なんで私、バスに乗っているの? 2

 今年も、私は去年と変わらず煉瓦珈琲のバイトを続けている。だが、ちょっとした変化があった。

 なかなか颯の姿が現れない。振ったことを気にしているのかもしれない。

 そもそも、爽太のせいとはいえ、初詣の楠神社であんなことに巻き込まれたのだ。不機嫌になったのではないか。

 そんな不安を押し隠しながら私は働いていたのだが、ある日、小さな来客があった。

 その姿を見て、私はうっ、となる。

「……イラッシャイマセ」

 私はとりあえず、棒読みで歓迎の挨拶をする。

「ども、ゴブサタ!」

 現れたのは、爽太。小さな鞄を肩から提げている。一人だけで来店するのは、たぶん初めてだ。

「あまり会えなくてごめんなー。剣道やってると、年始いろいろ大変なんだよ。寒稽古とかさ、朝早く起きて、すげー寒い中で稽古だからな。しかも裸足で」

「え、偉いじゃないの」

 ストイックだこの子。

「爽太君は、親と一緒じゃないの? この店に行くって、ちゃんと言った?」

 席へと案内しながら、私は尋ねる。

 ここは酒を扱う店でもないし、日中なら子供が一人で来店しても問題はないけど。

「友達の家に遊びに行くって言って、抜け出したんだ」

「なんで嘘つくかな」

「うちの親、ここの常連だぞ。じゃあついていくって流れになったらどうすんだよ。すぐ帰るからいいだろ。どうせ近くだし」

 そういう問題でもない気がするが。

「とりあえず、こちらの席にどうぞ」

 私は、窓際の席に案内する。

「ありがと。じゃ、ブラックコーヒーで」

「却下」

 反射的に言っていた。

「客の注文却下するなんてありかよ」

 爽太がぷんすか抗議してくる。でも私は譲らなかった。

「子供が飲むものじゃありません。カフェイン濃いし」

「かふぇ、いん?」

「とにかく、カフェオレにして。わかる? コーヒー牛乳」

「うー、わかったよ。それで」

 私は伝票にカフェオレと記入して、カウンターに戻っていく。

 すぐにマグカップにコーヒーを注ぎ、そこにミルクを入れて軽く混ぜ、用意を終えた。爽太の待つ席へと持っていく。

 ただのいたずら半分で来店したわけではないらしい。爽太は、テーブルにノートを広げて宿題をしていた。

「お待たせ、カフェオレです」

 私はカフェオレの入ったマグカップを、テーブルの片隅に置く。

「宿題なんて偉いね」

「友達の家に行くとか言っておいて、すぐに帰ったら家の人に怪しまれるし」

 わざわざこの店に現れたのは、何か目的がありそうだけど。

「兄さんがこの店来なかったの、成人の日のせいだよ。着付けの準備とかで忙しくしていた。この間、成人式無事に終わったけど」

 カウンターに戻ろうとした私に、爽太はそう教えてきた。

「そっか。二十歳だし」

 この間の成人の日、スーツや着物姿の人がたくさん町を歩いていたのを思い出す。

「それにちょっと、こっちに来るの後ろめたそうにしてる」

 爽太はノートに算数の式を書きながら続けた。

「そっか」

 さすがに、振った人がいる場所に自分から行こうとは思えないだろう。私も、もともと初詣に楠神社に行くつもりはなかった。あくまで借りたジャンパーを返すためであって、もしその用事がなかったら、元旦は一日中部屋に閉じこもっていたはずだ。

 実際に私は、初詣以降、楠神社に行けてない。

「もう颯先輩は、この店に来ないかな?」

 私は爽太の次の言葉を待っていた。

「付き合うようになったら、兄さんまたこの店に来るよ。決まってるじゃん」

「簡単に言わないでよ」

 小言をぶつける。

 この子、本気で私と颯を付き合わせようとしている。

 その爽太は、私が運んできたカフェオレのマグカップに口をつけた。

「おいしい」

 にこっと笑ってくる。

「ああ、ありがとう」

 何だかはぐらかされたような気がする。

 だが爽太は、マグカップを置くと、いそいそと宿題を続けていた。

 邪魔をするわけにもいかない、と私もカウンターに戻っていく。

 爽太は、要領のいい子なのかもしれない。三十分もしないうちに、宿題を終えていた。

「あの……」

 爽太が手を上げて、私を呼んでくる。

「はい、どうしたの?」

「お金って、どうやって払ったらいいんだっけ」

 小学生が一人でこんな店に来たら、いろいろ戸惑うこともあるのだろう。

「ああ、伝票を持って、レジに来て。お金はそこで。こっち」

 私は、爽太と一緒にレジへと向かう。そこで爽太から伝票を預かり、レジを操作した。

「カフェオレ一杯で、四百五十円ね」

 金額を言いながら、私はいいのかなと思う。小学生の小遣いからしたら、ちょっと高いのではないか。私が奢ってあげようか……

「ああ、はい」

 爽太は、鞄から財布を取り出すと、きちんとぴったりの額を払ってきた。

「ご来店、ありがとう」

「こっちも。おいしかった。あとそれと、初詣で俺が言ったこと、覚えてる?」

 爽太は言ってきた。

「え? う、うん。剣道の稽古の見学でしょ」

 あれから何もなかったから、爽太の冗談ではないかと思い始めていたけれど。

「年明けのバタバタも終わったし、ダラダラとこんな状態が続くのも嫌だし、そろそろ来てもらおうかな」

 爽太は、鞄から一枚のメモを取り出した。カウンターの上に置く。

 整った字で書かれていたのは、この店の近くにあるバス停の名前と、『一月十五日、午後五時』という日時だった。

 でもこれ、

「明日じゃない」

 今日は一月十四日だ。

「予定、もう入ってた?」

「いや、そんなことはないけど」

 狙いすましたように、煉瓦珈琲のシフトも大学の講義も入れていない時間だ。

「だったら、この時間にこのバス停に来て。明日の夕方、他の予定入れるなよ。じゃあな」

 脱兎のごとく、爽太は店を飛び出していった。

「あ、待って」

 まだシフトの最中だ。外まで追いかけるわけにはいかない。しかもちょうど、別のお客さんの呼び出しボタンの音が鳴った。私は爽太から押しつけられた紙をポケットの中にしまい、お客さんのほうへと向かう。

 爽太にしてやられた。

 断ろうにも、爽太が携帯を持っているかもわからない以上、連絡をとる手段はない。直接爽太の家に向かうのも、颯がいるから気が引ける。かといって、無断キャンセルするのもかわいそうだ。

 行くしか、なさそう。

 私はお客さんの注文を取り、伝票を書きながら、ため息をつきたくなるのをこらえていた。

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