カフェオレ 5
稽古が終わる。
爽太は、上機嫌だった。
「すごかったな、お前。この前よりもずっとよくなってる」
爽太は、ロビーに出るやいなや、笑いながら彩夏の背中を叩く。
見ている私は、ほっとした。この間の殺伐とした爽太とは大違いだ。
「そうかな」
彩夏も、ちょっと戸惑ってはいるものの、嫌がってはいない。
「まさかあそこで小手打たれるなんて思わなかった。油断したよ俺」
やられた悔しさなんてそっちのけだ。
「お疲れ。今日はすごかったね」
私は二人に話しかける。
「おっ、お疲れ。今日のこいつすごかったよな」
爽太がまたしても、彩夏の背中を叩く。
相手は女の子なのに、これでは同性の友達同然だ。
「うん、すごかったよ彩夏ちゃん。この前もすごかったけど」
「もう、二人とも褒めすぎ」
彩夏は、照れてしまっている。
「私、もっと彩夏ちゃんのこと応援したくなったな」
また煉瓦珈琲に来てくれるのが本当に楽しみだ。
「私も、あの日煉瓦珈琲に行ってよかった。あかりさんといろいろ話せたし」
「あかりと彩夏、あの店で何を話したんだよ?」
爽太が、食らいついてくる。
彩夏は顔を引きつらせた。あの日に煉瓦珈琲で話したことは、爽太にとっての大きな秘密。
彩夏が私に打ち明けたことは、爽太に知られるわけにはいかない。
私は人差し指を口にあてた。
「秘密。女の子同士のね」
「え? なんでそうなるの?」
「男の子が女の子同士の秘密に立ち入ってはいけません」
「ケチ」
瞬間、私は爽太の頭の上に手を載せていた。わしゃわしゃと乱暴に撫でまわす。
「ニャアァァ!」
舌がもつれたのか、爽太はとんでもない悲鳴を上げた。
慌てて私から離れ、そして、かっと顔を赤くする。マズい、と思っているのだろうが、もう遅い。
「ふふ、爽太、ニャアだって、かわいいよねー。見た目は子犬みたいなのに」
私は彩夏に笑いかける。
「……」
彩夏は彩夏で、きょとんとしていた。友達の醜態にどう反応したらいいか迷っている。
「……こ、この……」
爽太は、顔を赤くしたまま怒り出す。
「触るな笑うな子犬みたいって言うな!」
乱された髪を直すことも忘れて、私に文句をぶつけてくる。
「かわいいはいいんだ」
「だ、黙れ!」
「おい爽太、何を騒いでるんだ、姉さんの目の前で」
他の剣道クラブの男の子が、爽太に声をかけてくる。ロビーには、まだ他の子供たちがわらわらいた。
「な、何でもねーよ」
爽太は言い返す。
「ニャアって聞こえなかったか?」
他の男の子がおもしろ半分に聞いてくる。
「さ、さあな。体育館に野良猫が忍び込んだんじゃねーの?」
「爽太、嘘がヘタ……」
彩夏につぶやかれる始末だ。
「そっかー、猫か。どっかで事務員さんに追いまわされてたのかもなー。じゃあ」
その剣道クラブの男の子は、含みのある言葉を残した。そのまま更衣室に向かっていく。
「じゃあまた後でー」
爽太も手を振る。もう片方の手が震えていた。
爽太も、自分が置かれた立場がわかっているようだ。このまま更衣室に入ったら、しつこい尋問が始まる。
かわいそうなことをしたな、とは思わないようにしよう。すべては、しつこく聞いてきた爽太が悪い。
――まったく爽太ったら、どうして私が触るとこんなに取り乱すのだろう?
「そ、そうだ。俺、ちょっと電話しないといけない用事があるんだ」
爽太は、リュックからスマホを取り出した。
「逃げるの……?」
「ち、違うっての。本当に電話しないといけないんだよ」
「へー」
「……ところであかり、次の水曜日の午後、煉瓦珈琲で働く予定ある?」
「え? うん」
確か、大学の講義が午前中に終わって、その足で向かうことになっている。
「何時から何時まで?」
「お昼の一時から、夕方の六時までだね」
「わかった。ありがとう。すぐ終わるし、待っててよ」
スマホを片手で持ったまま、爽太は私に背を向ける。
私と彩夏だけが、その場に残された。
「変な爽太」
爽太の背中を見守りながら、私はつぶやく。水曜日は稽古が休みだというし、煉瓦珈琲に来てまた何かするつもりだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます