ!」


 リアンは膝枕をしてもらっているのに気づき、咄嗟に起きあがろうとした。しかしジュリエットから待ったがかかる。


「まだ起き上がってはダメよ」


「で、でも、ジュリエットの足が痺れちゃうよ」


「ダメなものはダメよ」


 ジュリエットは少年の反論を一切許さず、頬の次に首筋、さらに右手の前腕へと触れる。リアンの体には稲妻状の紋様が浮かび、薄く光っていた。


「熱があるわね。それにすごい汗だわ。体はだるくないかしら?」


 この熱は羞恥のせいか、先ほどの夢のせいなのか。体は確かに、虚脱感がある。


「ちょっと、辛いかも」


「そう、いま楽にしてあげるわ」


 ジュリエットはリアンをジッと見つめ、その右手を優しく絡めとる。指と指の間に、彼女の指がゆっくり滑り込んでいく。

 そうして全ての隙間が埋められた。密着したてのひらから少年へと、魔力が流れ込んでいく。


 それはリアンの中で、渦まきたぎ魔力オドを鎮め、癒した。


「どうかしら?」


 返事はない。少年はまた眠ってしまったようだ。今度は大丈夫だろう。


(早くマリア様に診てもらわないと……)


 リアンが起きたら少し急ぎましょう。そう考えたところで、ジュリエットもまた眠りに落ちた。


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