第2章 初詣の神社で小学生が叫ぶ 1
私は、目を覚ました。
今日は一月一日。この町で迎える、最初の元旦だ。
「起きなきゃ」
重たい体を起こす。
本当はこんな気持ちで正月を迎えるつもりはなかった。ベッドから飛び起きて、急いで朝食を作って食べて身支度をして、楠神社初詣第一号を勝ち取る勢いで颯に会いに行く、はずだった。
颯に振られなければ。
昨日は結局、一切外出せずに年を越した。
私の今の実家である、叔父叔母夫婦の家に戻るという選択もあった。予定が変わったと適当にごまかせば、叔父も叔母も笑って私を迎えてくれただろう。
それをしなかったのは……
私は、壁に掛けているジャンパーを見つめる。
「あれ、返さないと」
初詣は神社の手伝いがある、と颯は言っていた。楠神社に行けば、確実に会える。
返したら、すぐにここに帰ろう。
用意していた紙袋に、颯に借りたジャンパーを丁寧にたたんで入れる。
そして私は、朝ご飯を作って食べて、髪を整える。コーヒーを淹れて飲みながらゆっくりしているうちに、時間は九時になっていた。
「そろそろ、行こうかな」
私は時計を見て立ち上がる。初詣といっても、参拝して颯にジャンパーを返したら、すぐにこの部屋に戻るつもりでいた。
気は進まないが、長くダラダラしていたくもない。
「じゃあ行ってきます。父さん母さん」
両親の写真に今年最初の挨拶をすると、コートやマフラーを身に着けた。颯のジャンパーが入った紙袋を持って、外に出る。
年始の冷たい風が、私の頬に吹きつける。寒さに体が震えそうだ。
元旦のこの町は、思ったよりも静かだった。通りにはあまり人がいない。私が叔父叔母の家でしていたのと同様、家族でこたつを囲みながら、お雑煮でも食べてのんびりしているのだろう。
それでも
みんな楽しそうだ。
私はこれから急いで参拝して、一人で正月を過ごすのだと思うと、寂しくなる。
憂鬱な気持ちを持て余したまま歩いているうちに、着いた。
楠神社だ。神門の前には、初詣の幟が並んでいる。
すでに多くの人が集まっていた。午前の早い時間帯でさえこうなのだ。昼過ぎになるともっと多くの人が詰めかけるだろう。
私はとりあえず、一礼して神門を通った。
ようやく前の人が手水を終えた。私は置かれた柄杓を持って、手を清めていく。寒い中、手の平に直接水をかけると冷たいが、作法は大事だ。私は我慢した。
「姉さん、終わった?」
柄杓を置こうとしたところで、声をかけられた。
子供の声だ。
「うん、ちょうど終わったところ。使うなら渡すよ……あっ」
振り返った私は、声を詰まらせる。
背後にいたのは、颯の弟、
「あけましておめでとう。来てくれたんだ。大祓の日は大変だったね」
爽太は、親しげに話してくる。
「あけましておめでとう。いつからここに?」
「ちょうど今だよ。偶然だね」
「一人で来たんだ、君」
「兄さんがここでお手伝いをしているから、一人で来たつもりなんてないんだけどな」
兄さんという言葉に、私は身が硬直しそうになった。
この奥の拝殿かどこかに、颯がいるのだ。もし会ったら、どんな顔をされるだろう。
「姉さん、もう終わったんだろ。ぼんやりしてると他の人たちにも迷惑だよ?」
爽太は、両手を出してくる。
「ああ、そうだったね。ごめんごめん」
私は爽太に柄杓を手渡す。
「じゃあ俺もすぐに済ませるから」
「すぐ済ませる?」
「別に、先に行っててもいいけど」
爽太は言って、柄杓で水をすくい始めた。
何だか、私と一緒に参拝しようとしているみたいな言い方だ。この子は何のつもりだ?
私は先に行くことも忘れ、爽太の横顔を見つめる。子供にしては慣れた手つきで柄杓で水をすくっては、手を清めていく。
それにしても……
近くで見ると、爽太は本当に颯に似ている。
そうしているうちに、爽太は手水を終えた。柄杓を元の場所に戻す。
「あれ、姉さんまだ行ってなかったの?」
爽太が声をかけられて、私は我に返る。
「え? う、うん」
「先に行っていいって言ったのに」
「ちょっとスマホを見ていただけ」
「スマホ、手に持ってないけど」
ぎっくう。
「まあいいや。とにかく行こっか」
爽太は私の隣を歩いていく。ちょっと図々しい。
複雑な気分だった。まさか颯の弟と一緒に参拝することになるとは。颯と会ったら、どうやって説明しようか。
拝殿の前では、初詣の参拝客たちが並んでいた。賽銭箱に小銭が入れられる音と、柏手の音、鈴の音が響いている。
そして、紙でできたものが擦れる音も。
私は、拝殿を見て怖気づく。颯がいた。白衣に袴姿で、大きな
「姉さん、大丈夫?」
横の爽太が声をかけてくる。
「えっ?」
「お正月なのに、とっても緊張した顔してるよ。ひょっとして俺の兄さん見て惚れてるの?」
「そ、そんなじゃないよ」
「顔赤いな」
「え……」
「ジョーダンでした。姉さん反応おもしろすぎ」
爽太はまたしても笑う。
「もう、大人をからかうんじゃありません!」
意外と兄と違って生意気な子だ。颯を幼くしただけの顔からこんなことを言われると、余計に調子が狂う。
「私、静かに参拝したいから、変なこと言わないでよ」
「人がお参りするとこを邪魔したりしないよ。大丈夫。安心して」
本当に大丈夫なのか?
