鹿島神宮のお守り 2
「はい?」
いきなり提案されて、三刀屋は私をまっすぐに見てくる。
「実は私、コーヒーの粉とドリッパーのセットを持ってきたんです。ここにいる全員分淹れられますよ。もちろん爽太は牛乳入れてカフェオレにするけど。キッチン、お借りしますね」
「いいわよ」
見守っていた綾乃が快諾する。
「私は、お菓子でも用意しようかしら」
「いいですね、お願いします」
私は言いながら、キッチンに向かった。ケトルに水を入れ、沸かし始めた。沸騰するまでの間に、私は持ってきたドリッパーにコーヒー粉を入れる。
お湯が用意できたところで、ドリッパーのコーヒー粉に少量、湿らせる程度に注いだ。十数秒たったところで、本格的に注ぎ始める。コーヒー粉がチョコカップケーキみたいに盛り上がり、深い香りが漂う。
抽出が終わったところで、私を含めた六人分のカップにコーヒーを注いでいく。爽太の分には牛乳を入れて、用意はできた。
「お待たせしました。これ、私がブレンドしたんですよ。おいしいと言っていただけたらいいな」
私は、テーブルに六人分のカップを並べていく。
「三刀屋さん、いつまで立っているんですか? せっかくのコーヒーなのに」
私は空いている席に、三刀屋を座るよう促す。そこには、湯気を上げるコーヒーが一杯。
「は、はい」
三刀屋は、言われるまま席に座る。
そして、コーヒーの注がれたカップを手に持った。
ゆっくりと飲んでいく。
三刀屋は、空になったカップを置いた。
「煉瓦珈琲でもそうだったが、やはりおいしい。舟入さんは、コーヒーがお好きですね」
さっきよりも、表情が緩んだように見える。
「ええ、中学生のときにコーヒーが大好きになって、自分でも淹れるようになって。父さんも、私のコーヒーが好きでした」
「お父さんも?」
「よく、おいしいって言ってくれました。私がそのコーヒー淹れるのに使ったドリッパー、父さんの形見なんですよ。コーヒー豆だってよく買ってくれました。……事故の日も、夕飯の食材と一緒にコーヒー豆を買いにいっていたんです。わざわざ隣町まで出かけて」
そのために、事故に巻き込まれたのである。
私もたまに考えることがある。もしも私がコーヒーなど好きにならなかったら、両親は生きていたのではないか。
三刀屋と考えていることは同じだ。
「でも、私は父さんを恨もうなんて思っていません。逆に、感謝しています」
コーヒーのおかげで、この町で好きな仕事を見つけられた。よくおいしいと言ってくれる、優しい人たちにも出会った。
「私が、爽太に竹刀を握らせたのは、間違いではなかったと、あなたはそう言いたいのですか?」
「はい。もっと、ちゃんとお孫さんを見るべきです。爽太、友達にもたくさん恵まれてますよ。颯先輩だって、そんな爽太のことを自慢に思っている」
三刀屋は、ひとつため息をついた。
「どうやら私は、人騒がせなことをしてしまったらしい」
三刀屋は、鞄から書類を取り出した。爽太の転居や転校に関する書類の束だ。
三刀屋は、それらを破いた。
「自らが選んだ道を悔いなく歩め、とお前たち教えたのは私だからな」
破られた書類を鞄にしまいながら、三刀屋は颯と爽太に告げる。
「取り乱したまま、みんなを困らせてしまった。心から詫びる。特に爽太」
「いいよ、そんなの。別に剣道クラブのみんなに迷惑かけてないから」
もう好きなことを手放さなくてもいいと知った爽太は、あっさりと祖父を許す。
「来月は、大会だな」
「じいさん、応援してくれるの?」
「あんなことをしておいてあれだが、頑張ってほしい」
剣道を始めるきっかけになり、やめろと言ってきた相手だが、爽太はすぐにうなずいた。
「うん」
三刀屋は、そのまま帰っていった。
カップやドリッパーは、綾乃さんが洗ってくれた。
「コーヒー、おいしかったわ。これはお返しするわ」
綾乃さんは、しっかりと拭いた私のドリッパーを返してくれる。
「ごめんなさい。洗い物を任せてしまって」
「何言っているの。おいしいコーヒーを淹れてくれて、私たちは感謝しているくらいだわ」
「ありがとうございます」
私のコーヒーについては、何度もおいしいと言ってもらえている。でも、言われるたびに、くすぐったいような、ほっこりした気持ちになるのは変わらない。
私はそのまま、洗ってもらったドリッパーを鞄の中にしまった。
「長居しても申し訳ないですし、そろそろ帰ろうかしら」
私は立ち上がる。
爽太も、立ち上がった。
「あかり、帰るんだったらすぐそこまで送るよ。兄さんもついてきて」
「ちょっと待った、爽太」
才治が鋭い声を飛ばす。爽太は顔を引きつらせて、背筋をぴんと伸ばす。
「な、何?」
「お前には説教を受けてもらう」
「そんな」
「当然だ。どうして僕や綾乃に話してくれなかった?」
「だって」
「だって、じゃない。剣道クラブのみんなには迷惑かかっていないにしても、ここにいる人たちにどれだけ心配かけたと思っているんだ?」
「それは、ごめんなさい。でも俺、ちゃんと帰ってくるから。ちょっとくらいならいいだろ。あと、兄さんも来てよ」
「俺も出ないといけないのか?」
「うん。叔父さんだって、そのほうがいいだろ。監視がついていたら、俺が変な寄り道できなくなるし」
爽太、相変わらず抜け目ない。
「……まったく、しょうがないな。颯がついているなら、ちょっとばかりはいいか。行ってきたらいい」
颯が折れて、爽太は「やった」と軽くガッツポーズをする。
「ありがとう。ちゃんと説教受けに帰ってくるから。ほら、あかり、行くよ。ちょっとくらい一緒でも別にいいだろ」
「嫌じゃないけど、どこまでついてくるの?」
「ちょっと家の前まで」
こんなに一緒になりたいと言ってくるあたり、爽太は、よっぽど三人きりで話がしたいのか。
「私、ちゃんと帰れるのに。颯先輩も、本当にいいですか?」
「いいよ」
「わかりました。そろそろお暇します」
私は改めて、玄関に向かう。
「舟入さん、今日は本当にありがとうね。また煉瓦珈琲、お邪魔するから」
「颯、爽太が逃げそうになったら頼むぞ」
玄関まで見送りに来てくれた綾乃と才治に、私は一礼して、靴を履いて出ていく。
その後に颯と、爽太も続いた。
三人で、そのまま門を出る。
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