第十八話 月光

「〜〜〜〜〜〜〜!」


 蛇に睨まれたカエルのように、ギネラは動けない。どうしてだ、オーラントの面子をズタボロにしてやろうと仕組んだ作戦は順調だった。


 大焦熱グロン・シャローという想定外イレギュラーは確かに危なかったが、それでも自分は狩る側だったはずだ。


(坊やと遊んで、気分よく帰るつもりだったのにい! この女はやばいわ!)


 黒ドレスの女ジュリエットは間違いなく、想定外グロン・シャローを上回る想定外イレギュラー

 しかも他にもう一人。あの老人が、只者であるはずがない。


 ジュリエットが両手を水平に広げる。手には二振りの、真っ黒な手斧ハチェットが握られていた。

 ドレス姿にまるで似合わない物騒な得物だ。


「避けないでね、面倒ですから」


 感情の篭っていない声と共に、投擲される手斧ハチェット。ギネラは金縛りにあった体へ無理やり命令を下し、バネ全開で大きくのけ反るブリッジする

 直後、ボウガンで打ち出したかの如く、凄まじい速度で死の物体が頭上を通り過ぎた。


 勢いのまま後方へ一回転するギネラ。しかし眼前には、貴婦人ジュリエットが迫っていた。


「避けないでと言ったのに」


(速い!)


 ジュリエットは大きく屈み、竜巻のように旋回しながら怪人ギネラの足を払う。着地の寸前で足を取られたギネラは、肩から地面に激突した。


 ギネラが次の攻撃に備え、腕に闘気を集中して防御姿勢を取った。


 ジュリエットは倒れた怪人ギネラに向かって、黒い長刺剣エストックを突き下ろす。


(その武器どっから出してんのよぉ!)


 ギネラはエストックを砕いてやろうと、迫り来る刀身に向かって短剣マンイーターを繰り出した。


 しかし──それを破壊するはずの短剣は砕け、前腕の半ばまで切り裂かれる。


「ぎああっ! ──くっ!」


 熱く鋭い痛みを強引に無視したギネラは、その場で体を捻りジュリエットの束縛から脱した。五メトリ約五メートルほどの距離を飛び退く。


 一時いっときも目を離してはならない。でなければ瞬時に殺られてしまう。この場を離脱する術を模索しながら、ギネラは焦燥に駆られた。


(一体どこにそんな隙があるのかしらあ。しかもあの長刺剣エストック、あたしが砕けないなんて──ん?)


 相対する貴婦人ジュリエットは、地面に突き刺さった黒く大きい物に手を添えている。


(黒い、大剣? いつの間に? 目は離していなかった、わよねぇ?)


 まるで夜を凝縮したかのようなそれは、周囲の闇よりも一段と濃い漆黒の大剣だった。しかし剣身の中には、キラキラと輝く星々が浮かんでいるように見えた。


「あ、ああ、その大剣……。あんたまさか、──楽団あたしらを手当たり次第に殺し回ってる……」


 星が煌めく『夜の剣』を見て、ギネラは確信する。


「夜の魔女ぉ!?」


「ええ、そうよ。だからあなたは、──死んでくださいな」


 言うが早いか、ジュリエットは『夜の剣』を引き抜き、大きく横に薙いだ。衝撃をともなった黒い波濤が炸裂する。


(あれこれ考えてる場合じゃないわあ!)


 持てる能力ちからの全てを持って、逃走を決めるギネラ。全身の闘気を燃やし、高く跳ぶ。

 真下を黒い衝撃波が通過し、背後の建物を粉々に吹き飛ばした。


「とんでもないわねえ!」


 中空で姿勢を転換できないギネラに、今度は森の木々よりも高い波濤が襲う。怪人ギネラは懐からニ枚の式札カードを出した。


「プロジオ!」


 ギネラが短く唱え、起爆の魔術が込められた一枚の式札カードを投げつける。それは黒い衝撃波の寸前で小さな爆発を起こした。

 相殺が目的ではない。怪人ギネラはその余波を利用して、黒い波濤を紙一重で回避した。


 ジュリエットは、十メトリ約十メートル向こうの瓦礫に着地した厚化粧の怪人をジッと見据える。


「ちょこまかと逃げられては面倒ですから、技を使わせていただきますね」


 先ほどの連撃は、ただ無造作に大剣を振るっただけだ。言外にそう告げると、彼女は『夜の剣』を水平に引く。


(ったく、さっきのでも相当ヤバいのに、まだ上があるのかしらあ!)


 魔女の瞳が、再び蒼い燐光を帯びた。それに呼応して漆黒の大剣が輝き出す。


 瞬きのたびに増す光。

 やがて『夜の剣』が耐えられないとばかりに、金切音を上げる。


「月光──」


 夜の魔女ジュリエットが虚空を突く。


 刹那、一条の光が撃ち出された。


 魔力オド魔素マナ、そして闘気で練り上げた光の戦技が、大気を切り裂き轟然と突き抜ける。

 それは進路上のことごとくを飲み込んで、ギネラを穿うがつ。


「ぐ、おおお!」


 貫かれ、怪人の野太い絶叫が響いた。


 輝く軌跡は砂塵を巻き上げ、瓦礫を、木杭を、その向こうにある木々を、次々に消し飛ばす。


 とどろく轟音が収まった時、残ったのは抉れた地面だけだった。


 一部始終を目撃していたリアンは、恐怖の対象でしかなかった怪人ギネラが手も足も出ずたおされるのを見て、感嘆の声を漏らした。


「すごい、やっつけた!」


 しかしジュリエットは見た。光に飲まれる寸前、ギネラの体がブレたのを。


「──いいえ、逃げられてしまったわ」


 恐らく逃走のための、何らかの隠し玉を持っていたのだろう。ギネラを滅ぼした手応えを感じなかった。


 リアンを癒すために多大な魔力を支払ったのも原因だろう。自分ジュリエットの動きはいつもより、明らかに精彩を欠いていた。


(魔力の探知にもかからない。仕方ないわね)


 楽団の、それも幹部級を取り逃したのは大きな痛手だが、今は何よりも少年の方が大事だった。

 ギネラの追跡を諦め、ジュリエットは少年に向き直る。


 その胸には、いつの間に戻っていたのか黒猫が抱かれていた。ジュリエットに顎をくすぐられ、気持ちよさそうに目を細めている。


「聞かせてちょうだい、キミに何があったのか」



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