4
ダイナーの悪評は前々から知っていた。オリバーは残飯をよく漁っていたため、ゴミに紛れる生肉や、不可解な食べ屑に気が付いていた。主に毛皮だ。ほんの少量ではあったが獣から剥いだと思われる毛が、客の食べ残しや野菜屑と共にゴミ袋の中に突っ込んであった。
オリバーの問いに頷いたトーマスは、首を横に振りながら酷く沈んだ面持ちを床へと向ける。
「勿論、犬しか使っていないということはないはずだ。でもな、私はよくあそこで酒を飲んではいるが、肉の入った料理は頼まないように気をつけている。はじめに食べたときに、吐いてしまったんだよ。この町でずっと暮らしていれば気がつかないのかもしれないがね……他の土地から移ってきた私たちにすれば一口でわかる不味さだった」
「おれは、それ自体は悪くない……と、おもう」
何せ最果てのような町だ。供給源は少なくて、しかし野良の犬猫はよく見掛ける。離れた町の住人が、付近に町があるとは知らないままペットを捨てに来るせいだった。それをオリバーは知らないが、食えるのであれば食うという理論は体感として覚えていた。だから犬の肉が提供されること自体に問題は感じない。
詰まるところロベルトだ。
オリバーはミラが置いたオレンジジュースを一口飲んでから、
「知り合いの犬が、行方不明なんだ」
慎重に、言葉を選びながら説明を始めた。
「そいつは野良犬じゃなくて、知り合いの大事な犬で、知り合いも犬も、この町には……多分、偶々来ただけだ。でも、犬がいなくなっちまって、探すために、ここから離れられない。おれはその犬を探すのを手伝ってる。もしもダイナーが、その犬をもう殺したんなら大問題だ。だから、何か知ってるなら、教えて欲しい」
夫妻は互いの顔を何度か見ながら黙っていた。オリバーはジュースの入ったグラスを片手にじっと返事を待っていた。静かな三人の間を、牛の鳴き声が何度か往復した。
やがて動いたのはミラだった。口元には微かな笑みを浮かべ、真剣な表情のオリバーと目を合わせた。
「その知り合いという方は、あなたの大切な人なのね?」
ミラの問いにオリバーは困った。友人と答えようとしたが違い、主人と答えれば合ってはいるが外聞が悪い。結局そうだと答えた。ミラは笑みを微笑ましいものへと変えて、素敵だわ、と華やかに言った。隣にいるトーマスも頬を綻ばせ、何でも知っていることを教えようと息巻いた。牛の鳴き声がまた響き、仕事にやってきた作業員の話し声も、間を割るように聞こえていた。
オリバーは情報を手に入れた。にこやかな夫妻と不思議そうな作業員に見送られ、農場の敷地を後にした。一度牛小屋を覗いてみると二頭の牛が壁に向かって鳴いていた。シャブより不味いミルクが少しだけ気になった。
話し込んで、昼近くになっていた。オリバーは走って町を目指した。町の影は折り重なる木々の合間にちらちら見える。森の奥ではロベルトが、オリバーの帰りを待っている。
辿り着いた町はいつも通り寂れていた。ダイナーに行く近道となる広場を横切ろうと更に走るが、声を掛けられ立ち止まった。数人の若い男が、ニヤつきながらオリバーを眺めていた。不良に属されるグループだ。何の用かは聞くまでもないが、進み出た一人が勝手に言った。
「よう、
ボーリング場は潰れ映画館やゲームセンターのない町に娯楽はない。それゆえのストレス解消がノーリスクの暴力だ。オリバーは頭ではなく肉体でよく理解して、生き延びるためにサンドバッグを務めていた。
だが今は違った。オリバーは首を縦にも横にも振らず、吸った息を止めると同時に走り出した。背には怒声が投げ付けられ、追い掛ける足音も聞こえてきたが、止まらなかった。
ダイナーは一旦諦め、ぐっと体勢を低くした。速度を落とさないまま地面を蹴り付け、民家の裏へと一気に曲がった。不良達は予想外の方向転換についていけず歩幅を緩めた。角を曲がった時にはもうオリバーの姿は消えていた。民家の裏には数匹の犬が待ち構えており、不良達を見ると勢いよく吠えつけた。
野良犬の激しい鳴き声に狼狽える不良達を、オリバーは民家の屋根から見下ろしていた。勢いをつけたまま壁を登り、柵を踏み台に屋根へと駆け上がったのだった。
上がった息を整えつつ、不良達が自分を探して走り去る姿を見送った。広場の方向へ消えてから屋根を降り、影で丸まっていた野良犬達に礼を言った。オリバーの姿を見た犬達は鼻を鳴らした。共に遊んでいきたいところだったが、オリバーは行くところがあると言い、犬達には一旦別れを告げた。
なるべく人の少ない通り道を選び、ダイナーへ向かった。もう昼を過ぎており、食事時の住民が多い時間だった。ダイナーは今日も賑わっている。アル中の父親が、金もないのに中へ入る姿を、オリバーは見た。
オリバーは少し考え、ダイナーの裏手に回った。キッチンに直結する裏口があり、扉の側には真新しいゴミ袋が一つ、無造作に投げ置かれていた。いつもの昼時にしては少なかった。だからオリバーは、物陰へと素早く滑り込む。
予想通り、数分もすれば扉が開いた。ゴミ袋を出しているのは、ダイナーの店長の娘であるベティだ。オリバーは賭けに勝った。
「ベティ」
オリバーが声を掛けながら姿を現すと、ベティはあっと驚いた。
「オリバー、今日は来てたのね」
ベティははにかみながら、癖のある赤毛を指先でいじる。オリバーは頷いて歩み寄り、心の中で一言謝ってから、扉の中へ視線をやった。
「中、入れて欲しいんだ。話したいことが、ある」
ベティは困惑と喜びを同時に表情へと現した。だからオリバーは、心の中でもう一度だけ謝った。好意を利用してごめんと、伝わりはしないが謝った。
「……いいよ、でも忙しいから、落ち着くまで待ってもらうかも。キッチンの隅で……ううん、パパに見つからないように、保存庫の影にでも、いてくれるかな……」
「うん、ありがとう。それでいい」
オリバーは頷き、ベティと共にダイナーへと踏み入った。キッチンは予想よりは綺麗で、一見しただけでは極普通の様相だった。作業台に並んだバンズや食パンも、大量生産のメーカーから買い取ったものばかりだ。大ぶりの鍋にはランチスープが煮込まれており、コンソメの香りが食欲をそそった。
「じゃあ、ちょっとだけ待ってて。すぐに戻るから」
照れたような仕草を繰り返しながらそう言って、ベティはホールへと戻っていった。
その後ろ姿を見送るオリバーは森で待つはずのロベルトをふと思い出し、あのひともベティくらいわかりやすくあればいいのにと溜め息をついたが、何故か比べた理由は自分自身にもわからなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます