俺がいなくなったら 5
私はそのまま、井口家でシチューをごちそうになった。
せめてものお礼にと、私は洗いものを手伝って、その日は帰ることにした。綾乃と才治さんに礼を言い、颯にも別れを告げて、私は玄関を出る。
「ちょっと待って、あかり」
爽太が、外に出て追いかけてきた。
時間がたって、ご飯も食べて、爽太は落ち着いていた。目元は赤いが、もう涙は流していない。
「寒いのに風邪をひくよ」
「あかりとだけ話したいんだ。ちょっとくらいならいいだろ」
「何?」
「俺があかりに近づいたの、兄さんと付き合わせるためって言ったろ」
「うん」
――兄さん、俺のことにつきっきりでさ。恋人できる気配ないんだよ。
呆れながら、爽太は言っていた。
「俺がいなくなったら、兄さん、この町で一人になるからさ。今の父さんと母さんがいるけど、心配だったんだ。ほっとしたよ。あかりが告白してくれて」
私がいれば、颯はこの町で一人ではなくなる。
母親を失ったとき、颯は爽太を一人にしなかった。それと同じように、町を去ろうとする爽太も、颯のことを一人にしたくなかったのだ。
「……だから、ごめん」
爽太は、謝ってきた。
「どうして、謝るの?」
「何も知らなかったから。兄さんが煉瓦珈琲にたくさん行ったり、あかりの淹れるコーヒーがおいしいとか言ってて、それであかりのこと好きなんだって早とちりしてた。弟なのに、兄さんが考えていること全然わかってなかった」
颯が煉瓦珈琲によく通っていたのは、私とあの事故との関係を気にしてのこと。
優しくしてくれたのは、事故で親を失っているかもしれないという配慮であって、単純に好きという気持ちからではない。
年越しの大祓の後、私を振ったのは、爽太や剣道クラブのことで忙しいから、などではなかった。
本格的に付き合うようになれば、遅かれ早かれ互いが三年前の事故の関係者であることがわかる。一緒にいれば、どうしても事故のことを意識してしまう。
ひょっとしたら、それで私が傷つくかもしれない。
だから、颯は距離をとろうとしたのだ。
「爽太が謝ることじゃないでしょ」
「さんざん引っ張りまわして、他人の家のごたごたにも巻き込んだんだよ。迷惑なだけじゃないか。彩夏のことは感謝してるけど、それも結局は俺たちの都合だし」
「そんなことはないよ」
何とか爽太を励まそうと、私はその頭を撫でようとする。
だが爽太は、私の手を掴んで止めていた。
「だから、触るなって言ってるだろ。何度もしつこいな」
「……」
「俺があかりに近づいたのは、兄さんとくっつけるためだよ。なのにべたべた触られて、俺とくっつかれたら困るんだよ」
爽太は顔を赤くし、そして私の手を放した。
「……なんて、こんなことも今日までだな。とにかく、もう出しゃばるのはやめるよ」
笑みを浮かべているのが、かえって痛々しい。
「じいさんと煉瓦珈琲であの話をしたのは、俺この町からいなくなるけど兄さんのことよろしくっていうつもりだったんだ。けど、そのせいであかりに迷惑かけちゃったし」
「だから迷惑なんかじゃないよ」
「俺のせいで、事故のことまでほじくり返した」
それで、私は自分の浅はかさに気づいた。
三刀屋たちに部外者扱いされているのが嫌で、つい自分も事故の関係者だと言ってしまった。
目の前で話すと、爽太にどれほど遠慮させてしまうのかも忘れて。
子供で、迷っていて、事故で母親を失ったことをいまだ引きずっているのに。
――深入りされても、逆に爽太を傷つけてしまいかねません。
三刀屋の言うとおり、私の不用意な発言で爽太を傷つけてしまった。
「あっ、下の名前で呼ぶのもやめないと。舟入さん。今まで本当にごめん」
私は歯を食いしばる。子供にこんな寂しいことを言わせているのが、悔しい。
何とかしないと。
こんな状態で颯と離ればなれになるのを見過ごすのは、やっぱりできない。
「じゃあ、さよなら。おやすみ」
もう、見ていられなくなった。
私は爽太の手を掴んでいた。
私に触られるのが嫌だとか、そんなことを気にしている場合じゃない。
「ちょっと、何?」
「一緒に来て」
私は爽太を引きずりながら、玄関に戻っていく。
「何だよ、あかり」
やめると言ったのに、爽太は再び下の名前で私を呼ぶ。だがこのほうがしっくりきて、いい。
「いいから!」
私は片手で爽太の手を引いたまま、玄関の戸を開けた。
物音に気づいて、颯が玄関に出てくる。
「舟入さん、どうしたんだ?」
「あの!」
私は一方的に用件を伝えた。
「今度の土曜日、爽太を借りてもいいですか? もちろん先輩も! 一緒に会ってほしい人がいるんです」
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