第六話 ヴァレア城砦へ
「うわわ! ごめんなさい!」
わたわたとした少年の仕草を見て、女性はくすくすと笑う。気恥ずかしさから耳を真っ赤にして俯いてしまうリアン。
「大丈夫? 急いでいたようだけど、ここでは周りをしっかり見ていないと大怪我をしてしまうわ」
「は、はい。本当にごめんなさ──いたた……」
どうやら先ほどの転倒で右手を痛めてしまったようだ。
(これから小間使いの仕事があるのに、困ったなぁ)
「ほら、言わないことではないわ。見せてごらんなさい」
そう言って女性はリアンの右手を自分の両手で包み込む。じわりと温かいものを感じて、痛みが引いていった。
「ま──」
魔術と言う前に、女性の人差し指が彼の口を塞いだ。その感触に、今度は顔全体がトマトのように赤くなる。
「これで大丈夫ね。キミ、お名前は?」
「リアンです。その、ありがとうございました」
リアン。女性は少年の名前を
(まただ……)
目が合っているはずなのに、なぜか視線がぶつからない感覚。昨日ジョスランから向けられたのと同質の目だ。
「お嬢様、そろそろ──」
リアンが何となく居心地の悪さを感じていると、女性の向こうから声がかかる。そこには片眼鏡(モノクル)をかけ、執事服に身を包んだ初老の男性が立っていた。
「あら、アデスさん、もうそんな時間かしら」
さらに、いつから居たのか、女性の胸には小さな黒猫が抱かれていた。この羨ましい猫は頭を撫でられ、心底気持ちよさそうに目を細めている。
「ではリアンくん、縁があればまた。ごきげんよう」
「はい! いつかお礼を!」
女性はひらひらと手を振りながら、通りの向こうへと消えていった。執事の姿はなかった。
(あれえ? というか、名前を聞き忘れちゃったよ……)
†
時間に遅れることなく停留所に着いたリアンは、西門を見ながら安堵していた。
(なんとか不敬にならずに済んだ──!)
ほどなくして紺色の
重そうな袋を背負い、よろよろとリアンのところまで歩いてきた。
「やあ、おはよう、リアン君。遅れずに、来たようだね。早速だが馬車に、乗ろう」
貴族の魔術師は背負い袋を地面に置くと疲れた声でそう言い、自分たちが乗る馬車を指し示した。そこには冒険者然とした数人の大人がいた。
僕がお持ちしますと言って、赤い金髪の少年はジョスランの荷物を預かる。剣や槍をもった大人たちを、おどおどした様子で見ながらジョスランの後についていく。
「はは、怖がらなくていいよ。ここの馬車はね、護衛を当てがってくれるんだ。彼らは馬でついてくるだけさ」
こうやって気さくに話しかけてきたり気遣ってくれる貴族の魔術師に、リアンはだんだんと心を許していた。
(顔は怖いんだよなぁ)
魔術師と少年が馬車に乗ると、ほどなくして御者台から出発を告げる声がかかった。
†
何本もの
「昨日言ったように僕は、魔術師としてヴァレア城砦に行くんだ。で、他の同業とは少し違って、僕の魔術は触媒がたくさん必要なんだよ」
ジョスランはリアンに預けた背負い袋に目をやる。
「僕は体力がなくてね、その荷物を運びながら魔術師の仕事をこなすのはキツイんだ」
リアンは「はい、はい」と相槌を打ちながら話を聞いている。
「だから一つ目の仕事は、荷物を持って僕に着いて回ること」
背筋をぴんと伸ばし、膝に乗せた手をぎゅっと握る少年を見て、ジョスランは説明を続ける。
「もう一つは雑用さ。簡単なことは君に頼むから、その都度こなしてくれたらいい。もし君が近くにいない時は指輪を光らせるから、僕のところに来てくれ」
「はい! 精一杯ジョスランさまのお手伝いをさせていただきます!」
元気よく返事をした少年に対してジョスランは、何か質問はあるかい? と促した。
「ではあの、ヴァレア城砦まではどのくらいで着くのでしょうか」
「そうだね、まずあそこはヴァレア山に建っているからヴァレア城砦って言うんだけど、そのヴァレア山の中腹まで馬車で三日。徒歩に切り替えて半日から一日ってところだね」
リアンは馬車の外に眺めて、ジョスランに向き直る。
「護衛とおっしゃっていた方々は、その、どこまで着いてこられるのですか?」
「護衛はあくまで馬車の乗客を守る仕事だから、山の中腹までだね。まあ道中、魔物や野党が出たら彼らが頑張ってくれるわけだ」
──魔物。
その言葉に、ごくりと唾を飲み込む少年を見て、ジョスランはからかうような口調で言った。
「なんだいリアン君、怖いのかい? しっかりそうに見えても、まだまだ子どもだね」
「う、むう……」
図星を突かれたリアンは、虚勢をはる余裕もなく口ごもった。
「心配しなくていいよ。乗り合い馬車の護衛はね、国から正式に依頼された冒険者の
ジョスランは自分も戦えるから安心しろと、言外に告げた。
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