二月の大会 4
バシッ、という音が目の前から響く。
俺、井口爽太は、相手の面を叩いていた。相手が俺の胴を打とうと竹刀を振り上げた、その隙を突いた形だ。審判の大人三人が、一斉に旗を上げる。
そのとき、ブザーが鳴り響いた。試合終了だ。俺は開始位置に戻り、蹲踞して、納刀する。
試合会場を出る間際に一礼。
順調に勝ち上がってきた。綾乃が持ってきてくれた弁当を食べてからだいぶ時間がたって、体育館の窓の外を見ると、日が傾きつつあった。
準々決勝を終えて、優勝まではあと二勝。
ちょっと飛ばしすぎたかもしれない。竹刀を振りすぎて、腕が痛い。まだ冬だというのに、汗で防具の中が蒸れている。
それでも、ここまでこれた。
「おつかれ、爽太。よかったね、勝ち上がって」
彩夏が、俺のそばを通りがかる。彩夏も、短い髪が汗で湿っていた。
「そう言う彩夏は勝ったのか?」
「うん」
彩夏からは疲れを感じない。
「なんか彩夏ってさ、今日は楽しそうだな」
「あかりさんが見てくれているからね」
「彩夏だって、あかりと仲いいよな。何があったんだよ」
「いろいろ」
変にはぐらかして、彩夏は先に進む。たくさん試合をしてきたのに、軽い足取りだ。本当に、楽しそう。
「こんなに明るくなるなんてな」
一か月前、彩夏は俺を相手に竹刀を交えるときだけ弱くなって、変だった。何かに悩んでいるみたいだったから、俺があかりと引き合わせたんだけど。
そんなに女の子同士の友達ができたのが嬉しいのだろうか。
彩夏は、ふと足を止めた。こっちを振り向いて、微笑みを向けてきて、俺はびくってなる。
「……爽太だってさ、今日はいつもよりも楽しそうだよね」
「楽しそう、俺が?」
「うん。試合しているとき、いい顔してるよ」
「変なこと言うなよ。面をつけていて顔なんて見えないのに」
「そんなふうに見えるの」
そして、彩夏は再び歩き出す。観客席にいるあかりと、そこまで早く話したいらしい。
俺は取り残されたけれど、ゆっくりと歩いていた。まだ準決勝まで時間があるし、ゆっくりでも別にいいだろう。
楽しそうだなんて、そんなつもりなかったんだけどな。
俺は観客席に上がる。先に上がっていた彩夏は、あかりとまたハイタッチしていた。かっこよかったよ、とあかりが彩夏のことを褒めている。
「何見とれているんだ」
背後から颯に話しかけられた。振り向いたとたん、颯にペットボトル入りのスポドリを差し出される。
「何でもないよ。急に話しかけるな」
俺はスポドリを受け取った。
「二人のこと気にしているみたいだから」
「試合にはちゃんと集中してるよ」
俺はペットボトルを空けて、飲み始めた。
「……兄さん、俺の試合、どうだった?」
喉を潤す合間に、俺は聞いてみる。
「いい動きだった」
「楽しそう、だった?」
「ん? ああ。楽しそうだった」
兄さんも、そう言ってくるか。
「そんなつもりないんだけどな」
でも、他人からだとそんな風に見られるのは仕方がないのかもしれない。
だってそうだ。
優勝を狙う理由が、兄に告白させるためだなんて、よくよく考えたらおかしい。兄に向って啖呵を切った後、恥ずかしくて、家の部屋に閉じこもってしまったくらいだ。
でも、本気だった。
「優勝するからさ、それまであかりが帰らないようにちゃんと見張っておけよ」
またしても啖呵を切ってやる。
「あんな舟入さんを見て、途中で帰ると思うか?」
颯はこっそりと、あかりのほうを盗み見る。あかりは、彩夏と絶賛談笑中だ。彩夏の試合する姿がかっこいい、などとべた褒めしていた。あそこまで仲良さそうに話しているのを見ると、なぜかしら嫉妬してしまう。
あんな風に仲良さそうに話すのは、兄さんとにしてくれないかな? あかり。
「じゃあ兄さんは、ここらで人目につかない場所でも探しておけよ。みんなに見られたら、大変だろ」
俺はまわりに聞かれないよう、小声で言う。
「あれ、まさか大会が終わってすぐなのか」
颯が困った顔になろうが構わない。今日くらいはわがままを貫く。
「当然だよ。中途半端に時間空くと、やりづらくなるだろ」
もっと思い切れよ。
兄さんに告白の経験ないの知ってるんだぞ。
「わかったよ。わかったから早く次の試合の準備をしろ」
「約束、忘れんなよ」
俺はペットボトルの蓋を閉めた。自分のリュックにしまうと、竹刀を持ってその場から離れていく。
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