年越しの大祓 4

 やっとのことで、電車が駅に来た。国鉄時代に造られた古い車両に乗り込むと、空気の抜ける音とともにドアが閉まって、重苦しい音を出しながら出発する。

 いつもだと学校や職場から帰る人たちで混んでいる電車も、年末を迎えた今ではがらがらだった。私は空いているボックス席に腰かけると、窓枠の小さなテーブルにペットボトルのお茶を置く。

 私は完全に暗くなった車窓を眺めながら、電車が駅に着くのをじっと待っていた。

 

 やがて電車が、私の暮らす町の駅に到着した。私は空になったペットボトルをホームのごみ箱に捨てると、急いで改札を抜ける。

 駅舎を出て、楠神社のほうへと駆け出した。

 暮らし慣れた町を走って、そして、目的の場所に着く。

 楠神社の前。街灯で立派な神門はぼんやりと照らされているけれど、その向こうから温かな光が漏れていた。

 そして、人々が私のほうへと向かってきていた。

 年越しの大祓は、ちょうど終わったところみたいだ。私は脇によけて、陽気に談笑しながら家に帰っていく人たちを見送る。

 無事に終わったみたいだ。寂しいけど、ほっとしていた。

「あれ、姉さん」

 声をかけられて、私ははっとした。

 私の前には、小学生くらいの男の子が立っていた。

 柔らかな目元に、さらさらしていそうな髪が、颯に似ている。

「君は、井口先輩の弟さん?」

「そうだけど」

 しゃべりかたも彼とそっくりだ。声変わりする前の子供の頃の颯は、きっとこんな声で話していたのだろう。

「姉さんって、確か煉瓦珈琲の人だよね?」

「ええ」

 答えたとたん、爽太はぱっと目を輝かせた。

「すごい、本当に来たんだ」

 やけに嬉しそうな声をしている。どういうこと?

「なあ、だったら急いでよ。兄さんが待ってるんだ」

「え? え?」

 待ってくれている?

「舟入さんはきっと来るって、兄さん言ってたんだよ。早く行ってあげなよ」

 爽太は、神門の向こうを指差す。

「おい爽太、どうしたんだ? 帰らないのか」

 爽太の保護者らしい男の人が、引き返してきて言う。

「ああ、ごめんなさい。じゃあ姉さん、俺、帰らないといけないから」

 爽太は、片手を振って、男の人のほうに駆けていく。

 私は、神門の向こうに向かっていた。

 神事を終えて人気のなくなった神社。しかし拝殿のほうは、明かりが灯っていた。

そこで二人の人が、待っていた。

 なぜか颯は、手に黒いジャンパーを持っていた。

「待っていたよ、舟入さん」

 颯が、私に声をかける。いつも楠神社を訪れるときと、変わりなかった。

「あの、ごめんなさい。私、さんざん行くと言っていたのに」

「煉瓦珈琲から車が出ていくの、見えたんだ。舟入さん、コートも着ていかずに」

 颯は言う。

 そして、手に持っているジャンパーを渡してきた。

「男もので、嫌だったら無理にとは言わないけど」

「いえ、ちょうど寒いの我慢できなくなっていたところです」

「じゃあ、鞄持つから」

 ジャンパーを渡してくる。私は引き換えに、素直に自分の鞄を颯に渡した。

「見ていたんですね」

 ジャンパーを着ながら、私は苦笑いを浮かべる。

「煉瓦珈琲のところの奥さん、お腹抱えていたし、出産ってことは前々から聞いていたから」

「慌てていたでしょう、私」

「舟入さんらしかったよ。ああいうとき、まっさきに動こうとするところ」

 見られていたのは、ちょっと恥ずかしい。でも嬉しかった。ちゃんと事情をわかってくれていた。

 しかも、コートも着ていなかった私を案じてジャンパーを用意してくれるなんて。なんだか、お父さんみたいな気配りのよさだ。

 私はジャンパーのファスナーを上まで上げた。

「ジャンパー、ありがとうございます。温かいです」

 男性用だから重いし、私にはちょっとぶかぶかだ。

でも体が一気に温かくなっていく。

「そんなところで話しているのも悪くないが、そろそろ始めないか」

 しびれを切らした、とばかりに、義友が話しかけてくる。

「始める?」

 私は義友のほうを見つめる。これから何をするつもりだ?

