俺がいなくなったら 2

 接客したり、注文されたコーヒーを淹れたりしながら聞いた話では、こうだった。

 爽太の転校の件は、秋から出ていること。春休みに入ったら、爽太は一人で今の家を出て、ちょっと離れたここより大きな町にある三刀屋の家に移ること。

 もちろん、剣道もやめる。その後は、中学受験のため塾に通うらしい。

 今日は、お客さんが比較的少ない。でも、それでよかった。もしたくさんのお客さんが入っていたら、今の私では注文された商品の作り忘れをたくさんしでかしていただろう。

「叔父たちには、どう話す?」

 仕事をする私の傍らで、三刀屋が肝心なことを爽太に問いかけた。

「俺がなんとかする。たぶん納得してくれないけど、兄さんも何も言えないよ。一応、自分で決めたことだから」

 この話がすべて、爽太が自分で決めた?

 信じがたかった。

「わかった。この後、叔父の家に行こうか」

「ちょっと、緊張するな。叔父さんも叔母さんも絶対に怒るし、兄さんだって」

「私がついている。お前が決めたことだ。小学生なのに今後のことをきちんと自分で決められて、偉いぞ」

 そう言って、三刀屋は爽太の肩をぽんぽんと叩く。下を向きがちだった爽太が、まっすぐに三刀屋を見つめた。

「うん」

 顔を上げているから、どんよりと暗い瞳がよく見える。いつもおもしろいことを考えているような、明るい瞳ではなかった。

 剣道をやめること、中学受験のためにこの町を離れること。すべて爽太が自分で決めたことだと言っている割には、全然、自信なさそうだ。

 こんなの、爽太らしくない。

「じゃあ、行くか」

 二人のカップは、すでに空になっている。三刀屋さんは伝票を持って立ち上がった。爽太も、三刀屋についていく。

 私はレジに向かった。三刀屋は「二人まとめてください」と言いながら、伝票をレジのカウンターに置く。

「ごちそうさまです。ここのコーヒー、おいしいですね。お店の雰囲気も落ち着く」

 三刀屋が、この店のことを誉めてくる。

「ありがとう、ございます」

 誉められても、嬉しくない。

 この人は、爽太をこの町から連れ去ろうとしている。爽太が決めたことだと言い訳して。

「本当にこの町、出ていくの?」

 私は、後ろでちょこんと立つ爽太に問いかける。

「おっと、戸惑うような話をしてしまって、申し訳ありません」

 私は爽太に聞いているのに、三刀屋が勝手に言ってくる。

「ただ聞いていただいたとおりです。この子は勉強熱心ですから、きっといい中学に合格すると思います。じゃあ爽太、行こうか」

 三刀屋は間を置かずに歩き出した。爽太も、三刀屋に続く。

「そういうことだから」

 これだけ言って。

 私は、二人を追いかけようとした。だが二人と入れ替わるようにして、新しいお客さんが入店してくる。

「いらっしゃいませ」

 今は仕事中だ。勝手に抜け出すわけにもいかない。

 私は新しいお客さんを席にご案内する。


 私は時計を見る。時刻は、午後五時五十五分。シフトが終わるまで、あと五分だ。

 シフトが早く終われと、ここまで思ったのは初めてだ。いい職場だと思っているから、コーヒーを淹れるひとときを半ば楽しんでいるところもあって、働いているうちに時間が過ぎていくのがいつものことだった。

 でも、今日は違う。

 爽太を止めないといけない。今ごろ、爽太は今の自分の家で、春以降のことを話し合っているはずだ。さっきの三刀屋と一緒に。

 見過ごしたくない。

「お疲れさまでーす」

 六時以降のシフトの人が、店に入ってくる。同じ大学に通う同級生だ。キャンパスで一緒に昼食を食べることもある女友達。

「お疲れさま」

 私は退店したお客さんのお皿やカップを下げながら、女友達を迎える。彼女はそのまま、バックヤードに入っていった。

 私が片付けをしているうちに、女友達はカフェエプロンをまとって店内に入った。

「あかり、今日なんか慌ててない? 落ち着きがないよ」

 その女友達は、私の異変にすぐさま気づいてくる。

「ちょっとその、急ぎの用事ができたから」

 私は言って、またしても時計を見る。ちょうど六時になった。

「じゃあ私、帰るね」

 早歩きでバックヤードに入り、カフェエプロンを脱ぐ。急いで私服に着替えて、荷物をまとめると、煉瓦珈琲を後にした。

 すっかりと暗くなった町を、いつも帰る方向とは逆に向かう。急がないと、話がついてしまうかもしれない。

 走って、黒い瓦屋根が立派な颯の家の前に着く。明かりが漏れていて、中から人の話し声が聞こえてきた。

 まだ三刀屋はこの家にいて、話し合いが続いているのだろうか。

 思えば、颯の家を訪れるのは初めてだ。憧れの人の家ということで、ちょっと距離を置いていたこともある。

 だけどさっきの会話を聞いて、変な遠慮なんてしている場合ではなくなった。

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