第7章 俺がいなくなったら 1
私、
小学生が学校から帰る時間帯だ。店の窓から、学校から帰る子供たちがちらほらと見かける。さっき、男の子の友達と談笑しながら歩く
でも、気になるのは
わざわざ水曜日のシフトを聞いてきた。
学校終わりにこの店に来るつもりだろうか。だとしたら、何をするつもりだろう。
そんなことを気にしていると。
「いらっしゃいませ、って君なのね」
入店してきたのは、爽太だった。家にいったん帰ってからこの店に来たらしい。ランドセルは背負っておらず、手ぶらだった。
「今日も来たぞ」
初詣に公衆の面前で告白のことを叫んだのがこの子だ。兄思い、友達思いの悪くない子ということはわかったけれど、この店でもよからぬことを叫ぶ気がしてくる。
「またよくないことを企んでないでしょうね」
「どんだけ俺、信用ないんだよ。あっ、席はテーブルにしてほしいな」
「どうして?」
「いや、今日は一人じゃないんだ。人と待ち合わせしている」
「わかった。じゃあこちらの席にどうぞ」
私はちょうど空いているテーブル席に爽太を座らせた。
「どうも」
「他のお客さんって、誰なの? 彩夏ちゃん? あの子カフェオレが好きだから、二人分用意しようかな」
「へー、あいつもカフェオレ好きなのか……って違うよ」
爽太のぽわんとした顔、私は見逃さなかったよ。
「じいさんだよ、じいさん。大事なこと、いろいろ話すから邪魔すんなよ。あと、不審者とかじゃないから、変な目を向けないように」
爽太の祖父、か。
颯から祖父のことは、あまり聞いたことがないけれど。
「いつ来るの?」
「四時って伝えたから、もうすぐ来るはずだけど。あっ、注文はじいさんが来てからでいい?」
「いいわよ。じゃあ、私も準備するから」
私はメニューやお水を用意するために、カウンターへ向かう。
爽太のいるテーブルに戻って、二人分のメニューとお水を置いたところで、店のエントランスのベルが鳴った。
入店してきたのは、高齢の男の人。黒色のコートをまとっている。
「いらっしゃいませ」
私は声をかける。この人が、爽太の祖父だろう。
颯や爽太にとても似ている。目元や、白髪が混じっているけれど、さらさらしていそうな髪が、二人と本当にそっくりだ。爽太に言われずとも、兄弟と血縁があるのではと思ってしまいそうなほどに。
「こんにちは」
男の人が、口を開く。落ち着いた声だ。
「この店で待ち合わせをしていまして。
おじいさんは、若い私にすら腰を低くして接してくる。やっぱり、この人が爽太の祖父だった。
「そうた……井口君ですね」
「はい」
「承っています。ご案内します」
私は爽太のいるテーブル席に、その人を案内した。
「爽太、元気にしているか? また大きくなったな」
爽太のおじいさんが笑顔を浮かべた。
「もう、この間会ったばっかなのに」
「そうだな。背が伸びていくのを見ると嬉しくて、ついこんなことを言ってしまう」
仲のよさそうな会話を始めている。
「あっ、注文いい?」
爽太がメニューを広げる。
「これ爽太、お店の人にそんな言い方は」
「あっ、大丈夫です。この子、友達ですから。この店にもよく来てくれるんです」
私はとっさにかばった。ナイスフォロー、と言いたげに、爽太は私に視線をよこしてくる。
「それはそれは、爽太がいつもお世話になっています」
「いえ、お行儀もよくて、この店に来てくれるのを楽しみにしています」
「それはいい」
告白のことをばらされたり、剣道クラブの見学に無理やり連れていかされたりと散々な目に遭わされたが、この人の前では言わない。一応、爽太のことを褒めておいたほうがいい。
「申し遅れました。私、
三刀屋、という苗字に、私は伝票を落としそうになった。
改めて、三刀屋と名乗った男の顔を見る。初めて会う人だ。
だが、私はこの人の苗字を知っている。
「わけあって苗字は違うんだけどね」
爽太が教えてくる。私が驚いたのは、爽太と苗字が違うことなどではない。
三刀屋って……
「じいさん、そんなことより注文」
「おお、そうだった。とりあえず、ブレンドコーヒーを。爽太は何にする?」
「カフェオレで」
私は気を取り直すと、伝票に注文を書きつけていく。
「かしこまりました。少々お待ちください」
声が詰まりそうになるのを、何とかこらえた。
カウンターに戻ると、三刀屋と爽太を盗み見る。
私はその苗字を知っている。忘れるはずがない。
私の両親が亡くなることになった、酒気帯びで暴走したトラックによる事故。
あれには、もう一台の車も巻き添えになっていた。私の両親が乗っていた車の、すぐ後ろを走っていたという。乗っていたのは母子で、母親が亡くなり、子供だけが、重傷を負いながら生き延びたという。
その車の人とは面識はないし、生きていた子がその後どうなったのかも、私は知らない。
知っているのは、苗字だ。
三刀屋という苗字だった。
偶然かもしれないが、珍しい苗字である。まさかあの人は、事故に巻き込まれた母子と関係があるのか? だとしたら、こんなところに突然現れて、爽太と何を話すつもりなのだろう。
とにかく、私はコーヒーを淹れていった。仕事中だし、ぼんやりしている場合ではない。
「それで、引っ越しは春休みでいいんだね」
三刀屋の声で、私はまたしても手を止めそうになった。
「うん、転校するならそれくらいのほうがちょうどいいだろ」
爽太も、何食わぬ様子で答えている。
どういうこと?
爽太は、この町からいなくなるのか。剣道クラブの子供たちとあんなに仲良さそうだったのに?
そもそも、六年生に上がったら全国大会を目指すと自信満々に宣言していたのではなかったか? 別の町の剣道クラブで目指すのか。
何とかコーヒーとカフェオレを用意して、二人のところに運ぶ。
「お待たせしました」
私は三刀屋と爽太の席に、コーヒーとカフェオレを並べる。
「あの、聞こえたんですけど、引っ越すって、どういうことですか?」
お客さんの会話に、安易に立ち入るべきではないことは理解している。それでも、私は問いかけた。
「聞いてのとおりだよ。俺、春になったらこの町出ていくから」
爽太は、さらりと言ってのける。未練もなさそうに。
本当にこの男の子が爽太なのか、私にはわからなくなった。
「仲良くしていただいていたところ申し訳ないが、この子が決めたことですから。今までこの子によくしてくれて、本当に感謝しています」
三刀屋も三刀屋で、勝手に話を進める。
「四月から、この子は私が引き取って、面倒を見ようと思っておりまして」
三刀屋が話している最中に、他のお客さんの呼び出しベルが鳴った。
「おっと、申し訳ない。まだ仕事中でしたね。どうぞ」
「あっ、は、はい」
本当はもっと詳しく話を聞かなければならないが、仕事を放り出すわけにもいかない。私は一礼すると、他のお客さんのところへと向かった。
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