第四話 貴族の小間使い
室内は赤いビロードのカーテンが開け放たれ、十分な明るさだ。しかし、壁の
(まだお昼なのにもったいないなぁ)
部屋の中央には光沢のあるソファとテーブルが置かれ、どっしりした女と細身の男が向かい合って座っている。
赤銅色の際服を着た巨大な女性が、イヴェット
その体は貴族からの寄付を着服して肥え太ったのか、孤児院のように年々大きくなっている。心なしかソファが軋んで悲鳴をあげているようだ。
男の方には見覚えがない。垂れ目だが眼光は鋭く、大きめの鼻はわずかに尖っている。控えめに言って人相は悪い。
しかし肩口と眉で切り揃えられた髪と、金の刺繍が入った服をまとった姿は気品を湛えている。
ひと目で貴族だとわかる出立ちに、リアンはジトっとした汗を手に感じた。
(どうして呼ばれたんだろう・・・?)
そんな風に思っていると、大柄のイヴェットが目の前の男に対し、気安い声音で話しかけた。
「お待たせいたしましたジョスランさま。この子がリアンです。ほらリアン、ご挨拶なさい」
「はじめましてジョスランさま、リアンです! 今年で十一歳です!」
リアンはぴしゃりと背筋を伸ばし、緊張のためか年齢まで言ってしまう。(他に語れることもないのだが)
「うん、元気があっていいね。僕はジョスラン。ラギエ子爵家の次男で、今日は君にお願いがあってお邪魔しているんだ」
(貴族が、──僕に?)
思っていたよりも柔らかい貴族の態度に面食らうが、少年の手は相変わらず汗で湿っている。
「お、お貴族さまが、僕にどんな──」
御用でしょうか? と少年が言い終える前に、イヴェットがジョスランの話を引き継いだ。
「ジョスランさまはね、近いうちに北西のヴァレア城砦へ行かれるの。そこで道中のお供ができる子どもを探していておられるのよ」
──ヴァレア城砦だって!?
オーラント王国の西には『神の亀裂』と呼ばれる大渓谷が走っており、その向こうは強大な魔物が
魔境を監視する目的で、五百年前に築かれたのがヴァレア城砦だ。王国内の人間には、人界の端と呼ぶ者もいる。
そんなことは孤児のリアンだって知っている、一般常識だ。
「はは、そう身構えることはないよ。なにも魔境に連れて行こうってわけじゃない。すこし用事があるだけなんだ。すぐ帰ってくるしね」
驚愕を顔に貼り付けたリアンを見ながらジョスランは続ける。
「ヴァレア城砦には仕事で行くんだけど、事情があってね。あくまでお忍びでの訪問、という形を取りたいんだ。だから
「仕事──」
リアンが質問しようとするのを、イヴェットがまた割って入る。まるで余計なことを言わせまいとするかのようだ。
「ジョスランさまは、魔術師でいらっしゃるのよ。オーラントの中でも五本の指に入るほどの実力者なの。今回も魔術師としての手腕を買われ、ヴァレア城砦に行かれるのよ」
「いやあ、はは。やめてくださいよイヴェットさん。僕は魔術師というよりも研究者ですからね、戦いは苦手なんですよ」
「まあ、ご謙遜を。王都でも名高い魔術師のジョスランさま。そして次期当主と言われ、公爵さまからの信頼も厚い兄のシルヴァンさま。──優秀なお二人がいてラギエ家は安泰だと、他家の方も噂されているのですよ」
イヴェットが醜悪で豊満な巨体を揺らしながら、これでもかと媚を売る。しかし兄の名前が出たとき、ジョスランの顔が一瞬険しくなった。
その表情を見逃さなかったリアンは、イヴェットが彼の機嫌を損ねないうちに話を聞き出そうと、質問する。
「そ、それで、どうして僕なんでしょうか」
「ああ、それはね。一応僕は貴族だから、お忍びでの訪問といえど汚らしい子は連れていけないんだ。だから見栄えがよくて気配りのできる小間使いを貸して欲しいと、イヴェット先生にお願いしたんだよ」
若い貴族の魔術師は垂れがちな目を細めて、少年の顔をまじまじと見る。
しかしリアンにはジョスランの視線が、自分の少し後ろに焦点が合っているように思えた。
「うん、キミなら問題ないね。見た目は良いし、孤児院の仕事もよく手伝っているそうじゃないか。リアンくん、キミを小間使いとして連れて行こう」
「え、でも、その・・・」
いきなりのことに困惑している少年を見て、ジョスランは畳みかけた。
「どうだろう、リアンくん。小間使いの仕事が済んだら、ちゃんと給金は出すよ。望むならうちの家で下働きの仕事を与えてもいい」
「本当ですか!」
リアンの顔がぱっと明るくなるのを見て、賢そうだが所詮は子どもだなと、ジョスランは内心ほくそ笑む。
「どうせ孤児院にずっとは居られないんだ、大人になった時に蓄えはあった方がいいだろう? しっかり働いてくれたら、その分給金をはずもうじゃないか」
仕事をもらえたら、孤児院の外で生きていける。大人のイジメに怯えなくて済む。少年はそう考え、ジョスランの提案を受け入れた。
「わかりました、よろしくお願いします!」
「ありがとう。では早速で悪いが、明日の出発としよう。それと──」
魔術師ジョスランは懐から一つの指輪を取り出した。台座には淡い紫色の石がはまっている。
「この指輪を渡しておこう。これは僕の供連れである証だ。旅の間は外さないようにね」
「ありがとうございます!」
リアンは旅が終わった後のことに想いを巡らせ、明るい表情で礼を言った。
「二人の旅にマヌダルの加護があらんことを」
傍らではイヴェットが醜悪な顔をさらに歪め、笑っていた。
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