なんで私、バスに乗っているの? 4

 三分後。

 町外れの体育館へ向かうバスの最後部の席。その窓側の席に、私は座っていた。真ん中に爽太が、さらに向こうの窓側には颯が座っている。

 後ろの荷物置きのスペースには、爽太と颯のリュックが置かれていた。

「あの、爽太君?」

「ん? どしたの? あかり」

「なんで私、こうしてバスに乗っているの?」

 バス停では、あのまま二人と別れる流れだったはずだ。

「え? あかり、自分からバスに乗ったんじゃなかったっけ?」

 爽太は、知らぬ顔だ。

 三分前のことを、私は頭の中でよく整理する。

 颯とは別れる流れで話をしている最中に、バスが近づいてきた。停車し、ドアが開いたところで、爽太がとんでもないことを言い出した。

 ――あかりが来なかったら告白のこと友達にも言うぞ。

 それで私は車内に駆け込んだのだ。

「どれもこれも、爽太のせいでしょ」

 もう爽太は呼び捨てにしてしまおう。子供相手だけど君なんてつけない。振りまわされるのも限界だ。

「よかったよかった。このままあかりが帰ったらどうしようって思ったよ。俺の兄さんったら空気読まずに帰れって言うから」

「お前……」

 爽太の向こう側で、颯が苛立った声を出す。

「兄さんもいいじゃないか。何度も言うけど、お客さんいたほうが稽古にもっと集中できるだろ」

 爽太は楽しそうに体を左右に揺らしている。抱えている竹刀袋も左右に振れていて、付けている朱色のお守りが揺れた。刺繍された『鹿島神宮』の文字がバスの照明を受けて輝く。

「爽太、今日の稽古が終わったらわかっているな」

「コンビニのおでん、奢ってくれるの?」

「……」

 なんか颯、かわいそうだな。

 私は隣の兄弟を見て思う。

 颯は物静かで優しい。そんな兄に甘やかされて、弟はすっかりとつけあがったのだろう。これまでの爽太の大胆不敵な行動も納得だ。

 ――煉瓦珈琲へ保護者に連れてこられる爽太は、本当におとなしい印象だったんだけどな。

「わ、私、観客席でおとなしくしていますから」

 反対側の窓側に座る颯に向かって、私は言う。

「邪魔はしません」

「舟入さん、無理して付き合わなくてもいい。今さらだけど」

「いいんです。それに私、ちょっと剣道、見てみたかったんです。高校でもやらなかったので、どんなのかなって」

 兄弟そろってバスに乗り込むところは、私は何度も見ている。正直、颯は体育館でどんな稽古をしているのだろう、竹刀を振っている様子はどうなのだろう、という好奇心はあった。

