第10章 神社の絵馬 1

 私は煉瓦珈琲レンガコーヒーでのバイトを終えた。店を出て、くすのき神社に立ち寄る。初詣から立ち入ることができなかったこの神社だが、もう、そんなことはなくなった。

 私は参拝を終えると、引き返していく。

 社務所から、はやてが姿を現した。

「あっ、こんにちは」

 私は颯に声をかける。

「ああ、こんにちは。バイトお疲れ」

「颯先輩こそ、いつも大変ですね。剣道クラブの指導もあるのに。大会前で、いろいろ忙しいでしょう?」

「確かに忙しくはなるけど、嫌じゃない。爽太もみんなも真剣だし」

彩夏さやかちゃんも、張り切ってますしね」

「あの子、すごく動きがよくなっているんだ。爽太そうたも負けてられないって、余計に張り切っている」

「よかった。稽古が忙しくてしばらく煉瓦珈琲に来れないって、あの子、ちょっと寂しそうにしてたから」

「舟入さん、あの子に何か言ったの?」

「今月の剣道の大会、私も応援に行くって話したんです。そしたら明るい顔になって、絶対いいとこ見せるって言ってくれて。そっか、そんなに私が行くの、楽しみなんだ」

 先月できたばかりの新しい友達は、頑張り屋さんだ。

「すまないな。俺の家のごたごたに巻き込んだのに、うちの応援に来てくれるなんて」

「謝らないでください。私も楽しみにしているんです。彩夏ちゃんの活躍もですけど、爽太が試合するところ」

「あいつに、さんざん振りまわされたのにか?」

「三年前の事故のことで、私、ほっとしたことがあるんです」

 両親を一瞬で失い、病院の霊安室で真弓まゆみに抱かれながら泣いていたとき、唯一私の希望となったことがある。

「爽太が生きていたから」

 事故に巻き込まれたもう一台の車には親子が乗っていて、母親は犠牲になったが、子供は生きている。聞かされたのは、それだけ。でも、知ったときは泣きながらよかったと思ったものだ。

「あのときは、爽太の名前も知らなかった。でも生きていると知っただけでも嬉しかったんです。……あっ」

 私は失言に気づいた。

「ごめんなさい」

「どうして謝る?」

「軽はずみなことを言ってしまって。爽太も、いろいろあったのに」

 爽太が、まったくつらくなかったはずがない。小さい頃に親を失った傷は、今も負ったままだ。だから、車に乗ることができず、そして三刀屋に唆されただけで、剣道を手放そうとした。

 ただ陽気に振舞っているから、気づきにくいだけで。

「いいよ。俺は迷惑だなんて思ってない。聞かされたら嫌がるだろうけど、あいつも。中途半端に哀れまれるよりはいい」

「そうですよね、ごめんなさい」

 つい、爽太を不幸者扱いしてしまった。

「だから謝らなくていいっていうのに」

 変なところで遠慮してしまうの、私の変な癖だ。直さないと。

「それで、どうして爽太の試合が楽しみなんだ? 後ろめたくならなくていいから」

「はい。爽太が生きていただけじゃなくて、大好きな剣道を続けていて、大会にも出るんですよ。楽しみにしないわけがありません」

 まして、本当に優勝したら。表彰台に上がって、堂々とメダルや賞状を掲げていたとしたら、すごい。

「目的が滅茶苦茶だけどな」

「ほんと、滅茶苦茶ですよ。優勝したら颯先輩……」

「い、言わなくていい。照れる」

 颯に慌てて止められる。

 私は颯ともろに目が合った。笑いがこらえきれなくなる。

 颯も、くすくすと笑っていた。

「爽太があんな約束を迫るなんて、私想像もしていませんでした」

「俺だって、びっくりした」

「爽太、颯先輩のこと本当に好きなんですね」

「俺からしても、やっぱり自慢の弟だ」

 誇りながら爽太のことを語る颯の顔、私は好きだ。

「おーい、二人とも何やってんの?」

 声が響いた。鳥居のほうを見ると、爽太がいた。手を振りながら、こっちに近づいてくる。

「爽太、宿題終わったのか?」

「うん」

「やけに早かったな」

「バスに乗り遅れたら大変だし」

 今日も稽古の日だ。まだ時間に余裕があるけれど。本当にきちんとやったのだろうか? 適当にやっていないか、家に押し込んでチェックしてやろうか。

 今回の件で、私は颯の家に入りやすくなったし。

「あかりも、またここに来るようになったんだ」

 やけにいたずらっぽい顔で、爽太は私にも声をかける。

「ええ。遠慮はもうおしまい」

「そうなんだ。じゃあ、あまり絵馬掛けてるところは近寄らないほうがいいかもね」

 私は、社務所の脇にある絵馬掛所を見やった。

「どういうこと?」

 たくさん絵馬がかけられてはいるところは、他の神社と変わらない。書かれているのは受験の合格とか、家族の無病息災とか、そんなありきたりなことだろう。それが、何なのか?