そうしているうちに、私の前の人たちが参拝を終えた。
私と颯の間を遮る人がいなくなって。
「あっ」
御幣を持った颯が、声を漏らした。
「よっ、兄さん! 来てやったぞ」
爽太が手を大きく振る。
……やけに楽しそうだね?
「兄さん、何きょとんとしてるの? 煉瓦珈琲の人だよ。挨拶は?」
「あけまして、おめでとう」
弟に急かされて、颯は嫌そうに年越しを祝う。
あかりも頭を下げた。
「こ、こちらこそ、あけまして、おめでとうございます。この間はジャンパー、ありがとうございました。お返しに」
「ああ、わざわざありがとう。爽太とは、どうして一緒に?」
「姉さんとはそこでたまたま一緒になったんだ」
爽太がずけずけと会話に割り込む。
本当に楽しそうに話すね……? さっきよりも声が明るい。
「あまり舟入さんに迷惑をかけるなよ」
「わかってるってさ。姉さん、どうしたんだよ? 参拝しないの?」
「す、するわよ」
私は財布から小銭を取り出すと、賽銭箱に入れた。鈴を鳴らそうと、太い縄でできた紐――
「一緒に鳴らそ!」
爽太も紐に手を伸ばした。そのせいで、私と爽太、二人がかりで鈴を鳴らした形になる。
――本当に図々しい。
私は気にしないようにしながら、二礼し、二拍手する。
もちろん、爽太は二拍手を私に合わせてきた。
私は低頭しながら、薄目を開けて隣の少年を盗み見る。爽太は何食わぬ顔で、手を合わせたまま低頭していた。
颯が、私の頭上で御幣を振る。和紙の擦れる小気味いい音が、すぐそばで響いた。
好きで、告白して、振ってきた人が、私の幸せを願って厄を払ってくれている。
ちょっと、不思議な気分だ。
私は頭を上げた。ジャンパーはどこに返したらいいか、颯に聞こうとして……
いきなりコートの袖口を、爽太に引っ張られた。
「参拝、終わったな。お参りは済んだな。じゃあ言ってもいいよな」
嫌な予感。
「この姉さん、俺の兄さんに告白したぞーーーーーーーーーーーーー!」
爽太の高くてよく通る声が、楠神社境内に響き渡る。
「えっ!」「おいっ!」
突然の暴露に、私と颯の声が重なる。
爽太は、ぴしっと颯を指差した。
「このイケメンな神社の人に好きって言ったぞぉーーーーーーーーーーーーーーー! 一生傍にいます、幸せにしてくださいだってぇーーーーーーーーーーーーーー!」
「ちょっと、私そこまで言ってない」
「告白のこと認めた!」
「きゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
爽太に嵌められた!
「兄さん振るなんて、ほんともったいないよなー。こんなおっとりしたいい感じの人からの告白なのに」
「や、やめて!」
私は思わず叫ぶ。
「なんで? 姉さんのこと褒めたんだけど」
全然褒めてない! しかも場所! ここ公衆の面前!
爽太は気にする様子もなく、私の目の前に割って入る。ちょっと手を前に出せば、顔に触れられるほどの至近距離。
「それにさ、あの夜、兄さん家で何て言ってたか知りたい?」
いたずらな目で、私を見上げてくる。
とんでもないことを言う気マンマンだ。
「告白断ってしまったー、マジで後悔しかないな。あーできるならあのときに戻りてー。だって」
颯の声真似、うまい。颯がそんなことを言っているところが、想像できてしまう。そんなセリフを吐くような人ではないとわかっていても。
「よせ、爽太! そこまで言ってない!」
颯も叫ぶ。
だが爽太は、聞かぬふりをしていた。つやのいい瞳で私を見つめている。
「こんなんだからさ、姉さん、もう一度コクってしまえよ。きっとうまくいくよ」
「こ、コクる……?」
「そうだよ。前のは兄さん、いきなりすぎて恥ずかしくなっただけだから。さあ」
爽太は告白しやすいように、私の前から外れる。
「そ、そんな」
目がぐるぐるしてくる。しかも、今の会話を聞いた周囲の人たちも、私と颯の関係に何かを期待し始めていた。
「何だ? 新年早々に告白か?」
「再チャレンジ?」
「いいわねー、カップル成立するのかしら」
「そうなったら、縁結びのご利益絶大だなこの神社」
――何なの? これ。
爽太のせいで、みなさん余計に待たされているんだよ? 普通、つまみ出すところだよね? どうして、楽しそうな声がたくさん後ろから聞こえてくるわけ?
振り返ることが、怖くてできない。
でも目の前には、数日前に振ってきた颯の赤面が。
「何ためらっているの? 早く言ってしまえよ」
煽る爽太。
境内のどこかから、「いけいけー」という知らぬ人の声までする。
わけがわからない。わけがわからない。わけがわからない!
混乱し、頭がくらくらして……
「ご、ごめんなさい!」
なぜか謝って、私は逃げ出していた。
「あっ、ちょ、ちょっと待てよ!」
爽太の声が追いかけてくるが、私は止まらない。参拝客の間を縫って、走り続ける。
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