「やっぱ剣道初めて? なら今日は最高の一日になるよ」

 爽太は、荷物置きのリュックを開けた。中からスマホを取り出す。

 ――スマホ、持ってたんだ、この子。

「なんだって、兄さんは日本一の剣士なんだから」

「日本一?」

「爽太、それはよせよ」

「いいだろ。本当のことなんだから」

 爽太は言いながら、スマホを操作した。画像を見せてくれる。

 それは、集合写真だった。剣道着に防具を身に着けた七人の男子たちが、首から金メダルを提げて堂々と並んでいる。

 そして列の隅には、颯がいた。『優勝』と金色の刺繍が施された赤い旗を掲げている。

 何かの大会で優勝したときの写真、らしい。

「すごい。いつの大会ですか?」

 私は颯に尋ねる。

「高校生のときだ。二年生だったから、三年以上前になる。まったく爽太は。むやみに見せびらかすなよ」

「福岡であった全国大会、俺も見たけどすごかったぜ。兄さんが一本取られるところ、見たことなかったもん」

 初耳だった。颯はずっと剣道をしてきたことは知っていたけれど、まさか全国大会で優勝するほどの実力だなんて。

 ……でも、それなら。

 颯は、特に大学の部活はやっていない。剣道部に入っていれば、今頃ものすごい活躍をしていたのではないか。

「てなわけで、俺の兄さんは超絶ゆーりょーぶっけんなわけ。そこらの男とは格が違うんだ。いざというときは守ってくれるし、彼氏にしたらほんと最高だよ」

「こら、爽太。いい加減にしろ」

「あかり、お目が高いなー」

 ――やたらと兄を営業するわね、この子。

「あと、こんな兄さんに教わっている俺たちだから、結構強いよ」

 自信満々に、爽太は言ってくる。

 自分で強いって言ったよこの子。

「まあ、人に見せても恥ずかしくない程度には実力があるな。俺や高須さんの稽古にもみんなよくついてきてくれるし」

 颯は、まんざらではない様子だった。口元を緩ませて、それを紛らわせるためか、夕暮れ時の薄暗い車窓を眺める。いかにも、教え子たちを自慢に思っている、という感じだ。

「そうなんですね。私、楽しみになりました」

 颯に指導された子供たち、どんな剣道を見せてくれるのだろう。

「だろ」

 爽太、鼻高々という様子だ。

 この子にはさんざん振りまわされてバスに乗るはめになったけれど、まあ悪くないか。

 楽しみになったのは事実だし。

「本当にすごいな、井口先輩」

 私はつぶやくけれど、同時にふと、不安にもなった。

 剣道の全国大会で優勝するほどの颯と、普通の大学生の私。

 釣り合いがとれていない。

 告白をしたこと自体、出過ぎた真似だったのではないか……?

「黙って帰ってもらっても構わないから」

 私の動揺を見透かしたように、颯は言ってくる。

「これ以上、舟入さんに迷惑かけたくないし」

「もー、兄さん相変わらず空気読めてないー。せっかく来てくれてるのに」

 爽太が口をとがらせる。私は君に振りまわされただけだけどね?

「迷惑は迷惑だろ」

「どうせあかりは帰っても暇なだけだよ」

「勝手に決めるな」

 あちゃー、言い合いになった。

「あの、やめてください。稽古前にケンカなんて」

 私は思い切った。

 颯と私は釣り合いがとれてないけど、かといってこのまま帰るのも中途半端で嫌だ。

「せっかくだから、最後までいます」

 私は言った。爽太の顔が、ぱっと明るくなる。

「よーし、俺もやる気出てきた。どんなキツい稽古もやれそう」

 爽太は、感情を隠そうともせずに笑顔を浮かべている。

「ふーん、それはよかったわね」

 私は、爽太の頭に手を伸ばした。さらさらした髪を乱暴に撫でつける。

「ぎゃっ!」

 爽太が顔を赤くする。

「だから触んなよ!」

 この子、ころころ表情が変わっておもしろい。

「ごめん、楽しそうだからつい」

 それにこう嫌がられると、逆にもっと触りたくなる。

「なんか爽太、私が子供の頃に飼ってた犬みたい」

「犬!」

 私によく懐いていたけれど、なぜか抱っこが嫌いだった。でも拒まれるとそれもまたかわいくて、嫌がるのについ抱っこを試みたものだ。

「それに、爽太がさっき言ってたことも気になるし」

 剣道クラブに悩んでいるらしい子がいる、と言っていた。詳しいことはわからない。爽太がどんな子なのか話そうとしたとき、颯が現れて、うやむやになってしまった。

「爽太、まさかあの子のこと、あかりに話したのか?」

 颯も、例の悩んでいるらしい子のことを気にしているみたいだ。

「悩んでいるっぽい子がいるって言っただけだよ。詳しいことを話そうとしたら、兄さんが現れたから」

 邪魔しやがって、とばかりに爽太は言う。

「またうちの事情に舟入さんを巻き込んで……」

「俺や兄さんじゃ、どうにもならないことだろ。相手、女の子なんだぞ。あかりが相談に乗ったりしてくれるんだったら、それでいいじゃないか」

 いいのか、と颯は私を見つめる。

「話すくらいなら、大丈夫です」

 いくら爽太にさんざん振りまわされたとはいっても、困っている子供を見捨てることはできない。

 結果的に颯のためになるのなら、それもいい。

 次の停留所は体育館前、というバスの自動案内が流れた。颯は降車ボタンを押すと、荷物置きのリュックを持ち上げた。爽太も荷物置きのリュックを持って降りる準備をする。

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