第3章 なんで私、バスに乗っているの? 1

 私は、春奈はるなが入院している病院にいた。

「わざわざありがとう。見舞いに来てくれて」

 入院着姿の春奈が、赤ん坊を抱えながら礼を言ってくる。

「いえ、私も会いたかったですから。葉月はづきちゃんに」

 私は、さっき教えてもらった名前を口にする。春奈に抱えられながら眠っている、赤ちゃんの名前だ。経過は良好だという。

「あかりちゃんのおかげね。今は寝ているけど、この子、本当に元気いっぱいなのよ。泣き声が大きくて、びっくりしたくらい」

「それで、春奈さんは、お体どうですか?」

 春奈は、くす、と吹き出した。

「この期に及んで私の心配? この子も私も大丈夫だから、こうして面会もできているのに」

「そうですよね、ごめんなさい」

「あかりちゃんは、私の心配ばかりね。できることなら、この子の無事だけを考えてほしかったのに。ここに来るまでの車でもそう」

「つい、というか、何ていうか」

 無我夢中だった。苦しんでいる春奈さんを見て、体が勝手に動いた。

「春奈さんにもしものことがあったら、と思って」

「ほんといい子ね。そうだ。この子、抱っこしてみる?」

「いいんですか?」

「あの日のお礼も兼ねて。温かいわよ」

 春奈が、寝ている葉月を渡してくる。私はそっと受け取った。

 赤ちゃんの体は軽いけれど、しっかりとした熱があった。しかも柔らかい。

「かわいい。大きくなるの楽しみ」

 気分もほっこりして、私は笑う。

「でしょ」

「お手伝いできることがあったら、私も呼んでくださいよ。この子のためだったら何でもできそう」

「何だか、あかりちゃんがお母さんになったみたい。子育て、大変よ」

 春奈は、私の頭を撫でてくる。

 子供扱いされているような気もしたが、今はいいか、と思った。病室にいるのは私と春奈と、眠っている葉月だけだ。

「でも、春奈さんがしっかりとお母さんできるように、応援したいんです」

「あかりちゃんのお母さんがうらやましくなったわ。こんないい子、なかなかお目にかかれないわ」

「そうですね。母は確かに優しかったです」

 ……もういないけれど。父親も含めて。

「あと、謝らないといけないことがあるわね」

「何です?」

「年越しの大祓おおはらいのこと。あんなに楽しみにしていたのに、私のために行けなくなってごめんなさい」

 ああ、そんなことか。仕方がないことで、春奈が後ろめたく思う必要はないのに。

「大丈夫です。仕方ないことでしたし、それに、実は大祓、出れたんです」

「え? どういうこと?」

「お店から車を出すところ、くすのき神社の人も見ていて、私を待っていてくれたんです。私だけお祓いしてもらって、特別扱いもいいところでしたけど」

 ――でもその後は……

 思い切って颯に告白してみたのに、だめだった。

「すごいわね。楠神社のお手伝いさん、あかりちゃんと仲いいしね」

「ええ……」

 その楠神社のお手伝いさんの、拒絶めいた顔を思い出してしまった。

「あまり、いい顔じゃないわね。何かあったの?」

「いえ、何でもないです」

 私は言って、慌てて葉月の顔を見下ろす。自分の声で起きてしまっていないか。

 だが葉月は、すやすやと眠ったままだった。

「何でもなくない顔してる」

「本当につつがなく終わったので」

 無事に出産を終えたとはいえ、春奈はこれからの育児に関する不安とか、いろいろ抱え込んでいるはずだ。私の自分勝手な悩みごとのために、振りまわすわけにはいかない。

「あかりちゃん、嘘ついたでしょ」

 春奈のまっすぐなまなざしに、私の背に冷たいものがよぎる。

 私の嘘を見抜いたというのに、春奈は微笑んだままだ。

「話してみて。あかりちゃんが何か悩んだままだと、私も責任感じちゃうし」

「そんな、申し訳ないです」

 バカ、と私は自分をなじった。悩みごとがあると自ら打ち明けたようなものではないか。

 私の落ち着きのなさは、腕の中の葉月も敏感に感じ取ったらしい。うー、とぐずりだした。

 春奈は両手を出す。私は葉月を、春奈に返した。やはり母親の腕の中が落ち着くのだろう。葉月はすぐに静かになり、再び寝た。

「そんなに遠慮するなら、当ててみましょうか。それ、井口君のことでしょ。楠神社のお手伝いさん」

「……はい」

 隠しきれる自信がなくなって、私は正直に打ち明けた。

「大祓の後、実は私、井口先輩にこ、告白したんです」

 恥ずかしい。でも春奈に言ってしまえば、少し気持ちが楽になった。

「その様子だと、うまくいかなかったみたいね」

 こくり、と私はうなずく。

 ふふ、と春奈は笑った。私はびくりとする。

「ごめんなさい、急に笑って。でも、ちょっと昔の私とそっくりだったから」

「昔の……」

「あかりちゃんって、意外と一途なところあるわよね。でも、井口君が断ったのも、仕方がないかもしれないわね。彼、弟思いだから」

 弟、爽太そうたのことか。

 初詣に告白したことを公衆の面前で暴露してきた、あの小学生。颯とそっくりだけれど本当に彼の弟なのか疑いたくなるような、そんな生意気さを誇る男の子。

「彼、弟さんのことでつきっきりなのよ。この世で最も大事にしている。兄弟というよりは、お父さんと息子さんみたいだわ」

「確かに、年も離れていますしね」

「でもだから、あの子のこと、応援してあげてほしいな。振ってきた男の子にそんなことするなんて、ちょっと無理な相談かもしれないけれど」

「春奈さんが、そう言うなら」

「ありがと」

 そうやって春奈は、にこっと笑ってくる。

 それに、まだ颯とのつながりは切れたわけではない。

 爽太が、付き合えるように取り計らってくれると言っていたから。

あれから爽太とは会っていない。爽太はスマホを持っているかもわからないから、連絡のとりようもない。でも初詣を終えてから、私はずっとあの子の動きを気にしている。

「……小学生のくせに、出しゃばりな弟」

「ん、あかりさん何か言った?」

「いえ、何でもないです。ただの独り言ですから気にしないでください」

 また追及されるかな、と思ったけれど。

「わかった。何でもないのね」

 春奈は、そうやって受け流すのだった。

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