第十四話 隠れんぼ
「くそっ、
研究者ゆえの癖なのだろうか。想定外の事態を前にして、思考の海に沈みかける。しかし、状況は待ってくれない。
「び、びっくりしたじゃない。 ──漏れちゃったわ、少しね」
厚化粧の怪人が地面に伏すジョスランを見下ろす。魔力の衝撃波に襲われた際、
ギネラは無傷だった。
「あ……」
前方をよく見れば地面は抉れ、防御陣が壊れている。
魔力暴走が引き起こした破壊は、防御陣に注がれたリアン自身の魔力と相殺する形となり、極めて限定的な規模だった。
しかし
「あたしの子猫ちゃんたちは気絶してしまったけどぉ、問題ないわね」
ギネラは膝を折ってしゃがむと、ジョスランの髪を掴んで顔を近づける。
「ひっ、や、やめ──」
血走った目を限界まで開き、歯を剥き出しにした
「さああ! あなたを守るものはあ!! 何もないわあああ!!!」
†
あの場でいち早く動いたのは意外にも、赤い金髪の少年だった。稲妻状の紋様が浮かぶ体は、問題ない。
痛みはあるが、まるで遠くにあるような感覚だ。不思議と頭も冴えている。
(と、とにかく隠れないと!)
この期に及んでなぜ、生にしがみついているのか。リアン自身もわからない。ただ、ジャンとエリー、そして馬車道で出会った女性のことが頭にあっただけだ。
リアンは
(夜目の魔術は切れているはずなのに、見える!)
扉の向こうは
(このニオイはたぶん……)
扉を開けるとまた短い廊下があり、奥で右に折れている。一歩進むごとに臭気は強くなる。少年は確信していた。きっとこの先に
奥を曲がり、突き当たりの扉を開けた。
(思ったとおりだ)
そこは大人五人が入っても余裕のある部屋だった。壁沿いには箱状の腰掛けが設置されていて、等間隔で丸い穴が開けられている。穴から漂ってくる臭気に、リアンは思わず顔を背ける。
(うっ、すごいニオイだ。でもここなら……)
人糞から発する刺激臭によって、自分の痕跡を消せるのでは。少年は吐き気をもよおしながらも、部屋の隅っこで小さくうずくまった。
(ジョスラン様はどうなったんだろう)
──虫ケラのお前は、あの豚に売られたんだよ。
ふと
(僕、孤児院に帰れるのかな)
夜はまだ明けそうもない。方角もわからないまま森に入るのは自殺行為だ。かと言って近くにはギネラと魔獣たちがいる。
彼らも吹き飛ばされていたが、意識を取り戻すのは時間の問題に思えた。
(どうしよう。ジャン、エリー……)
出発の朝を思い出す。ジャンは寂しいのを我慢して送り出してくれた。エリーはぐすぐすと泣いていた。二人とも家族同然に育った、大切な弟と妹だ。
そして、あの女性──
白磁器を連想させる、白くて透明な肌。澄み渡った空のような
一目見たら最後、魂ごと連れていかれそうなほどに美しい女性だった。
(また、逢いたいな)
そう考え、我に帰る。自分は
自嘲気味なため息が漏れそうになり──
遠くの声に気づく。
「ぼうや〜、どこにいるのぉ? 出てきてくれないかしらぁ? 美味しいお菓子をあげるわよおお」
(来た──!)
「あれえ、おかしいわねえ。どこに行ったのかしらあ」
じっと息を殺し、意識を耳に集中する。ギネラの声に隠れて聞こえる、かちりかちりと鳴る音。
それが、だんだんと近づいてくる。
ギィ──。
かちり、かちり。
硬い床に爪が当たる音。獣の歩く音がさらに大きくなる。
(魔獣だ!)
硬質な音が
「ごるるる」
リアンは悲鳴をあげそうな口を押さえ、必死に我慢した。早鐘を打つ心臓の音は、向こうまで聞こえているんじゃないか。そう感じるほど五月蝿い。
(早く行け! 行ってくれ!)
死の恐怖に晒されながら、永遠とも思える
魔獣の気配が消えたのを確認すると、リアンはどっと汗をかいた。心臓はまだ鼓動を早くしている。静かに、ゆっくりと息を吐き、いくらかの冷静さを取り戻す。
(ここも、すぐにバレるかもしれない)
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