祖父 4

「ただいまー」

「帰ったよ」

「おかえりなさい」

 迎えてくれたのは、井口綾乃いのくちあやの。俺の本当の母さんの、姉だ。

 そして今の母さんでもある。

 俺は靴を脱ぐと、玄関を上がった。綾乃さんはぎゅっと抱きしめてくる。

「今日も頑張ったのね、偉いわ」

「うん」

 ちょっと恥ずかしいけど、拒むことはしない。抱いてくるときの強さとか、そっと頭を撫でてくるときの仕草が、生きていた頃の本当の母さんとあまり変わらないから。

「お腹空いたでしょ。荷物を置いて、ご飯にしましょ」

 綾乃は、俺を離した。

「あんまりお腹空いてないけど」

 言ったとたん、ぐう、という音が聞こえた。もちろん俺のお腹からだ。

 ふふ、と綾乃さんは笑う。

「強がっちゃって、かわいい」

 どいつもこいつも。

「かわいい言うな。言っとくけど、よっぽどおいしいのじゃないと俺は感動しないよ……おいしそう」

 俺はリビングに入るやいなや、目の前の光景にうっとりしてしまった。

 テーブルの上にあったのは、コンロの火で温められた、鍋だった。ぐつぐつといい音をたてながら、白米ご飯と一緒に湯気を上げている。

「やあ、おかえり」

 テーブルの奥に座っている男の人が、手を振ってくる。

 井口才治いのくちさいじ、綾乃の妻であり、俺の今の父さんだ。

「うん、ただいま」

 俺は荷物を置き、布袋に入った竹刀を壁に立てかける。

 そして、颯と一緒にリビングの片隅の棚に向かった。

 棚の上には、二枚の写真が立てかけられている。一枚は、俺が赤ん坊の頃に亡くなった本当の父さんの写真。もう一枚は、俺と本当の母さんの写真。新しい剣道着に身を包み、鹿島神宮のお守りをつけた竹刀袋を手に胸を張っている俺の隣で、母さんが微笑んでいる。

 俺は颯と一緒に、二枚の写真に向けて手を合わせる。

「二人も、ただいま」

 この家に帰ったとき、必ずする挨拶だ。この家で暮らし始めてから、欠かしたことは一度もない。

 俺はそのまま、食卓の自分の椅子に直行した。

「早く食べたい」

 箸に手を伸ばす。

「手は洗ったか?」

 才治の声で、俺はぴたっと手を止めた。同時に流しの水が流れる音が聞こえた。颯は対面式の台所で、手を洗っている。

「すぐ洗ってくる」

 俺も、颯に続いて手を洗う。タオルでしっかりと拭くと、もう一度自分の椅子に座る。

「じゃあ、いただきます」

 俺はさっそく、鍋の具に箸をつけた。綾乃が、バスが着く時間を見計らって用意していたみたいだ。肉も野菜もしっかり煮えていて、柔らかかった。

「おいしい」

「今日のお前、上機嫌だな」

 才治も鍋に箸をつけながら笑う。

「今日の稽古、いい感じだったから。彩夏のやつ、調子取り戻したみたいだし」

「おう、それはよかった」

 にっと笑って、才治は白菜を口にする。俺も、次の肉にかぶりついた。

 食べながら、颯のほうに目をやる。

 俺が綾乃や才治と話している様子を楽しんでいるように、静かに食べている。時々綾乃が鍋の具をよそおうかと問いかけると、遠慮なく、という感じで取り皿を渡していた。

 綾乃と才治。

 両親を三年前に事故で失った俺や颯を、養子という形で引き取って、この家にいさせてくれている。ちょっと前までこの家にはこの夫婦の実の息子と娘がいたけど、二人とも就職で独立した。代わって来たのが俺や颯というわけだ。

 実の家族同然に、よくしてくれた。学校にも、剣道クラブにもまともに通わせてくれているし、毎日ご飯を作ってくれたり、洗濯だとか洗いものとか、身の回りの世話もしてくれた。

 爽太が来てくれて、うちも明るくなった、と綾乃はよく言ってくれる。

「大会もいい感じでいけそう」

 とにかく、俺はしゃべった。

「だったら……」

 綾乃は、空になった俺の取り皿を取り上げた。

「たくさん食べないとだね」

 たっぷりと、鍋の具を取り皿によそってくれる。

「ありがとう」

 俺は肉や野菜が山盛りにされた取り皿を受け取り、肉を食べた。

「ほんとにおいしい。ものすごくおいしい」

「もう、爽太ったら、よっぽどお腹空いてたのね」

 綾乃は笑う。

「それほど、稽古で頑張ったということだ。いいことじゃないか」

 才治も笑っていた。

 三年間、この二人にはお世話になった。

 そのことには、ちゃんと感謝している。しても、しきれないくらい。

 この二人、いや颯も含めて三人と一緒にご飯を食べる回数は、もうそんなに多くない。

 だから、楽しまないと。

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