「兄さんは鈍いから、すごいことになっているの気づいてないよね」

「すごいことになっているって、どういうことだよ」

 鈍いと言われて、颯も少し怪訝な顔だ。

「いや、俺も絵馬にあんなことを書いたら、あそこまでなると思ってなかったんだ」

私は嫌な予感がしていた。初詣、公衆の面前で私の告白のことを暴露した爽太のことだ。

 私は駆け出した。「見ないほうがいいってホント」と爽太の声が追いかけてくるけれど、止まらない。そのまま、絵馬掛所の前まで来る。

 そこで、見てしまった。目立つように上のほうに掛けられた、一枚の絵馬。やけに整った字で書かれているのは、

『兄の井口颯と、初もうでにこの神社で告白できずににげていった舟入あかりがちゃんと結ばれますように。一月一日 井口爽太』

「何これ!」

 しかも私や颯の実名、そして余計なことまで書かれているせいで、もっとすごいことになっていた。

『初詣のあの二人、そんな名前だったんだ。恋愛成就しますように』

 爽太の絵馬の隣に掛けられた、知らない人の絵馬に、そんなお願いごとが。しかも、

『舟入あかりさんが勇気を出して告白できますように』

『イケメン兄さんの颯が告白を受け入れますように』

『二人の関係を応援します』

『二人が仲良くなりますように。ついでに私も恋人見つかりますように』

『神様、あの二人が結ばれたら私もお祝いします』

 たくさんの絵馬に、私と颯の幸せを願う言葉が書かれている。

「噓でしょ。SNSじゃ、ないのに」

 わざわざ五百円かけてこんなお願いごとするなんて、この町はお人よしまみれだね! 

「何だよ、これ」

 気がつけば颯も隣に来て、掛けられている絵馬たちを見つめていた。

「颯先輩、これ気づかなかったんですか。ここでお手伝いをしているんですよね」

「あ、あまり他人のお願いごとを覗き見るのは失礼な気がして」

「先輩、鈍い……」

「年が明けてからやけに絵馬書いていく人が増えたけど、これだったのかよ。高須たかすさんは、見たかな」

「た、たぶん見たかも……」

 剣道クラブを見学したとき、義友よしともは部外者の私にやけに優しかった。私と颯先輩が一緒にいると嬉しそうにしていたし。これを見たからとしか、思えない。

 いや……

「撤回します。見たかも、じゃありません。高須さん、完全に見てます」

 私は見つけてしまった。

『二人の幸福な未来を祈る。高須義友』

 達筆な字で書かれたその絵馬を。

「とうとうばれちゃったか」

 爽太の声に、私と颯先輩は同時に後ろを振り返る。爽太は、はぐらかすように髪をいじっていた。

「何のつもりよ!」

「だから、ちょっとお願いごとしただけじゃないか。ほんとにこんなになると思わなかったんだよ。想定外なんだって」

 言い訳しているけれど、微妙に爽太の顔がにやけている。

 絶対楽しんでいる。

「高須さん、剣道の師範よね? 叱られなかったの?」

 私の問いに、爽太は首を横に振った。

「全然、何も言われなかった」

 あの人は教育的によくないとか思わなかったのだろうか。

「いいんじゃない? あの人だって、兄さんが彼女できないの嘆いてるみたいだったし。あいつならいい恋人できそうなのにな、とかぼやいてたの、俺聞いたんだぞ」

「だからって、そんなに俺たちのこと笑いものにしたいのか」

 颯も立腹していた。

「兄さん、言ってたじゃないか。誰かに迷惑かけたとしても、自分が頑張った結果なら俺は許してやるって」

「だからってなあ……」

「じゃあ俺、いったん家に帰るから。じゃあなあかり。大会は来週だから、絶対予定入れるなよ」

 そそくさと、爽太は私たちから離れていく。

「本当に弟がすまないことをした。すぐに焚き上げてもらうから」

 颯も、私に別れを告げると、爽太を追いかけていった。

 私は、その場で手を振って見送った。

 一人残された私は、絵馬のほうに向きなおった。

「まったく、仕方がないんだから、爽太ったら」

 爽太の絵馬を見ながら、ひとりごとをつぶやく。

「それにしても、俺たち、って颯先輩言ってたな」

 さりげなかったけれど、私は聞き逃さなかった。颯の慌てふためいた言葉を頭の中で繰り返して、ほっこりしてくる。

 私が一緒にいてもいいと、認められたみたいだ。

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