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闇に似た漆黒の毛並みが美しい犬だった。ロベルトはそう語り、オリバーに写真を見せた。スマートフォン越しに対面したロベルトの猟犬は、鋭い灰色の瞳でオリバーを睨んでいた。全身が黒く、体は大きい。雑種だが狼の血が入っているとロベルトは言った。
「突然いなくなったんだ。アレスは、そんな悪事を仕出かす犬ではないのに……」
そう嘆くロベルトと、一先ずは神妙に聞いているオリバーは、この時が初対面だった。オリバーは腐った葉や枝の落ちた森の地面に伏せており、顔の真横にはアレスとやらが映ったスマートフォンが置かれている。背中には銃口とブーツ裏が押し当てられていた。少しでも動けば即時射殺だと嫌でも理解した。
この時のオリバーはアル中とヤク中のパーティーが行われている自宅に帰らず、野宿の日々を送っていた。気候が暖かくなってきたため、森の中は眠りやすいだろうとやってきたのが間違いで、今背中に猟銃を押し当てている所作だけは穏やかな青年に一瞬で命綱を握られた。ロベルトは柔らかく笑ってはいるが、激しく怒っていた。狩りを共にしていた愛犬が行方不明になったからだと、犯人は現場に戻るという言説があるのだと、オリバーを脅しながら嘆いていた。
「アレスが僕の何かに愛想を尽かしたとは考えられない。彼は完璧に従属していたし、同時に僕の大切なパートナーで、唯一信頼していた存在なんだ。つまり誰かが、故意か過失か、アレスを奪った。死んでるだろなんて言うなよ、兄弟。希望は常に持つべきだ、それにアレスは人くらい殺せるし弾くらい避けられる」
「じゃあ、誘拐、とかか?」
ガチン! と派手な音が響いた。引き金を引いた音だった。ロベルトは固まったオリバーには構わない様子で、
「弾切れだ、口には気をつけなよ少年」
と穏やかに言った。
「わ、悪かった」
「敬語を知らないのか?」
知らなかった。オリバーはほぼ学校に行かず、両親は常に狂っており、周りにはマリファナやコカインを嗜む大人ばかりが揃っていて、田舎町はオリバーの家を見て見ぬふりで放置し続けた。
オリバーはそこまでをどうにか説明した。森に入ったのは寝床確保のためだと更に加えて、アレスについては本当に知らないと再三言った。
ロベルトは暫く考えていたが、やがて猟銃を下ろした。地面に置きっぱなしのスマートフォンを拾い上げると、伏せたままのオリバーの横腹を雑に蹴った。オリバーは素早く起き上がった。片腕を軸に半回転し、四つん這いのままロベルトと対面する形で体勢を整えた。
向き合ったまま、二人は数秒黙っていた。そのうちにロベルトが、ふっと息を吐き出して笑った。
「野良犬みたいだね、君は」
オリバーは視線を外さないまま頷いてみせる。
「よく言われる、ダイナーの残飯漁ってるから。メシの匂いがしたら、その辺の家のゴミも漁る、食えるものは大体食ってる、追い掛けられても野良犬と一緒に逃げ切って生きてる」
「ふうん……本当に犬だな」
「うるせえ、でも否定できない」
ロベルトは何度か頷いた。その拍子にまとめた長い黒髪が揺れ、差し込む陽光を受けて艶めいた。オリバーは流れる黒色と照り返しを見つめながらも黙っていた。逃げるための隙を探していたが、一向に見つかりはしなかった。
先に動いたのはロベルトだった。両手に持ったままの猟銃を肩へとかけ、警戒しているオリバーへと向き直り、穏やかな表情を浮かべた。
「君、名前は?」
唐突な質問だったが、
「……オリバー」
戸惑いつつ名乗ると、ロベルトはスッと右手を翳した。
「オーケイ、オリバー。ダウン」
明らかな命令口調だった。オリバーに犬のしつけ用語の知識はなかったが、本能と呼ぶべき部分で従った。即座に地に伏せたオリバーを見て、ロベルトは本当に嬉しそうな笑顔を見せた。
「グッドボーイ、オリバー。君は今日からアレスの代わりだ」
「は……?」
「僕はね、君の住んでいるクソ田舎町の住人を疑っているんだ。アレスはあの町のどこかにいると思ってる。確証はないけど、物証だけならあるんだ。オリバー、
