決勝 2

 俺、井口颯いのくちはやては、試合会場の外れで弟の試合を見守っていた。

 普段の爽太そうたらしくない。

 爽太なら、もっと積極的なはずだ。鍔迫り合いで膠着状態となり、審判に試合を止められるなんて珍しい。というより、時間空費で反則をとられてもおかしくないような動きだった。

 そして、今取られた一本。

 普段の爽太ならば、うまく捌くか、打たれる前に相手の胴を打って逆に一本を取るところだ。おかしい。

「さっきの試合の、あれのせいだな。相手に右腕を打たれていた」

 隣に立つ義友が、爽太の急激な不調の原因を指摘する。

「あいつ、やっぱり怪我を?」

「いや、腕自体は問題ない。竹刀も普通に握っていたし、打たれた場所も腫れたりしていなかった。だから試合に出るのも止めなかった」

「じゃあなぜ?」

「右腕を打たれたことで、何かを思い出したみたいだな」

「思い出したって……あっ」

 頭をよぎったのは、三年前のこと。

 事故の一報を聞いて、九州の高校からこっちに急ぎ戻ってきたときのこと。病院で目にした爽太の右腕には、分厚いギプスがはめられていた。事故の衝撃で折れたのだと、医師の説明を受けるまでもなくわかった。稽古中の怪我よりもすさまじい痛みを想像しては、医師に障害が残ったりしないか何度も問い詰めた。

「あの事故だ。三年前の事故で、爽太は右腕を折っていました。冷やしていたの、ちょうど骨折した箇所です」

 爽太がアイシングしている箇所を見たときから、違和感はあった。だが爽太は相変わらず優勝したときのことを話してくるから、そのまま試合に送り出したのだ。

 迂闊だった。あいつは何かあったらまず隠して、自分で抱え込もうとするのに。

「おい、下を向くな。弟の晴れの舞台だろうが」

 義友の声で、俺は上を向く。すでに試合が再開されていた。またしても、爽太は後退ぎみだった。竹刀の先端が相手の真正面を向いていない。爽太から見て右側を向いている。右腕をかばおうとしているみたいだが、あれだと胴や左小手ががら空きだ。

 案の定、相手は逆胴を狙ってきた。

 爽太は慌てて左脇に竹刀を構えて守る。

「まさか、諦めたわけじゃないな。指導者を目指したいんだろう。教え子の勝利を信じてやれない人間に、誰がついてくるんだ?」

「わかっています。でも、これでよかったのか、自信がなくなって」

 事故の詳しいことは、この人にも話している。剣道関係者で爽太のことについて相談できるのは、この人だけだ。

「事故は稽古に向かっているときのことだったそうだな。そのときの記憶をえぐるのが、つらいのか?」

 祖父はそれで、爽太から剣道を取り上げようとした。

「はい」

「率直に言って、うちへの爽太の貢献は大きい。あいつが来てから、うちも活気がついた。みんな声をよく出すようになったし、動きもよくなった。その証拠に、大会での成績も上がっている。もちろん、お前さんの指導のおかげでもあるがな」

 義友の言うとおり、爽太は剣道クラブでも積極的だった。怪我から回復して初めて今の剣道クラブに通い始めたとき、彩夏をはじめ新しい友達によく話しかけていた。きつい稽古も嫌な顔をせずにしていたし、それでいて、稽古や試合の後に友達に笑いかけるのも忘れなかった。

 でも、あれは……

「あいつが剣道を続けているのは、俺に負い目があるからです」

 爽太は、俺に縛られるなと言った。それがいい証拠だ。

「負い目を感じさせるなら、お前さんはなぜ爽太に剣道を続けさせた?」

 爽太から剣道を取り上げようと考えたことは俺にもあった。

 祖父がそうしたように。

 稽古に向かっている間に、あんな目に遭ったのだ。剣道のせいでこんなことになったと苦しませるならば、いっそ別のことをさせて紛らわせたほうがいいのではと。

 でも入院中の爽太を見ると、そんな選択肢は失せていた。看護師に心配されるほどリハビリに励んで、疲れて呼吸を荒くしながら、いつになったら剣道できるかな、と言ってくる爽太に、やめろと言うなどとても無理な話だった。

 才治さいじ綾乃あやのに駄々をこねる形で今の剣道クラブを見つけてもらって、そこに通い始めてから、爽太は義友が言うように、もっと輝いて見えるようになった。

 何よりも、今暮らしている家の庭先で爽太と竹刀を交えたときがそうだ。本気を出した俺に、爽太は本気でやり返してきた。

 本当の爽太は、好きで剣道を続けている。嫌いになんてなっていない。

 俺が、爽太に負い目を感じさせているのだ。

 試合会場では、鈍い音が響いた。相手が竹刀を払い上げた拍子に、爽太の手から竹刀がもぎ取られたのだ。竹刀は宙を回転して床の上に落ちる。

 竹刀を失った爽太に、相手は容赦なく面打ちを仕掛ける。爽太は横に動いてかわし、一本を取られずに済んだが……

「反則一回」

 審判の声が、会場内に響いた。

 竹刀を落とすという反則行為を爽太が犯したのは、初めてだ。

 明らかに、異常。

 会場で試合を見守る人たちも、爽太の異変に少しざわついている。

 審判も、竹刀を拾い、開始線に戻ろうとした爽太を呼び止めた。爽太に何か話している。間を空けて、一呼吸つかせて落ち着かせることにしたらしい。試合の中断が続く。

 言うとしたら、今だ。

「爽太! もういい!」

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