なんで私、バスに乗っているの? 3
翌日、私は爽太に押しつけられたメモを持って、バス停へと向かっていた。日は傾いていて、空に浮かぶ雲は茜色だ。
バス停ではすでに、バス待ちの客が一人いた。爽太だ。ジャンパー姿で、大きな黒いリュックを背負っていて、やはり黒い竹刀袋を持っている。身に着けているのが質素な黒で固めているから、竹刀袋に付けられた、朱色のお守りが目立った。
「おっ、あかり、来てくれたんだ」
私に気づいた爽太が、大きく手を振ってくる。
「ええ、来てあげたわよ。断りを入れに」
「え? まさかあかり、来てくれないの?」
悲しそうに上目遣いをする爽太。私はうっとなってしまう。こんなときだけ都合よく子供っぽくなるな。
「そもそも、颯先輩はどうなの? 師範をされている高須さんは? 許可するわけないでしょ」
それに、颯には振られたばかり。
「その点は大丈夫。兄さんは俺が何とか説得するから」
「何とかされても困るの。私、邪魔になるだけ」
「邪魔になんてならないよ」
「本当に図々しいわね」
「それに、兄さんのこととは別だし、あかりにこんなことまで頼んでいいかよくわからないけど……」
今まで頑なな態度を貫いてきた爽太が、急によそよそしくなった。
「どうしたの? 何か困ってるの?」
「俺の友達のこと、助けてほしいなって思って。話すだけでもいいっていうか」
爽太が、気になることを言ってきた。友達を、助けてほしい?
「どういうこと?」
爽太は、すぐには話さない。考え込んでいるのか、下を向く。
だが、勇気を出したように、爽太は話し始めた。
「うちの剣道クラブ、一人だけ女の子がいてさ、何か悩んでいるみたいだから。俺や兄さん、男だし、相談に乗りづらいっていうか、何ていうか」
意外だ。爽太でも悩むことがあるなんて。
まあ女の子が一人、男の子の集団に囲まれているというのだ。いろいろ困ることも多いだろう。そんな中で剣道をやっているだけでもすごいけれど。
「そんなことなら、先に言ってくれたらいいのに。その悩んでいる子って、どんな子?」
「そいつは……」
爽太が話そうとして、口をつぐんだ。視線を別の方向に向ける。
誰か来たのかな、と私は爽太の視線を追って、はっと息をのんだ。
「舟入さん?」
私の苗字を呼んだのは、颯だった。爽太と同じく黒色の大きなリュックを背負っていて、手には竹刀袋を持っている。
初詣以来の再会だった。
私はとっさに、バス停の時刻表の裏に隠れる。今はとても、颯の顔を直視することができない。
「よっ、兄さん」
隠れる私とは裏腹に、爽太が無邪気な声を出す。悩んでいるような様子だったのに、急に明るくなった。
――この子、兄の前だといつもこうなのかしら。
「ちょっと遅かったな。バスぎりぎりだぞ。来なかったらどうしようって、焦ったよ」
爽太、焦っている様子もなく私と話していたくせに。
「神社の絵馬、業者へ発注するのに時間かかったんだよ。年が明けて、なぜか書いていく人が増えたから。それより爽太、いったいこれはどういうことだ。どうして舟入さんがここにいる?」
「あかり、今日うちの稽古見ていきたいだって」
「爽太君! 私そんなこと言ってないでしょ!」
私は時刻表で顔を隠しながら声を上げる。
しかも爽太、颯の前でも私のこと下の名前で呼んできた。
「舟入さんもこう言っている。呼びつけたのは、お前だな。迷惑なだけだ」
やっぱり颯も断ってきた。
「えー、兄さんのケチ。いいじゃん別に。うちの剣道クラブ、観客席いつも開いていて、親御さんたちどころか、近所のばあさんまで立ち寄ることあるのに」
「だからって、なんで舟入さんまで連れてくるんだ? 困らせるだけとか思わなかったのか」
「そうよ。三人で体育館に入ったら、他の子たちにどんな勘違いをされるかわかんないでしょ」
私もバス停の陰から抗議する。
「いいじゃん。おもしろい話題になるよ」
「まったくお前ときたら……舟入さん、そんな風に隠れなくてもいい」
颯に呼ばれて、私はびくっとなった。ゆっくりと時刻表から顔を出す。
「丸見えなのに隠れてて笑えるー。おもしろ」
爽太が腹をよじらせると、すぐさま颯が睨みつけた。いったんは黙り込む。
「舟入さん、初詣以来、だね」
改めて、という感じで、颯は話し始める。たどたどしい。
「はや……井口先輩も、お久しぶりです。初詣はお世話になりました。ジャンパーも、ありがとうございました」
「初詣では、弟が迷惑をかけたな。ちゃんと叱ったんだけど、どうやらまた迷惑をかけたらしい」
「いいえ! 迷惑だなんてそんな」
「そうだぞ、俺がせっかく応援してるのに」
空気を読まない爽太を、颯はもう一度睨みつける。
「お前はいい加減静かにしていろ。からかうな」
「ごめんなさーい」
爽太、反省していない。
「とにかく、舟入さん、弟が無理に振りまわして、本当にすまなかった。ちゃんとその、後で叱っておく」
颯が珍しくもたどたどしかった。初詣のときに叱っておきながら、この様だ。爽太を叱っても効果はないと思うけど。
「大丈夫です。子供のやることですし」
私はとっさにフォローする。
「今日はもう、帰っていいよ。こんなことに付き合わなくてもいい」
やっぱりそうなるよね。
颯に拒まれているようで心細くなるが、これでいい。
爽太が話していた、悩んでいるらしい女の子というのが気になるけれど。
「そうします」
ちょうど、バスが近づいてきた。重々しい音が響き、ヘッドライトの明かりが私たちを照らす。
「寒いし、いろいろ忙しいのに、本当にすまない」
「いえいえ、私、ちょうど暇だったので。先輩こそ、稽古頑張ってくださいね」
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