歩き出したロベルトの後を追わなければ撃たれると理解し、オリバーはそろそろと立ち上がった。足のみで歩き始めた姿をロベルトは一瞥したが、何も言わずに前を向いた。あくまでも代替の犬で、仕事さえすれば問題がないと考えた故の無言だった。
オリバーが案内されたのは、森の奥にある丸太小屋だ。随分古びており、植物が無遠慮に巻き付いていた。ロベルトの一先ずの滞在先だった。壁には単発銃と散弾銃が立て掛けてあり、床には弾薬の詰まった鞄が投げ置かれていた。食事らしい缶詰も、机や床に積まれていた。
アレスが行方不明になったため、仕方なく住み込んでいるのだとロベルトは話した。
「勝手に住んで、いいのか」
出入り口の扉に寄りかかりながら、オリバーは聞いた。
「いいんだ。僕が入った時には白骨死体しかなかったからね」
ちょうどそこだよと言って、ロベルトはオリバーのいる辺りを指差した。
「首に紐が巻き付いていた。ノブで吊ったんだろう、持ち主なのか迷い込んだ自殺者なのかは知らないけれど」
「それ、その死体、どうした?」
「適当な場所に埋めたけど……?」
この男はかなりクレイジーだとオリバーは納得した。出会い頭で発砲され、伏せれば手慣れた動きで銃口を押し付けてきた男なのだから当然だが、ようやく実感した。気狂いの相手は慣れているとも思った。
「さてオリバー、これを見て」
ロベルトは古びた木製の机の上から紐のようなものを摘み上げた。端々が汚れてはいたが、犬の首輪だった。アレスがつけていた首輪なのだとは、聞かずとも理解した。
「これはね、オリバー、君の住んでいる町で見つけたんだ」
「あのゴミ溜め村のどこで?」
「潰れてヒッピーの溜まり場になっているボーリング場があるだろ? あそこで見つけた」
「……あんたはそこで何を」
激しい轟音が響き渡った。扉に丸い穴が空いていた。硝煙を吐き出す猟銃を構えながら、ロベルトは柔和に微笑んだ。
「あんたと呼ぶな。僕はロベルト。敬語を知らないなら呼び捨てで構わないけどお前やあんたや坊ちゃんなどとは死にたいときにだけ呼びなさい」
「わ……わかった、ごめん、ロベルト」
「グッドボーイ、オリバー。話を戻すけど勿論アレスを探していたんだよ。でも住人の目があるところは動きにくくてね、どこからか集まってきた住所不定のヒッピー共がいる場所や、住人が死んだか引っ越したかで廃屋になっている場所から探してたんだ」
「ああ……あの町、よそ者が来ると露骨にハブるし、そのくせ監視するもんな」
オリバーが納得すると、ロベルトは銃を下ろしながら指にぶら下げている首輪を見た。
「その通りだよ。だからこそ、君を犬に出来たことは素晴らしい前進だ。帰らないとはいえ、自宅はあの町にあるんだろう? なら住人だ。住人である君なら、町の中を探せるはずだ。いいね、オリバー?」
オリバーに拒否権はなかった。撃たれるからだ。そして拒否する気もなかった。ロベルトへの興味が湧いていたからだ。
犬に拘るクレイジーなスナイパー。どこから来てどこへ行く男なのか、そもそも何のためにここへ来たのか、オリバーは知りたくなっていた。
初めて他人を受け入れようとした瞬間だったが、オリバーがこの先一度も自覚することのない感情だった。
「勿論、手伝う。おれはロベルトの犬になる」
オリバーの返事にロベルトは笑った。じゃあ早速、と言いながら町の地図を取り出し、探した場所、立ち入れなかった場所、怪しいと思っている場所を説明し、最後にアレスの首輪をオリバーへと差し出した。
「失くしたら撃ち殺すけど、君が持っていて。もしアレスを君単体で見つけた時に、アレスの代わりに僕が使っている犬だとわかるように、ずっと身に付けていて」
オリバーは無言で受け取り、首に巻いてみたが、長さが足りなかった。噴き出して笑うロベルトを横目にしつつ、二重にして手首に巻いた。リストバンドのようで、思いの外、気に入った。
「さあオリバー、僕の役に立て。そうすれば君は生き残れるさ」
物騒な台詞を吐く主人に、オリバーは頷き跪いた。
アレスの捜索並びに、オリバーとロベルトの奇妙な共同体は、こうして幕を開けたのだった。
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