第2話 Neon

 趣味のプロレス観戦にドームに行った帰り、麗は駅に向かってゆっくりと歩いていた。あの熱闘の行われたドームからなかなか離れたくなくて、興奮が冷めない麗は夜の街を眺めながら試合を思い出していた。


 今日も熱い試合だった。一つ一つの技を思い出しながらぐっと拳を握る。本当はすぐにでもプロレスジムに入会したかったのだが、両親の同意が得られないまま高校生になってしまった。体は人一倍強い。戦えるかどうかは体だけではどうにもならないが、厳しいトレーニングにも耐えられる自信はあった。


 前を見ずにぼんやりと歩いていると、通行人とぶつかる。普段は相手の方から勝手に避けてくれるからあまり気にしていなかった。


「失礼。ぼうっとしていた」


 丁寧に謝ると、初老の男は舐めあげるように麗の体を頭から足までねっとりと品定めするように見つめている。


「な、なんですか?」


 その男の異様な雰囲気に少し気圧けおされながら、麗はいつの間にか敬語になっていた。


「おう、すまんなあんちゃん。いい体してるけどスポーツでもやってんのか?」

「いえ、レスリングをやりたいんですが、両親が許してくれなくて」


「ほーん。ちょうどいいな。ジムに入るとなれば金もいるだろ。どうだ、うちでアルバイトでもしてみんか?」


 ためらいなく男は麗の丸太のような腕を叩く。こんな簡単に麗の懐に潜り込んでくる人間は珍しかった。気付くと、麗は深く考えないまま首を縦に振っていた。


 麗に声をかけた男は、上田と名乗った。最近麗と出会った通りの近くに店を出したらしいのだが、いい店員が見つからずに困っているという話だった。


 レストランや居酒屋の並ぶ通りを抜け、ラブホテル街を視線を下に向けながら抜けていく。すると、ピンクや黄色のネオンが光る一画へと連れていかれた。


「あの、ここって」

「なんだ、あんちゃんこういうとこには来ないのか?」

「あ、当たり前です!」


 ネオンで輝く看板には風俗、ヘルス、マッサージといった言葉が並んでいる。高校生の麗でもそれが意味するところは当然わかっていた。


「最近の若いのはオクテだねぇ」


 上田はしみじみとそう漏らしたが、足を止めるつもりはないようで、麗を引き連れたまま道を進んでいくと、一棟のビルの前で止まった。店の裏口らしいドアに案内されて中に入る。


 その部屋の中はまるでSFマンガの指令室のようだった。ドアの左手の壁一面にモニターが全部で十二枚。どうやら店内の防犯カメラの映像らしい。入ってきたドアの向かい側には部屋番号と赤いランプが並んでいた。


「ここは警備室みたいな感じですか?」

「そんなとこやね。女の子に文句を言ったり暴れたりするやつがいるから」

「そんな客がいるんですか。許せませんね」


 麗はぐっと拳を握る。それだけでシャツの下の力こぶが張ったのがすぐにわかるほどだった。


「そこであんちゃんの出番ってわけだ」

「え、いや、俺は男ですから」


「誰が嬢をやらせるってんだよ。そういうのがカメラに映ったり、そこのランプで女の子から助けが来たらあんちゃんが出ていって助けてやるんだよ。バウンサーって奴だな」


「なるほど。大抵の男の人は俺を見るだけで怯えますからね」


「高いスーツとグラサン用意しといてやらぁ。手は出すなよ。暴れてもとっ捕まえるだけだからな」


 少しの偶然と正義感、そして他よりもかなり高給な待遇を見せられて、麗はその場でアルバイトをすることを決めた。


 どうしてもレスリングを始めさせてくれないなら、高校卒業と同時に家を出るつもりだった。貯金があるに越したことはない。


 翌日、初めて作った履歴書を上田に見せると、高校一年生ということに目が飛び出しそうなほど驚いていた。接待をさせるでもなければ、見せるわけでもないので大丈夫だろう、と結局麗は狭い警備室でモニターを見ながら待つ仕事を始めたのだった。

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