カフェオレ 4

 翌週、火曜日の夕方。

 私は今日も、バスに揺られていた。今までのように、最後尾の席に私、爽太、颯の順に座り、体育館へと向かっている。

「あかりってさ、ほんと人と仲良くなるの得意だよな。彩夏が煉瓦珈琲行っただなんて」

「彩夏ちゃん、前々から行きたがっていたんだし」

「あいつの呼び方も変わってるし。もう下の名前で呼び合う関係になったんだ」

 私は爽太と他愛のない話をしながら、たまに爽太の向こうの颯を盗み見た。颯は肘掛けに肘をついて、夕暮れを迎える町並みを眺めているだけだ。

 彩夏の話で、この兄弟の秘密を知ってしまったことは、内緒だ。

「まあその、あかりには助かったよ。学校での彩夏、ちょっと変わったから」

「へー、どんな風に?」

「話しかけてくることが増えた。前は、あまり話しかけようともしなかったんだけど、あいつ」

 本当に遠慮しないと決めたみたい。私はほっとする。

 逆側に座っている颯が動き出した。

「そろそろ、着くぞ」

 そう言って、席の後ろの荷物を持ち上げる。

「舟入さんは、今日が最後なんだな」

 颯が確認してきて、私はうなずいた。

「あまりたくさん来すぎると、怪しまれそうですから」

 義友にも迷惑がかかるし。彩夏が爽太ときちんと向き合えるか、確認さえできればいい。

 バスの自動放送が、次の停留所は体育館前と告げた。私は降車ボタンを押す。バスは停車し、前側のドアが開いた。爽太が先に席を立つ。

「堂場さんのこと、ありがとう」

 颯は、立ち上がる間際にそう言った。

「私も、友達ができて嬉しいです」

 とても年下だけれど、友達は友達だ。

 私たちは体育館の中に入る。そこには、すでに義友が到着していた。

「こんばんは」

 颯と爽太が、声を合わせ、頭を下げる。後ろについてきていた私も、いったん立ち止まって頭を下げた。

「今日は早いですね」

「地鎮祭が早く終わったからな。ところで舟入さん、今日が最後だって? うちの稽古の見学」

「はい。大学のプレゼンも終わりましたし、レポートも書けそうですから」

「レポートか、大学生も意外と大変だな」

 今日の義友も、やけに明るい。私が来るたびに、なぜか歓迎してくれる。

「最初は大変でしたけど、何本か書いているうちに慣れました。今回のレポートもいいのが書けそうです」

「もしネタが足りなくなったら、またいつでもおいで。何だったら、そこの颯もいろいろ教えてくれる。神社のこと、舟入さんに教えていたようにな。遠慮はするなよ」

「は、はい……」

「まあ今日も、ゆっくりと楽しんでいってくれや。何度も見てわかっているかもしれんが、颯の竹刀振るところ、かっこいいんだからな」

 私は隣の颯を見る。颯は顔こそ義友のほうに向けているけれど、目は別の方向を向いていた。

 なんだか義友、やけに颯と話してほしそうな感じがする。いやむしろ、私と颯をくっつけようとしているような……気のせいだよね?

「じゃあ、今日はここの事務室に用事があるんでな」

 義友は上機嫌な様子で、この場から離れていった。

「師範も、二人はお似合いだと言ってるぞ」

 爽太が、いたずらっぽく兄の腕をつつく。

「そこまで言ってないだろ。お前も早く着替えろ」

「へーい。じゃああかり、ごゆっくり」

 爽太も更衣室に向かった。

「……なんだか今日の爽太、元気そうですね」

 颯に話しかけづらいけれど、あえて言ってみる。

「堂場さんが学校でも普通に話しかけてくるようになって、嬉しいのかも。あいつも心配していたから。あの、いろいろ、その、ありがとう。うちのことなのに、いろいろと手をまわしてくれて」

 颯の顔、じれったそう。

「いいんです。私も友達が増えましたから」

 それに颯のことも知った。

 知った上で、もっと颯のためになることをしたいと思う。

「俺の弟、いつも迷惑になっているな」

「これくらいは許しますよ。それに爽太ももっと元気そうになって、私もほっとしているんです」

「あんなに振りまわしたのにか?」

「振りまわされましたけど、それでも先輩の弟ですから」

「……変なことを言う」


 本当に、彩夏の動きは変わっていた。

 爽太と彩夏が試合形式の稽古に取りかかる。義友の「始め!」という合図と、太鼓の音とほぼ同時に、彩夏は一気に爽太と距離を詰め、一気に、面をめがけて竹刀を振り下ろす。

 爽太はかろうじて受け止めたが、半歩後退した。彩夏は容赦なく、今度は爽太の胴を狙う。

 床を踏みつける音と、竹刀同士がぶつかり合う乾いた音がアリーナに響き、私の髪まで震えた。

 ――違う。

 先週と、音が違った。あのときも圧倒されるくらいに大きな音だったが、今のほうがもっと大きい。彩夏の攻撃に勢いがある。

 もう遠慮はしない。

そう彩夏が言っているみたいだった。

 彩夏の迷いのない動きに意表を突かれ、彼女の竹刀を防ぐので精一杯になった爽太だが、彼も負けてはいなかった。彩夏と間合いをとると、彩夏の小手を狙う。

 今度は、爽太の声が聞こえるようだった。

 ――おもしろいじゃん、やってやる。

 互いに攻撃を繰り出し、防ぎ、体育館に大きな音を響かせる。

「今日の堂場さん、前までと違わない?」

 私の周囲の保護者たちも、二人の様子を見てささやき始める。

「なんか、動きが軽くなった感じかしら」

「それに、二人とも楽しそう」

 本当に、楽しそうだった。

 私は二人を見て思う。

 稽古とはいえ、真剣勝負だ。どちらかが隙を見せたら、たちまち一本を取られてしまいそうなほどの。

 でも動きの軽い二人を見ると、無邪気に遊んでいるようにも見える。

 面で二人の顔は見えない。でもきっと、目を輝かせながら竹刀を繰り出しているのだろう。

「二人とも、剣道好きなんだね」

 竹刀を繰り出していく二人を眺めながら、私はつぶやいていた。

 爽太に振りまわされる形でこんなところに来る羽目になったけれど、悪くない。むしろ応援できることがあったら、応援したいなとすら思えてくる。

 私は、颯にも視線を向ける。颯はじっと爽太と彩夏の稽古を見守っている。面を被っていないその顔は、真剣そのもの。厳かだけれど、さわやかだ。弟とその友達が成長していっているのを楽しんでいる。

 彩夏が振り下ろした竹刀が、爽太の小手を叩いた。痺れるほどの音がアリーナに響き、観覧席の保護者たちからもおお、という声が飛ぶ。

「一本! 小手あり」

 義友が声を上げた。

 一本を取られた爽太だが、別に悔しそうな様子はなかった。視線を落とさず、早く次をやりたいとばかりに駆け足で最初の位置に戻る。そして再び彩夏と相対して、竹刀を構えるのだった。

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