初詣の神社で小学生が叫ぶ 2

 そのまま楠神社の境内から外れて、なおも私は走り続けた。もう、さっきの会話を聞いていた人は周囲にいない。それでも走るのをやめないのは……。

「待ってよ。どこに行くんだ」

 爽太が、追いかけてきているからだ。

 しかも爽太、子供なのに意外と足が速い。拝殿の前では不意に走り出したこともあって一気に距離を離したのが、どんどん差を詰めていた。軽い足音が、すぐ背後に迫ってくる。

「待てってば」

 とうとう私は、爽太に手を掴まれた。子供らしく繊細な肌をしているのに、手の平だけ皮が厚くざらついていた。

「何よ」

 私は爽太を振りほどこうとする。だが、振りほどけない。乱暴に強く握られてはいないけど、何なのだろう。爽太の手の平が吸いついているような感じだ。

「私のことからかってるの?」

 子供が相手なのに、つい大きな声を出してしまう。

 爽太のせいで、みんなの笑いものにされた。

「ああやったら兄さんも受け入れてくれると思って」

「受け入れるわけないでしょ!」

「兄さん、肝心なところで恥ずかしがって、憶病なんだから」

「その兄さんも困っていたの! 憶病とかどうとか関係ない! あんな大声出して、たくさんの人がいるのに」

「神社にいた人たち、みんな応援してたよ?」

「応援じゃなくて、笑いものにしてたの! わからない?」

 私のこの一言が、効いたらしい。

「う、そ……」

 爽太は、ゆっくりと私の手を放した。どんどん上目遣いになっていく。

「ごめんなさい。悪かったよ。ちょっと調子に乗りすぎた」

 シュンとして、爽太は謝ってくる。

 素直に謝るなんて、私はちょっとびっくりした。

 爽太は、ただ私をからかおうとしたわけではないらしい。

「やっぱ、あんな方法じゃだめか。単刀直入すぎるな」

 何をぼそぼそつぶやいているのだろうこの子。

「で、どうして追いかけてきたの?」

 神社に連れ戻して、もう一度告白させるつもりだろうか。

 だが爽太は、再び顔を上げた。元旦の朝日の中で目を輝かせ、背筋をぴんと伸ばし、しっかりと私の顔を見てくる。

「ああ、ちょっとびっくりさせたみたいで、これもごめんね」

「もう大丈夫だから。私に何の用?」

「姉さんに伝えたいことがあるんだ。お願いって言ったほうがいいかな。兄さんへの告白がどうしてもだめだったら、言おうと思ってた」

 冒険に出かけるような、あるいは転校先の学校で新しいクラスメイトたちに自己紹介をするような、わくわくした声で、爽太は言った。


「俺と付き合ってよ」


「おおぅ」

 私は声を漏らす。

 年越しの大祓の夜に颯にしたのが、人生で初の告白。

 でも告白されるのは、これが初めてだ。

 しかも相手は、極端な年下。背は私の口元くらいしかない。体も細く、軽そうだから、長らくおんぶできそうだ。声変わりなどはるか先なその声は、颯の声に似ていることを抜きにして聞いたら女の子の声と間違えそうなくらい。

 恋愛対象というよりは、保護対象にしかならない男の子に、まさか告白されるとは。

「君、自分の年齢忘れてない?」

 私の言葉に、爽太はむすっとする。

「姉さんこそ、何か勘違いしているみたいだね。別にそっちの意味じゃないってば」

「どういう意味?」

「姉さん、まだその、兄さんのこと好きなんだろ」

 ちょっと顔を赤くして、爽太は確かめてくる。

「うん」

 たくさん神社のことを教えてくれて、私の淹れたコーヒーをおいしいと言ってくれた颯だ。簡単に諦められるわけがない。

「よかった。俺、姉さんには感謝してるんだ」

 爽太が、再び笑顔を浮かべる。

「感謝?」

「兄さん、俺のことにつきっきりでさ。恋人できる気配ないんだよ」

 呆れたように、爽太は言う。

「大学に入ってもうちょっとで三年目なのに、一年目から全然変化ないし。正直このまま卒業して就職とかされたら、寂しそうで嫌だった。そんなときにあかりが告白してくれて、俺、正直やったって思ったんだ。ありがと、あんな兄さんでも好きになってくれて」

 ぺこり、と爽太は頭を下げる。

 兄の恋愛を応援する弟なんて、健気なものだ。

「というわけで、俺、姉さんが兄さんと付き合えるようにする。何とか兄さんを振り向かせてみせるよ」

 すごい提案だった。

「びっくり。まさか応援してくれるなんてね」

「他の男に色気づくとか、やめてくれよ」

「しないよ、そんなこと」

 私は不倫や二股は認めない主義だし。

「じゃ、ケーヤク成立だね、あかり。これからよろしく」

「ちょっと、いきなり下の名前で呼ぶの?」

切り替えが早すぎる。

「いいじゃん、俺あかりにとって彼氏の弟ってなるんだから」

「よくない」

 本当に大胆不敵で図々しい子だ。

「だめ?」

「普通に舟入さんと呼んでほしいんだけど」

「堅苦しいな」

「堅苦しくない。舟入さん」

「やだ」

「反抗期か」

 そこまでわがままを言うならば、と私は爽太の頭を撫でまわす。見た目どおり、さらさらした触り心地だ。

 だが、爽太の体がびくっと震えて……

「ひゃっ!」

 慌てて私から距離を取った。

「か、勝手に触んなよ」

 爽太は頭の私に触れられたところを手で押さえながら、文句をぶつけてくる。

「どうして?」

「びっくりするじゃないか」

 爽太、あさっての方向を見て焦れている。

「さっきは私の手、掴んできたのに?」

「それでも!」

「ふうん」

「……」

 意外とウブな子だ。自分から触れてくることはあっても、触れられるのは苦手ときたか。

「あと、私と付き合ってくれるなら、ついでに頼まれてもいいかな」

「どうしたの?」

「これ」

 私は、颯のジャンパーが入った紙袋を爽太に見せた。

「大祓の日に、井口先輩から借りたんだけど、返しそびれて。返してくれる?」

 逃げるのに夢中になって、ついここまで持ってきていた。

 だが爽太は、不機嫌そうな顔だった。

「あのな、そこは颯って呼びなよ。井口って呼ばれたら、俺のことなのか兄さんのことなのかわかんないし。ていうか、どうせ恋人にするんだし」

「さすがにそれは早すぎだよ」

 というより、先輩とつけているのだから、颯のことだとわかるはずだが。

「本人いないなら、別にいいだろ。さあ呼んでみて、颯って」

「は、颯先輩」

 さすがに一つ年上の人を、すぐに呼び捨てにはできない。

「うん、それでよし」

 爽太は私から紙袋を受け取るのだった。

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