第4章 竹刀の音 1
師範の手伝いをしている
「おっ、美人さんだー」「井口さんが女連れ込んだぞー」「カノジョ? なあカノジョなのか?」
子供たち――しかもみんな男の子――が私を囲って口々に騒ぐ。
逃げられない。
「あ、あの、私、今日は、大学の課題で、地域の子供たちの課外活動を調べるために来ただけで……」
私はとっさに、颯が考えてくれた言い訳を口にするが。
「ダイガクって何?」「井口さんと付き合ってるんだー」「井口さんの彼女美人!」
うう、逃げられない。
爽太もそうだけど、子供は容赦なさすぎだ。
どうしよう、と颯のほうを見るが、彼は成す術なしという様子でこっちを見つめている。
颯先輩、子供に厳しくするの苦手なんだ。
「結婚するのか」
「違う!」
誰かに言われて、私は叫ぶ。まあ颯とだったら素敵な家庭を築けそうだけど。
でもそれどころじゃない!
早くこの子たちから逃げないと!
「こらー! 何をやってるの!」
体育館のロビーに、大きな声が響く。
彼女だ恋人だ結婚だなどとまとわりついていた男の子たちが、急に静まり返った。みんなの視線が、一点に注がれる。
エントランスに、一人の子供が立っていた。他の子供たち同様、黒いジャンパー姿だ。大きなリュックを背負い、手には竹刀袋を持って、仁王立ちしている。子供にしては鋭い視線が、大河ドラマで見た戦に赴こうとする戦国武将みたいだ。
「お客さん困ってるでしょ! 早く着替えなさい!」
「やべーぞ、こえーのがきた」「逃げろー」
私を囲っていた男の子たちが、一目散に逃げていった。
「すごい」
あの子、声だけで追い払った。
その子は私を囲っていた男の子たちが更衣室に入っていくのを見届けると、私に歩み寄ってくる。
「ごめんなさい、うちの男子たちが迷惑かけました」
ぺこりと頭を下げて、その子の短い黒髪が揺れる。何となくだが、伸ばしてロングヘアーにしたらさぞ美しい髪になりそう、と思ってしまった。
この子、男の子だよね……?
「ああ、いいえ。私こそ、どうもありがとう」
「この人、
爽太が、私とその子の間に割って入った。
「兄さんの……もがもが」
爽太の口は、とっさに颯の手に塞がれていた。
「俺と同じ大学に通っていているんだ。今日は、大学の課題のためにうちの稽古を見学していくことになっている」
颯が、もがく爽太の口を塞いだまま説明してくれる。
「ああ、そういうことですか。私、誰なんだろうって思いました」
ん? この子、私って言った?
「
彩夏はまたしてもお辞儀してくる。
「お、女の子、なんだ」
爽太が、颯の手を振りほどいた。私の肘を叩いてくる。
「ちょっと、失礼だよ」
私は、慌てて口を手で押さえた。短い髪に、ボーイッシュな服装、男勝りな声で、つい性別を間違えてしまった。
「それにこいつ、うちの副将なんだぜ」
爽太が、彩夏の横に来て、その肩に手を載せた。
「えっ? 副将だなんて、強いんだね」
「い、いいえ! それほどでも」
ちょっと照れた様子が、愛くるしい。本当に女の子だった。
さっきの爽太の話によると、剣道クラブには女の子一人だという。そんな中で副将だなんて、もっとすごいのではないか。
何か悩んでいるらしい子というのは彩夏、ということにもなるが。
「ちなみに主将は俺だけどな」
爽太は親指を立てて、自分に向ける。
「爽太、本当に剣道強いんだ」
「兄さんにいじめられ、鍛えられているんだぞ。当然」
爽太は、兄の冷たい視線など気にしていない様子でドヤ顔を決めている。
一方で、彩夏は、じーっと私の顔を見ていた。
「どうしたの? 私を見て」
「あっ、ごめんなさい! でもどこかで見かけた気がして」
「二人とも、何をやっているんだ? そろそろ師範も来られる」
しびれを切らした颯が、二人に言って聞かせる。
「あ、はい。じゃあ着替えてきますので」
「じゃ、あかり、途中で帰ったりするなよ」
爽太と彩夏が歩み去っていく。途中で二人は別れて、彩夏だけ女子の更衣室に入っていった。
「女の子、あの子だけなんですよね」
私は隣の颯に尋ねる。
「ああ、力のある子だよ。声もしっかり出るし、男の子にもまったく負けない」
見た感じでは、元気ありそうな子だったけれど……
「でも、爽太の言う悩んでいるらしい子って、あの子ですよね」
「まあ、そうなるな」
やっぱり男の子ばかりの中に女の子一人だと、いろいろ大変だったりするのだろうか。副将もしているというし。
それから数分後。
私は颯の隣で、
「煉瓦珈琲の譲さんが、どうしてここに? 見せものじゃないから、興味本意で来られても困るんだが」
義友が厳めしく尋ねてくる。見るからに不審そうだ。
「だ、大学の課題、だそうです」
颯が代わって説明してくれる。
だが、声が硬かった。その方向でごまかそうと提案したのは颯なのに、ぎこちない。
「課題?」
義友の声が、もっと低くなる。
「ち、地域の子供たちの課外活動を調べるように言われまして。それでお邪魔させていただきました」
私もたどたどしくも、嘘の事情を話す。
「そんな話は聞いていないが」
「……今日になって突然大学で言われたので。しかも、来週プレゼンしないといけなくて」
私はとっさに嘘を重ねる。
「課題の調べものなら、どうして手ぶらなんだ? メモとかとらないのか?」
「……突然だったので、ノートとか忘れてしまいまして」
疑われている! 絶対疑われている!
義友はじっと私を見ていた。武道家らしい鋭い眼光だ。ヘビに睨まれたカエルのように、私は動けなくなり、目だけがせわしなく動いていた。
ふと、隣の颯の手が目についた。
小さい頃の私は、気が弱かった。怖いこと、例えば雷が鳴ったときや、散歩道脇の家に獰猛そうな犬がいたとき、よくお父さんの手を握っていたものだ。
今、無性に颯の手をぎゅっとしてしまいたい衝動にかられている。
「歓迎だ。そういうことなら」
義友の言葉に、私は「えっ?」とつぶやいた。
「舟入さんはよくうちの神社にお参りに来てくれるし、この間は年越しの大祓にも顔を出してくれた。ここまで縁のある人を、拒むわけにはいかんよ」
「は、はあ」
義友は、ロビーの奥の階段を示した。
「観覧席は、あっちの階段から行ける。好きなだけ見ていったらいい」
「あ、ありがとうございます」
私は頭を下げた。
よかった。ここで颯の手を握ったりしたら、本当に関係を疑われるところだった。
「まあ、たまにはお客さんもいたほうがいいよな。特別枠だぞ」
義友は言って、更衣室のほうへと向かった。颯も、彼についていく。
やけにあっさりとだまされたように見えたが。
とりあえず、私も観覧席のほうへと歩き出した。
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