「ああ、すみません」

 どういうことか理解できていない私を尻目に、颯は両手を出してくる。

「人形、持ってきたよね。年越しの大祓、簡単にだけど執り行うよ」

「えっ?」

 私はすぐに動くことができない。

 だってもう、大祓は終わった。来た人たちも帰っていったばかりだ。

「こいつが、舟入さんのためだけにもう一度やろうって言いだしたんだよ」

 いつの間にか近づいてきていた義友が、颯を後ろから抱え込んで言った。

「どういうこと、です?」

「二度同じことを言わせるのか? まあ、いつもこいつには世話になりっぱなしだからな。これぐらいは結構だ」

 義友、結構機嫌がいい。何だか楽しそうだ。

「……というわけで、人形」

 颯は年上の人に絡まれて困った顔をしながら、引き続き両手を出してくる。

「あ、は、はい……」

 私は言われるまま、鞄から人形と初穂料の入った包みを取り出した。颯に手渡す。

「お預かりします。じゃあ拝殿のほうに」

 義友も、颯を解放した。先に拝殿のほうへと向かう。

 私も颯の後に続いて、拝殿に向かった。靴を脱いで、階段を上がっていく。

 拝殿の中は電気ストーブが置かれていて、温かかった。私はいったんジャンパーを脱いで、床の上にたくさんの椅子が並べられたうちのひとつに腰かける。

 私が落ち着いたのを見計らったところで、義友は簡単なお祓いを始めた。祝詞を読み上げて、低頭する私に向きなおって紙幣を振る。

 そして私が玉串を奉納したところで、茅の輪くぐりとなった。

「じゃあ、こちらに」

 颯に促されて、私は再び借りたジャンパーを羽織って拝殿を出る。

 義友、私、颯の順番で、8の字を描くようにして茅の輪をくぐっていく。

 颯の気配を背後に感じながら歩くのが、不思議だった。

 でも、落ち着けた。

 ずっとこんな風に、好きな人のそばで歩いていけたらどんなにいいだろう。

 そうしているうちに、茅の輪くぐりを終えた。

「じゃあ、神餅しんせんを持ってくるから、もうちょっと待ってて」

 義友が、私と颯を残して社務所へと向かっていく。

 二人きりになった。

 諦めきっていたのに、この状況になってしまった。

「あの、今日はありがとうございました。わざわざ待っていただいて」

 何か話していないと、肝心な言葉も話せずじまいになってしまいそうだった。

「舟入さんこそ、大変だったね」

「いいんです。お世話になっている方ですし、春奈さんにもしものことがあったら大変でしたから」

「元気なお子さん、産まれそうだね」

 本当にそうだ。

「でも、待っていてくださるなんて、思っていませんでした」

 あたりざわりのない言葉で場をつなぎながら、私は焦りにかられる。

「そんなに待ってないよ。舟入さんが現れたの、本番が終わった直後だったし」

「春奈さんの入院手続きが終わった後、急いで正解でした。待たせたら申し訳ないですし」

 違う。今はこんなことを言いたいのではない。

 早く言ってしまわないと、義友が戻ってきて、言える空気ではなくなってしまう。

「……あの、伝えたいことがあるんです」

 私は思い切った。

「何?」

 颯はまっすぐに私を見て聞き返す。

「実は私、先輩のことが好きなんです」

 言えた。

「大学に入学してから、神社のこと、いろいろ教えてくださったり、煉瓦珈琲で私のコーヒーがおいしいと言ってくださったりして、私、嬉しかったです」

 一度言葉にしてしまうと、次々と言葉が出てくる。

 颯は、真顔のままでいるが。

「だから、付き合ってください」

 すぐに、返事はなかった。妙な間が空く。

 おかしかった。颯と話していて、沈黙が漂うということは滅多になかったはずだ。今までの颯は、私が話したことにすぐに反応していた。

 そして、颯を真正面に見て、私は気づく。彼が伏し目になっていることに。

 拒絶を感じた。

「ありがとう、舟入さん」

 颯は口を開く。

「でもごめん。今はそんな気持ちじゃない。舟入さんは素敵な人だから、俺なんかよりももっとふさわしい男がいると思う。だから応援しているよ」


 颯に振られ、私はとぼとぼと自宅のアパートに戻っている途中で、秦之介から連絡があった。

 元気な女の子が産まれたそうだ。

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