二月の大会 3

 試合が始まってから、会場の雰囲気ががらりと変わった。張り詰めた雰囲気になり、竹刀や面を持った子供たちが、真剣なまなざしでそれぞれの試合場所に向かっていく。

 そして、爽太の試合も始まった。

 四方九メートル程度の試合会場の外で、頭に手ぬぐいを巻き、その上に面をかぶり、紐を結ぶ。また、試合が始まる前の友達に何か声をかけられて、爽太は手で応じていた。

 爽太の試合会場を挟んで向かい側にいるのは、爽太と同じくらいの体格の子だ。向かいにいる爽太に視線を向けているのは、威圧のつもりなのかもしれない。

 一方の爽太は、相手の様子などあまり気にしていないみたいだった。竹刀の状態を確かめていて、落ち着いている。

 そして審判の三人が合図をすると、爽太と対戦相手の男の子は、一礼して試合会場の中に足を踏み入れていく。

 大会の一回戦の始まりだ。爽太は会場の中に引かれた線の中で腰を下ろし、蹲踞の姿勢をとる。立ち上がると同時に、一気に相手にたたみかけた。相手の男の子は意表を突かれた様子で、何とか爽太の竹刀を受け止めるが、ひるんで後ろに下がる。

「試合、始まりましたね」

 観客席にいる私は、隣の席に座る颯に話しかける。

「ああ」

 ちなみに、才治と綾乃とは、少し離れた場所にいる。私は颯と二人きりで爽太の試合を見守りたかったし、颯にとっても同じらしかった。

 もう、二人きりになるのが気まずいとは思わない。

 爽太は、開始直後から果敢に相手に打ち込んでいった。相手の子に何度か防がれてはいたものの、竹刀の構えが崩れたところを見逃さず、面を打った。乾いた音がアリーナに響き、三人の審判がぱっと旗を上げる。爽太の一本。

「やっぱり爽太、強いな」

 爽太は、堂々とした足取りで元の位置へと戻っていく。竹刀を構え、そして始めの合図があると、また果敢に相手に詰め寄っていく。

「ぐいぐい相手に踏み込んでいくところが爽太っぽいですよね」

「攻めのときは遠慮するなと普段から言って聞かせているからな。それに、楽しそうだ」

 颯も、ほっとした様子だ。

「そうですね」

 軽々と試合会場を動きまわり、次々と竹刀を繰り出している様子は、なんだか相手と試合をしているというよりは、遊んでいるみたいだ。

「あいつは変わった」

「はい」

「うちの叔父に初詣のことを話したら、どんな顔をするか」

「や、やめてください、恥ずかしい」

 公衆の面前で告白のことをばらされたのは、とんでもないトラウマだ。

「爽太が俺にいたずらしたのは、あれが初めてだったんだ。事故があってから」

「え?」

 爽太は、あそこまで遠慮なしに叫んだのだ。肉親相手ならば普段から遠慮しないと思っていたけれど。

「それまでは、ずっとおとなしかった。わがままを言ったりしないのは叔父や叔母の前だけじゃない。俺も、あいつに困らされたことは一回もなかった」

 思えば、当たり前だ。爽太は、自分のために颯が九州の強豪校をやめたことに負い目を感じてきたのだから。

「でも、友達とはあんなに仲良さそうですよ。普段から遠慮ばっかりしているように見えません」

 剣道クラブでは、友達とよくじゃれていた。主将だからでもあるけれど、みんなにしっかりと慕われていた。

 普段から他人の目をうかがってばかりの子には、見えない。

「あれ、明るいふりをしているだけだ。友達との関係で悩んでいるところを見せたら、俺が心配すると思って、無理やり友達思いなところを演じてきたんだ。主将を引き受けたのも、きっとそんな理由だろう」

 本当の爽太は大胆じゃない。事故で母親を失ったことを、ずっと引きずっている。

 でも……

「それ、ちゃんと前を向こうとしているってことですよ」

 私が言ったとき、二度目の乾いた大きな音が響いた。試合会場に目を戻すと、爽太がまた一本を取ったのだ。審判三人が、また旗を上げている。

「もう、颯先輩が寂しいことを言うせいで、肝心なところを見逃したじゃないですか」

 私は軽く颯の肩を叩く。

「わ、悪かったよ」

 しっかりと二本を先取して勝利した爽太は、何事もなかったかのように開始線へと戻っていく。蹲踞の姿勢をとり、納刀して、一礼してから試合会場を出ていった。

「初詣であいつが叫んできたとき、俺は正直、ほっとしたんだ」

「また変なことを言いますね」

「もうあいつは、俺に遠慮しないんだってね。変わったきっかけは、年越しの大祓の後、だな」

 つまり、私が告白したこと。

 断られ、振られたことが、まさか別の男の子を変えてしまうなんて。

「でも、話してくれてありがとうございます」

 今度は爽太の雄姿を見逃すまいと、しっかりと試合会場に目を向けたまま私は言う。

「颯先輩、本当に弟思いなんですね」

 颯はずっと、爽太と寄り添ってきた。心身ともに傷ついて、孤独に震える爽太を温めてきた。

そのために私を振ったけれど、でも、気持ちはもっと強くなった。

「だから私、まだ颯先輩のこと、好きなままです」

 私は試合会場を離れていく爽太を見つめていたから、颯がどんな顔をしていたかはわからない。

「この話の続きは大会が終わってからだな」

「そうですね」

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