祖父 2
急いで着替えを終えると、あかりが更衣室の前で待っていた。
「爽太、忘れ物はない?」
あかりが声をかけてくる。
「ないよ、なんでそんなこと聞くの?」
「今日の爽太、すごい上機嫌だから。上機嫌すぎて、うっかりスマホとか忘れてそう」
「ちゃんと全部持ってるよ」
俺をおちょくっているのかあかりは。
前々から思うけど、あかりは若干イタズラが過ぎる。さっき頭をわしゃわしゃしてきたのもそうだ。つい変な声が口から出てしまって、聞かれた友達に更衣室でニャアニャア声真似をされる羽目になってしまった。
「更衣室、賑やかだったね。ニャアニャアってよく聞こえたけど」
「うるさい。全部あかりのせいだろ」
俺で遊ぶなっての。
「さんざん私を振りまわした仕返し」
にっ、とあかりは笑ってくる。どこまでおちょくるつもりだ。
まあ、俺もあかりのこと、かなりおちょくってきたけど。
「とにかく行くぞ。バスが来る」
更衣室ではしゃいでいる友達に追いつかれたら、またニャアニャアからかわれそうだ。
「はいはい」
俺とあかりは、颯と合流した。
そうしている間にも、体育館の前を車が次々と通り過ぎていく。この剣道クラブの友達が乗った車だ。バスでこの体育館に来るのは、俺と颯くらい。
通常の稽古でこの体育館に来るときだけではない。他の剣道クラブとの交流試合や大会の会場へも、俺と颯はバスや電車で会場に向かう。他の子のように、車に乗って行くことはしない。
「帰るか」
「ああ、あかりのほうも、忘れ物ないよな。彩夏に感動しすぎて」
せめてもの意趣返しのつもりで聞いてやる。
「大丈夫、確認済みだから。じゃあ、またご一緒させてもらいます」
あかりは、颯に声をかける。
「ああ」
あかり、最初は恥ずかしそうにしていたくせに、今は慣れた様子だ。颯だって、バスで一緒に乗ることに抵抗はないらしい。初めてあかりとこの体育館に来たときと違って、落ち着いている。
二人の距離が、ちょっとは近づいたのかな。
だったら勇気を出して、初詣の楠神社で叫んでやったり、あかりに近づいたりしてよかったというものだ。
俺たち三人は体育館を出て、バス停にさしかかる。
バスを待っている間に、一台の車が俺たちの前を通り過ぎた。
「じゃあね。お兄さんもありがとうございました」
車の開いた窓から、彩夏が声をかけてくる。
「ああ、またな」
俺は颯やあかりと同じく手を振って、友達を見送る。
彩夏は本当に明るくなった。学校で元気に挨拶してきたし、最近は、車から手を振ってくることはなかったのに。
「彩夏、表情よくなったね」
あかりも言っている。
「あかりのおかげだよ。ありがとう、あいつと話をしてくれて」
「爽太って、ちゃんとお礼が言える素直な子なのね」
「うるさい。でも今日の彩夏、本当にすごかったから。前よりも強くなってた。兄さんもそう思うだろ」
「ああ。それに楽しそうだった」
颯も、素直に称賛している。頑張る子を見ると嬉しそうにするの、相変わらずだ。
「今日のあいつとは、もうちょっと稽古したかったな」
彩夏と竹刀を交えたときの感触は、まだ手に残っている。心地いい痺れで、手の平がひりひりしていた。
「また今度、稽古できるじゃない」
「それもそうだけど……これであとは、大会に向けて頑張るだけだな」
俺はおおげさに言ってみせる。
最後の、とまでは言わない。
「大会、あるの? いつ?」
そういえば、あかりには大会のことを話すのは初めてだ。
「来月に隣町の体育館でやるんだ。目標は優勝だよ」
「爽太、ものすごく強そうだしね」
「そ、そうか。どうも」
今日のあかりは、やけに俺のことを褒めてくる。彩夏との会話で何があったんだか。
まあいい。
「あかりも応援に来てくれるのか?」
「爽太、またあかりを振りまわすのか?」
颯がすかさず咎めてくる。でも、別に嫌そうにはしていなかった。
「私、大丈夫ですよ、先輩」
「無理に予定を合わせなくてもいいんだからな。大会があるのは土曜日で、休日は煉瓦珈琲も忙しくなるだろ」
「煉瓦珈琲のシフトは何とかなりそうです。せっかく彩夏ちゃんと友達になったんですし、どうせなら爽太も含めて応援したいので」
「ほら、あかりも言っているよ」
「まあ、一般の人も邪魔しなければ出入り自由だしな」
「決まりだね。あかりも応援に来るということで」
これで、兄さんとあかりは距離を縮められる。
いい感じだ。
「でも爽太、やっぱりすごいな」
あかりがまた俺のことを褒めてきた。膝を少しかがめて、俺と視線を合わせてきたから、少し落ち着けなくなる。本当に彩夏と何を話したのだ?
「何が?」
「目標が優勝って、はっきり言うなんてね。県大会とか、ひょっとして全国大会も目指しているの?」
あかりは微笑んでくる。
「そうだよ。俺、六年生になったら、全国目指すんだ」
嘘をついた。六年生に上がる頃には、全国大会を目指すどころか、竹刀すら握らなくなる。
じいさんに連れられて、この町を出るのだから。
「すごいね。頑張ってね」
「もちろんだよ」
慣れない嘘を重ねながら、俺は竹刀袋につけている鹿島神宮のお守りに触れていた。こうするとちょっとだけ、落ち着く。
そうしているうちに、バスが到着した。ドアが開いて、俺たちは乗り込む。
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