年越しの大祓 3

 道は混んでおらず、秦之介の車はすいすい進んでいく。

 私は病院の人に言われたとおり、春奈の背中をさすり続けていた。

 大祓や、颯のことは、今は考えないようにする。

「ごめんなさいね、こんなことに巻き込んで」

 しばらく黙っていた春奈だが、ふと口を開いてきた。

「いいんです」

「大祓、行くと約束していたんでしょう。あの神社のお手伝いさんの、井口さんに。待っているんじゃないかしら」

「たぶん井口先輩も、事情を知ったらこうすべきだって言うはずですから」

 颯は優しいし、物腰柔らかい。少なくとも怒ったりすることはないはずだ。

「でもせめて、連絡はしたほうがいいんじゃないの? 背中さするのはいいから、ラインとか入れたら」

 春奈の提案に、私はうなずく。

 だが服のポケットに手を入れても、スマホの感触がなかった。

「あっ、スマホ、お店に忘れてきました」

 煉瓦珈琲の事務室で病院に連絡を入れた後、スマホを机の上に置いたのだが、そのままになっていた。

 もっといえば、自分のコートも煉瓦珈琲の事務室にある。

 財布や家の鍵などが入った鞄は手元にあるから、帰りは問題ない。でも、焦りすぎていろいろ忘れてしまった。

「ごめんなさい。病院に連絡とったりしないといけないのに」

「いや、僕の携帯を使えばいいから。でも舟入さんのほうも大丈夫? スマホなかったらいろいろ不便だし」

「いいんです。このまま病院に向かってください」

 スマホなんて、後日回収すればいいだけのことだ。

 颯だって、今頃は年越しの大祓の最後の準備で忙しくて、スマホなんて触っている暇もないだろうし。

 そうしているうちに、秦之介の運転する車が病院に着く。

「そのまま夜間外来の受付に来てください、だそうです」

 もうすぐ着くと病院に電話していた私が、言われたことをそのまま言う。

「なるべく近くにつけるか」

私は車の中から、駐車場にある時計塔を見る。時刻はきっかり午後七時を差していた。

 これでは電車に乗って楠神社に向かう頃には、年越しの大祓など終わっているだろう。

「着いたぞ」

 秦之介は車を止めてエンジンを切ると、すぐに降り、後部座席のドアを開ける。春奈は、自力で車から降りた。

「舟入さんがさすってくれたおかげで、痛みが楽になったわ。ありがとう」

 春奈は、秦之介に手を引かれながら私に礼を言ってくる。

「私、病院の人に知らせてきます」

 私は夜間外来の出入り口に急ぐ。


 病院の人たちは手際よくて、あっという間に入院の手続きが進んでいった。

 私はほとんど、ロビーで見守るだけだった。

「もういい、舟入さん。あとはここの人に任せたらいいし」

 秦之介は帰るよう言ってくる。

「そうですよね」

 こんなところにいても邪魔なだけだろう。

「いろいろ、ありがとう」

「礼を言われるほどじゃないです。じゃあ、元気なお子さんが生まれるといいですね」

 私は秦之介に頭を下げて、夜間外来口のほうへと向かった。自動ドアが開くと、年末の冷たい風が吹きつけてくる。

 コートも着ていない私は、寒さに一瞬動きを止めた。だがすぐに走り出す。急いで、病院の最寄り駅へと向かった。

 古い無人駅に着く。電光掲示板を見上げると、次の電車は五分後だった。

だがその発車時刻は、十九時二十八分。

 この駅から私が暮らす街まで、電車だと十分と少しかかる。さらにそこから徒歩で楠神社に向かえば、最終的に着くのは八時前くらい。

年越しの大祓が終わるくらい。

 とにかく、帰らないと。

 私は切符を買った。自動改札を通って、人のほとんどいないホームに立つ。

 蛍光灯の明かりが薄暗くて、聞こえてくるのは遠くを走る車の音と、理不尽に吹きつけてくる風の音くらい。人の会話すら聞こえないことが、かえって寂しさを募らせる。

 私はカイロ代わりにと、ホームにある自販機で温かいお茶を買った。ベンチに腰かけて、温かいペットボトルを握りしめながら、電車を待つ。

 たったの五分。地方のローカル路線にしては、待ち時間はかなり短い。

 でもその五分が、私には長く感じた。寒くて、ペットボトル入りのお茶を握っていても、どんどん指が冷えていく。

 今頃、楠神社では義友の祝詞が唱えられているくらいだろう。颯も白衣に袴を身に着けて、神事の進行の手伝いで忙しくしているはずだ。

 私のことを気にしていたら、正直嬉しいけど、ちょっと困る。

 地域の人たちが集まった、大事な行事なのだから。

 吐く息が白い。

 私はふと、鞄の中に手を入れた。中から人形を取り出す。

 スマホやコートは煉瓦珈琲に置き忘れたのに、こればかりは、きちんと持って出ていた。

 ――町に戻ったら、まずは楠神社に向かおう。

 人形を鞄にしまい、吹きつける冷たい風に背を丸めて耐えながら、私は決めていた。

 せめて颯に事情くらいは伝えておきたい。

 もう、告白どころではないけれど。

 行くとしつこく約束しておきながら、結局は断りもなく行かなかった。それでいて好きと伝えられるほどの度胸なんて、私にはない。

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