第12章 決勝 1

 念のため右腕をアイシングしながら、俺は試合開始を待っていた。時間になると、女子の部で決勝に残った彩夏さやかと一緒に、義友よしともに激励されて、試合会場に向かう。

 冷やしたおかげか、右腕の痛みは少し楽になった。まともに竹刀を振るくらいはできるだろう。

 防具を身に着けて、用意を終えた俺は試合会場に着く。

 日中は竹刀の乾いた音がたくさん響いていた会場も、すっかりと静かになっていた。

 相手も、試合会場に着いていた。

 審判が合図をしてきた。俺は一礼して試合会場に入る。

 開始線のところで竹刀を構え、蹲踞の姿勢をとった。

 大丈夫だ。竹刀を構えても、右腕の痛みはさほど気にならない。

 立ち上がる。

 相手が打ちかかってきた。

 試合開始と同時に攻め込んでくる状況なら何度もあった。俺は落ち着いて、竹刀を前に出す。

 受け止めると、右腕に痛みが走った。三年前に味わったのと同じ痛みに、つい声が漏れる。

 何? これ。

 目の前の相手が、面を狙ってきた。俺は我に返り、竹刀を繰り出して受け止める。そのまま鍔迫り合いになった。

 ――なんで?

 試合しているのに、三年前の事故のことなんか思い出しているんだ?

 相手は鍔迫り合いを解くと、俺から距離をとる。次の攻撃の機会を伺っていた。俺は何とか相手の隙を引き出そうと、竹刀を繰り出していく。

 ……攻撃を加えるたびに、右腕の痛みがひどくなる。

 そして三年前の事故の記憶が次々と頭をよぎってくる。

 右腕がうまく動かなくて、竹刀を普段どおりに捌けない。集中しきれない。

 相手が竹刀を振り上げてきた。身の危険を感じてとっさに相手と距離を詰め、振り下ろされる前に鍔迫り合いに持ち込んだ。

 こうしていれば、まず攻撃されることはない。痛む右腕を酷使せずに済む。

 でも、そんな状態が長く続けられるはずがなく。

「分かれ」

 膠着状態と判断した審判が、両旗を前に出して宣告してくる。相手が竹刀を引いた。

 ――いけない。

 むやみに鍔迫り合いに持ち込んで、長く続けたら、時間空費とみなされて反則を取られてしまう。

「君、大丈夫か?」

 審判員の一人に声をかけられる。俺は右手を軽く振った。大丈夫。動かせる。

 震えが止まらないけれど。

「いけます」

 言って、俺は相手から距離をとった。再び構える。

 審判相手に強がってみせたけど、いつも握っているはずの竹刀が、今はとてつもなく重たい。鋼鉄の棒でも持たされているみたいだ。右腕の痛みのせいで、竹刀を握っている感覚が薄い。

 最悪だ。

 こんなのでは、試合にならない。

 でも、試合を放り出すわけにはいかない。ここまできて負けるわけにも。

 俺は何とか竹刀を構える。

「始め」

 審判員が声を上げると同時に、俺は相手の胴を狙う。

 あっさりと、受け止められた。焦って一本を取ろうとした程度の攻撃なんて、止められて当然。

 負ける。

 勝てる気がしなかった。

 あかりの前で、あんなに見栄を張ったのに。好きだと言わせてやろうと思ったのに。

 やっぱり、俺は背伸びするだけの子供だった。

 そもそも剣道を続けてきたのだって、強がっていただけだ。

 三年前の、事故の直後。

 病院で目を覚まして、事故のことや、母さんの死を知ったとき……


 本当は剣道なんて、やめてしまいたかった。


 みっともなかった。体がぼろぼろになって、母さんまで死んで、これからどうなるのかわからないまま泣きじゃくるしかできなかったから。兄のようになりたいなんてわがままを言って、じいさんに買ってもらった剣道着や防具を身に着けて大喜びしていたのを悔いた。

 ――剣道なんかしていなければ、俺は母さんと一緒にいられたのに。

 じいさんは、何だかんだで俺のことをわかっていた。だから何度も、俺に剣道をやめて引っ越して、勉強に専念するように言ってきたんだ。

 でも、だからってやめてしまったら……

 九州の高校をやめて、こっちに戻ってきたはやてが浮かばれない。俺のために自分のことを犠牲にした颯に報いるために、必死でリハビリして回復して、竹刀を握り続けた。

 試合のことに集中しきれなくて、他のことを考えているから……

 頭に衝撃が走った。

 面を打たれた。今度は竹刀の先端などではなく、物打ちだ。痛みを伴わないのが、いっそ清々しいくらい。

「一本、面あり」

 審判三人の旗が上がった。

 会場内に拍手が響く。

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